瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 爺が夕飯時に見ているケーブルテレビの「伝七捕物帖」の主題歌に橋幸夫の唄う歌、
向こう通るは あの娘じゃないか/紅いたもとが小粋に揺れる/どこへ行くやら言問橋を/渡るカラコロ下駄の音/吹くは川風/ エエ エエエ/裾乱す 裾乱す/なんじゃいナァ
というのがある。
 言問橋は、国道6号(言問通)を通し、西岸は台東区花川戸2丁目と浅草7丁目を分かち、東岸は墨田区向島1丁目と2丁目を分かつ。もともと「竹屋の渡し」という渡船場があった場所で昭和になって出来た橋で、伝七親分が活躍したとされる江戸時代には橋はなかったのじゃ。
 震災復興事業として計画された橋。両国橋や天満橋(大阪市)と並んで三大ゲルバー橋と呼ばれた長大な橋である。川端康成(1889から1972年)は『浅草紅団』の中で、その直線的で力強いデザインを曲線的で優美な清洲橋と比べて「隅田川の新しい六大橋のうちで、清洲橋が曲線の美しさとすれば、言問橋は直線の美しさなのだ。清洲は女だ、言問は男だ」と書いている。
 午前5時はまだ暗い。夜が明けきったのをみきわめて、家を出る。言問橋西詰の公園入り口から、言問橋通を渡り、再び公園に入り、言問橋袂のテラスに降りる。ここから、テラス沿いに吾妻橋に出る。橋を渡り墨田区側を北上枕橋をわたり、言問橋下から階段を上り橋上に出る。元来た道を引き返し、上流側の橋上に出る。再度墨堤通をわたり、いつもの遊歩道に出る。この間、いろいろな角度から言問橋をカメラに収めた。
公園入口に展示されている縁石
b12ded2e.jpg左「縁石」の説明
34db147a.JPG公園を出て直ぐの古い橋柱
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 欄干の桟はねじりになっている
80e10fa8.jpg歩道には桜のプレート
fa1a5168.jpg西詰からの言問橋
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プレートだけは新しくても空襲の爪痕を残す
2ab90375.jpgテラス降り口からの全景
7aaf399b.jpgテラスからの全景(上流から)
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墨田区側テラスの降り口よりの全景
ad69934f.jpg東詰(下流側)
c827c2b1.jpg東詰(上流側)
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墨田区側テラスよりの全景
f6289e32.jpg照明灯は改修中
3eaaf943.JPG 「言問」という名称は在原業平(825~880年)の詠んだ、「名にし負はば/いざこと問はむ/都鳥/わが思ふ人は/ありやなしやと」という歌に因むのじゃが、実際にこの業平の故事があったとされている場所は現在の白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」でのことであり、言問橋近辺には地名としては存在していたわけではないため、いろんな説がある。たとえば、明治4(1871)年の創業でこの地に現在もある言問団子の旦那が、団子売出しにあたり、隅田川にちなむ在原業平をもちだして「言問団子」と名付け、人気の店になったことからこのあたりが「言問ヶ岡」と呼ばれるようになり、それあわせて業平を祀ったことに由来するというのがあるそうじゃ。これは、言問団子のチラシにあるもので、真偽の程はこの爺には判らぬ。
江戸東京博物館の展示
7ac637af.JPG左の説明板
8464608b.JPG 昭和20(1945)年3月10日の東京多大空襲の際には、浅草方面の人は「川向こうに行けば助かる」と思い言問橋を渡ろうとしたが、反対の岸の向島方面の住民も同じことを考え、橋の上で合流してしまい、身動きが取れなくなった所で橋の上にも炎が走り、堪えかねた人々は次々と欄干から身を躍らせ、死体で埋まった隅田川に落ちていったという。空襲が終わったあと、隅田川は一面死体が浮き、言問橋の上にも河川敷にも積み重なった累々たる死体の山が築かれていたということじゃ。
平成4(1992)年から実施された改修工事で切り出された欄干の基部の縁石(色が黒ずんで変色している)が橋の西詰めの隅田公園入口に展示されている。橋の親柱は、一部未改修のため現在も東京大空襲で焼け出された人の脂の黒ズミが残っているという。
今年、平成20(2008)年3月28日、両国橋と共に東京都の東京都選定歴史的建造物に選定されたという。まあ、それだけ老朽化したということじゃ。
 構造形式は 三径間ゲルバー鈑桁橋、橋長 238.7m 、幅員 22.0m 。
着工 大正14(1925)年5月、竣工 昭和3(1928)年2月10日 という。
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1932/02/04
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