瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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b8fb5cee.JPG 今日は重陽の節句。陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれのじゃそうだ。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたのじゃが、九は素数として最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものであるということじゃ。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。旧暦の9月9日は菊の花咲くことということで、「菊の節句」ともいうのじゃ。
明治天皇海軍漕艇展覧玉座跡の碑
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da2dc93a.JPG 午前5時、まだ明けきっていない隅田公園を南下。何時もどおり駒形橋を渡って、墨田区側を北上。枕橋を過ぎて、言問橋にむかう遊歩道の傍に明治天皇海軍漕艇展覧玉座跡の碑が建っている。曰く
「恭しく惟みるに明治天皇夙に叡慮を帝國海軍の発達に労し給い明治元年3月親しく大阪に幸して諸艦を天保山に関せられ爾来屢艦船部隊官衛学校等に行幸あらせ給い殊に海軍短艇競漕の隅田川に行はるるや、玉座は設けて、ここに在り親しく天覧を賜うこと前後4次に及べリ、明治15年には11月21日に、同16年には6月3日、同27年には4月2日に臨御あらせられ是は皇后亦行啓せられ、同29年には12月18日を以って親閲あらせ給へり其の間25年には6月19日を以って皇后竝皇太子の行啓を辱せり参加の将士齊しく恐擢感激して勇躍技を競い行事最も盛大を極わめリ斯の如きは皆是し震慮の深きに井で帝國海軍の無上なる光栄にして牢記すべき所なり只恐る。
 当年玉座の聖蹟星移り物替りて滄桑の変を経成は湮晦に貴せんことを是し本会が天皇親臨のこの尊ぶべきの地を永遠に顕彰し奉り、永く聖徳の至大なるを仰がんことを期し帝國海軍及朝野の諸彦と謀りて、昭和16年の明治節日をとし一碑を玉座の趾に勤し之を不朽に伝える。
 紀元2601年11月3日  隅田川聖蹟顕彰会」
ひろきをおのが心ともがな
b9ae847f.jpg 午前6時30分、桜橋を過ぎて山谷掘りの水門広場に来ると、雲ひとつない澄み切った秋空。川風が心地よい。もう秋がやってきたことを感じさせる。小学校のころ朝の掃除が終ると廊下に並んで正座させられ明治天皇の御製を詠わされたのを思い出した。
「朝みどり 澄み渡りたる大空の ひろきをおのが 心ともがな」
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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