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 Alexander 大王〔アレキサンダー、BC356~323年、在位BC336~323年)は、世界征服を企て、東はインドから西はイタリアにいたる三大国家〔アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトのヘレニズム三王国〕を建設した。彼は武力と政治のみをこととせず、文化の発展にも意を注いだので、ギリシア文化を他国へ移すとともに、東洋的文化をギリシア文化に加えることにも貢献した。こうして出来上がったのが、ヘレニズム文化である。
cafc10ea.jpeg Alexander 大王の死後はさしもの大国家も分裂してしまったが、エジプトはPtolemaios(プトレマイオス)によって受け継がれ、その都Alexandria(アレキサンドリア)は長く文化の中心として栄えた。
この時代の数学者として先ず挙げられるのはEukleides(エウクレイデス、BC300年ごろ、英語読みではEuclid)である。かれは、それまでに知られていたすべての数学に再検討を加えて、Elements(原本)とよばれる全13の大著を書いたことで知られる。
 次に挙げられるべきは当時の数学者、科学者Archimedes(アルキメデス、BC287~212年)であろう。彼は円の面積、球の体積、表面積を研究し、円周率の近似値を小数第2位までもとめた歴史上最初の人であったばかりでなく、実用的な発明も数々残していることは、ブログに取上げたとおりである。
 また、つい先日までに取上げたApollonius(アポロニウス、BC200年頃)の名前も逸してはならない。
 
 この辺りまでを、Alexandria(アレキサンドリア)前期と呼ぶならば、後期の時代には、東西交通はますます盛んとなり、それにつれて航海術のなどの必要から、天文学と三角法が研究された。
 天文学は単なる空想から離れて、観測を取上げることによって、Aristarchos〔アリスタルコス、BC28年ごろ〕、Eratosrhenes〔エラトステネス、BC275~194年〕を経て、Hipparchus〔ヒッパルコス、BC150年ごろ〕に至ってはじめて軌道に乗った。
 また、このころの数学者しには、ヘロンの公式で有名なHeron〔ヘロン、BC100ねんごろ〕、メネラウスの定理で知られるMenelaus〔メネラウス、BC100年ごろ〕、トレミーの定理で有名なPtolemaios〔プトレマイオス、AD150年ごろ〕、それにディオファントス方程式で知られるDiophantos〔ディオファントス、AD300年ごろ〕、さらにパップスの定理でしられるPappus〔パップス、4世紀前半に活躍〕などがある。
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