総武線隅田川橋梁と蔵前橋の間の台東区側テラスは、江戸時代の浅草御蔵を模して作られている。
古地図 浅草御蔵
蔵前テラスから撮影
江戸時代、幕府の御蔵があったことから、蔵の前で蔵前の地名が出来たということじゃ。蔵前橋は御蔵の三番堀と四番堀の間に出来たそうじゃ。隅田川を利用して、関東一円の産出米をここに集めたわけじゃのう。当時は八本の堀があり、67棟の倉庫が並んでいたそうじゃ。
旗本や御家人は給料として扶持(ふち)米をここで受け取り、米問屋を通じてお金に換える。年三回の支給日には切米切手という札を藁束に差しておくのじゃ。これを代行したのが札差で、のちにこの札を担保に金を貸す金融業者になったそうじゃ。吉原で派手にお大尽遊びをしたのもこの連中で、それに伴って一般町民も繁盛したわけじゃ。
西詰めのテラス降り口より
左:力士 右:芸妓
西詰、下流側渡り口
橋名のレリーフ
橋柱上にあるレリーフ
東詰め、下流側渡り口
墨田区側テラス 下流より
墨田区側テラスで 橋真下
墨田区側テラス 上流より
厩橋のテラス昇降口で
蔵前橋西岸(台東区側)には、かつて蔵前国技館があった。戦後、両国国技館が接収されていた時代、ここで大相撲が行われた。現在跡地は都の蔵前水処理場が建設されている。
蔵前橋は、東京都道315号御徒町湖岩線(蔵前橋通)を通す。西岸は台東区蔵前一丁目、東岸は墨田区横網一丁目。橋名は「蔵前通り」に因んで付けたそうじゃ。橋全体が稲の籾殻を連想させる黄色に塗装されている。昭和29年9月~昭和59年12月まで東詰には蔵前国技館があり、高欄には力士・芸妓などのレリーフが施されている。
関東大震災の復興計画により現在の橋が架橋されたものじゃそうで、それ以前には「富士見の渡し」と呼ばれていた渡船場があった場所だそうじゃ。橋長は 173.2m (支間 :50.902m《鋼アーチ最大支間》/ 12.192m《コンクリートアーチ支間》)、幅員は 22.0m ということじゃ。
震災の翌年の大正13(1924)年から着工され、昭和2(1927)年の竣工というから、80歳を過ぎることになるんじゃ。
sechin@nethome.ne.jp です。
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