瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
午前5時、昨夜の雨がまだ降り止んでいない。朝食後、薄日が射してきたので、出掛けることにした。昨日の駒形橋の撮影に続いて、今日は吾妻橋。
吾妻橋は、雷門通り通し西岸は台東区雷門2丁目、および花川戸1丁目を分かち、東岸は墨田区吾妻橋1丁目。西岸の交叉点には浅草1丁目がかかり、神谷バーなど、いわゆる浅草の中心に近い橋である。また、東岸にはアサヒビール本社などが入る墨田リバーサイド地区がある。桜の名所として著名?な隅田公園はこの橋がほぼ南端にあたる。東武伊勢崎線・東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線の浅草駅はこの橋の西岸にあり、東岸約500メートル先にこの橋の名を冠した本所吾妻橋(都営浅草線)がある。東京観光汽船の桟橋である浅草ステーションが橋の西詰に設けられている。ここから浜離宮を経由して東京港日の出桟橋まで運行されている隅田川ライン(水上バス)が出発しているので、隅田川下りの拠点の一つとしても著名な?地点でもあるんじゃ。
創架は安永3(1774)年10月のことで、それまでは「竹町の渡し」(「駒形の渡し」とも呼ばれ、現在の吾妻橋と駒形橋のほぼ中間の場所にあった渡しで吾妻橋が架橋されたことによって利用者は減ったものの、明治 9(1876)年まで運行されていた記録が残っている)という渡し舟があった場所じゃという。江戸5橋(千住大橋・両国橋・新大橋・永代橋・吾妻橋)のうち最後の橋であり、明和6(1769)年4月に浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が幕府によって許可され、着工後5年で完成したもので、長さ八十四間(約150m)、幅三間半(約6.5m)の橋で、武士以外の全ての通行者から2文ずつの通行料を取ったと記録に残っているそうじゃ。天明6(1786)年7月18日の洪水の際に永代橋、新大橋がことごとく流され、両国橋も大きな被害を受ける中で無傷で残り、架橋した大工や奉行らが褒章を賜ったという。その後も幾度かの架け替えが行われたようじゃ。
吾妻橋の浮世絵
明治時代の木橋
明治20年架設の鉄橋
震災前の吾妻橋
架橋を申し出たとき、吾嬬神社の参道橋なので「宮戸橋」で申請したが却下され「大川橋」と命名するように申し渡された。これは近辺で隅田川が「大川」と呼称されていたことにちなむ。かくて大川橋として橋は架かったが、町民からは「あづまばし」とよばれたという。こうしてその由来は、江戸の東にあるために「東橋」と呼ばれ後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説の2つの俗説が生れたんじゃろなぁ。いずれにしても、明治9(1876)年2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名されたそうじゃ。
この最後の木橋は明治18(1885)年7月の大洪水で初めて流出した千住大橋の橋桁が上流から流されてきて橋脚に衝突。一緒に流失してしまう。そのために明治20(1887)年12月9日に隅田川最初の鉄橋として再架橋された。鋼製プラットトラス橋で、人道橋、車道橋、鉄道(東京市電)橋の3本が平行して架けられていた。後に関東大震災によって木製だった橋板が焼け落ちてしまい、一時的な補修の後昭和6(1931)年に現在の橋に架け替えられたということじゃ。
台東区側テラスからの全景
水上バスステーション
西詰には環状6連の橋灯
水上バスステーション横の渡り口
車道と歩道の間には雷様マーク
駐輪禁止の貼り札もなんのその
西詰、下流側の渡り口
径間の橋脚、テラスにて
構造形式は、3径間鋼ソリッドリブタイドアーチ橋、橋長150.0m、幅員20.0mという。昭和4年6月に着工し、昭和6年6月に竣工となっている。
平成4年の改修で塗装が青白色から赤色に変わり、夜もライトアップされてレッドブリッジを強調するが、これは浅草寺の紅柄(べんがら)色に相和したものであるということじゃ。
吾妻橋の東詰には、開園時の「隅田公園入口」の石柱が今も残っており、裏には「昭和七年四月吉日復興完成記念」の文字が見てとれる。
あづま地蔵
隅田公園入口の石柱
石柱の裏面
ステーションに入る船と出る船の交替
吾妻橋の東詰広場には「あづま地蔵」がある。吾妻橋一丁目町会有志によって、震火災水難殉難者各霊供養、交通安全御守護のために建立されたそうじゃ。東京大空襲慰霊の卒塔婆も置かれている。
「あづま地蔵」の横にある降り口から降りてテラスにを歩く。折しも、川を上ってきた「ヒミコ」が、今まで停泊していた水上バスを追い出すように入ってきた。今夕からこのテラスもふくめた墨田区役所うるおい広場で4日間に亘って「吾妻橋フェスト」が開催されるということじゃ。
吾妻橋は、雷門通り通し西岸は台東区雷門2丁目、および花川戸1丁目を分かち、東岸は墨田区吾妻橋1丁目。西岸の交叉点には浅草1丁目がかかり、神谷バーなど、いわゆる浅草の中心に近い橋である。また、東岸にはアサヒビール本社などが入る墨田リバーサイド地区がある。桜の名所として著名?な隅田公園はこの橋がほぼ南端にあたる。東武伊勢崎線・東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線の浅草駅はこの橋の西岸にあり、東岸約500メートル先にこの橋の名を冠した本所吾妻橋(都営浅草線)がある。東京観光汽船の桟橋である浅草ステーションが橋の西詰に設けられている。ここから浜離宮を経由して東京港日の出桟橋まで運行されている隅田川ライン(水上バス)が出発しているので、隅田川下りの拠点の一つとしても著名な?地点でもあるんじゃ。
創架は安永3(1774)年10月のことで、それまでは「竹町の渡し」(「駒形の渡し」とも呼ばれ、現在の吾妻橋と駒形橋のほぼ中間の場所にあった渡しで吾妻橋が架橋されたことによって利用者は減ったものの、明治 9(1876)年まで運行されていた記録が残っている)という渡し舟があった場所じゃという。江戸5橋(千住大橋・両国橋・新大橋・永代橋・吾妻橋)のうち最後の橋であり、明和6(1769)年4月に浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が幕府によって許可され、着工後5年で完成したもので、長さ八十四間(約150m)、幅三間半(約6.5m)の橋で、武士以外の全ての通行者から2文ずつの通行料を取ったと記録に残っているそうじゃ。天明6(1786)年7月18日の洪水の際に永代橋、新大橋がことごとく流され、両国橋も大きな被害を受ける中で無傷で残り、架橋した大工や奉行らが褒章を賜ったという。その後も幾度かの架け替えが行われたようじゃ。
吾妻橋の浮世絵
明治時代の木橋
明治20年架設の鉄橋
震災前の吾妻橋
架橋を申し出たとき、吾嬬神社の参道橋なので「宮戸橋」で申請したが却下され「大川橋」と命名するように申し渡された。これは近辺で隅田川が「大川」と呼称されていたことにちなむ。かくて大川橋として橋は架かったが、町民からは「あづまばし」とよばれたという。こうしてその由来は、江戸の東にあるために「東橋」と呼ばれ後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説の2つの俗説が生れたんじゃろなぁ。いずれにしても、明治9(1876)年2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名されたそうじゃ。
この最後の木橋は明治18(1885)年7月の大洪水で初めて流出した千住大橋の橋桁が上流から流されてきて橋脚に衝突。一緒に流失してしまう。そのために明治20(1887)年12月9日に隅田川最初の鉄橋として再架橋された。鋼製プラットトラス橋で、人道橋、車道橋、鉄道(東京市電)橋の3本が平行して架けられていた。後に関東大震災によって木製だった橋板が焼け落ちてしまい、一時的な補修の後昭和6(1931)年に現在の橋に架け替えられたということじゃ。
台東区側テラスからの全景
水上バスステーション
西詰には環状6連の橋灯
水上バスステーション横の渡り口
車道と歩道の間には雷様マーク
駐輪禁止の貼り札もなんのその
西詰、下流側の渡り口
径間の橋脚、テラスにて
構造形式は、3径間鋼ソリッドリブタイドアーチ橋、橋長150.0m、幅員20.0mという。昭和4年6月に着工し、昭和6年6月に竣工となっている。
平成4年の改修で塗装が青白色から赤色に変わり、夜もライトアップされてレッドブリッジを強調するが、これは浅草寺の紅柄(べんがら)色に相和したものであるということじゃ。
吾妻橋の東詰には、開園時の「隅田公園入口」の石柱が今も残っており、裏には「昭和七年四月吉日復興完成記念」の文字が見てとれる。
あづま地蔵
隅田公園入口の石柱
石柱の裏面
ステーションに入る船と出る船の交替
吾妻橋の東詰広場には「あづま地蔵」がある。吾妻橋一丁目町会有志によって、震火災水難殉難者各霊供養、交通安全御守護のために建立されたそうじゃ。東京大空襲慰霊の卒塔婆も置かれている。
「あづま地蔵」の横にある降り口から降りてテラスにを歩く。折しも、川を上ってきた「ヒミコ」が、今まで停泊していた水上バスを追い出すように入ってきた。今夕からこのテラスもふくめた墨田区役所うるおい広場で4日間に亘って「吾妻橋フェスト」が開催されるということじゃ。
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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