瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
Apollonios of Perge〔ペルガのアポロニウス、BC262~190年頃)はギリシャの数学者・天文学者である。著書『円錐曲線』(Conics)で円錐の断面について詳細な研究をおこなった。円錐の断面の図形に3つの異なる図形-楕円(ellipse)、放物線(parabola)、双曲線(hyperbola)があることを示した。「アポロニウスの円」や「アポロニウス問題」に名前が残されている。
Apollonios(アポロニウス)は小アジアの町Perga〔ペルガ、トルコ語ではPerge(ペルゲ)〕に生まれた。Alexandria(アレキサンドリア)でプトレマイオス3世およびプトレマイオス4世の時代に活躍した。現トルコのPergamon(ペルガモン)でしばらく暮らしたとされる。Alexandria(アレキサンドリア)で没した。月のアポロニウスクレーターはApolloniosにちなんで命名されたという。Archimedes(アルキメデス)より40年ほど後に活躍した数学者であるが、アレキサンドリアで研究し、後にこの地で教授となった。
Apolloniosの研究の内で最も有名なのは、円錐曲線の研究であって、彼はそれまでの研究を整理し、それに彼の研究を付け加えて有名な『円錐曲線論』を残した。円錐曲線に関する彼の仕事を述べる前にPlaton〔プラトン、BC427~347年、古代ギリシアの哲学者〕の友人でもあったMenaichmos〔メナイクモス、BC375~325年、Eudoxos《ユードクソス、BC409~369年》の門下〕の円錐曲線に関する仕事について述べておく。
Sophistēs(ソフィスト)たち、そしてプラトン学派の人びとは、
(1)任意に与えられた角を3等分すること (2)与えられた立方体の2倍の体積をもつ立方体を作図すること(立方体倍積問題、デロスの問題) (3)与えられた円と同じ面積をもつ正方形を作図すること(円積問題) という、いわゆる3大難問を研究したが、作図の方法を定規とコンパス、すなわち直線と円に限ったのでは、その解決が困難であることが次第に明らかになっていった。こうして人びとの目は次第に直線と円以外の曲線に向けられるようになっていった。
このような状勢の下で、Eudoxos(ユードクソス)門下でPlatonの友人であったMenaichmos(メナイクモス)は、円錐曲線の概念に達したのである。円錐曲線というのは、円錐を1つの平面で切ったときにその切り口に現われる曲線のことであるが、Menaichmosはとくに、円錐をその1つの母線に垂直な平面で切った切り口を考えた。
そして、その頂点における角の開きが直角より小さい(鋭角)直円錐を1つの母線に垂直な平面で切ったとき切り口に現われる曲線(左図の図1)、その頂点における角の開きが直角である直円錐を1つの母線に垂直な平面で切ったときに現われる曲線(左図の図2)、そして、その頂点における角の開きが直角より大きい(鈍角)直円錐を1つの母線に垂直な平面で切ったときに現われる曲線(左図の図3)を考えたのである。これがそれぞれ今日の楕円、放物線、双曲線なのである。
Apollonios(アポロニウス)は小アジアの町Perga〔ペルガ、トルコ語ではPerge(ペルゲ)〕に生まれた。Alexandria(アレキサンドリア)でプトレマイオス3世およびプトレマイオス4世の時代に活躍した。現トルコのPergamon(ペルガモン)でしばらく暮らしたとされる。Alexandria(アレキサンドリア)で没した。月のアポロニウスクレーターはApolloniosにちなんで命名されたという。Archimedes(アルキメデス)より40年ほど後に活躍した数学者であるが、アレキサンドリアで研究し、後にこの地で教授となった。
Apolloniosの研究の内で最も有名なのは、円錐曲線の研究であって、彼はそれまでの研究を整理し、それに彼の研究を付け加えて有名な『円錐曲線論』を残した。円錐曲線に関する彼の仕事を述べる前にPlaton〔プラトン、BC427~347年、古代ギリシアの哲学者〕の友人でもあったMenaichmos〔メナイクモス、BC375~325年、Eudoxos《ユードクソス、BC409~369年》の門下〕の円錐曲線に関する仕事について述べておく。
Sophistēs(ソフィスト)たち、そしてプラトン学派の人びとは、
(1)任意に与えられた角を3等分すること (2)与えられた立方体の2倍の体積をもつ立方体を作図すること(立方体倍積問題、デロスの問題) (3)与えられた円と同じ面積をもつ正方形を作図すること(円積問題) という、いわゆる3大難問を研究したが、作図の方法を定規とコンパス、すなわち直線と円に限ったのでは、その解決が困難であることが次第に明らかになっていった。こうして人びとの目は次第に直線と円以外の曲線に向けられるようになっていった。
このような状勢の下で、Eudoxos(ユードクソス)門下でPlatonの友人であったMenaichmos(メナイクモス)は、円錐曲線の概念に達したのである。円錐曲線というのは、円錐を1つの平面で切ったときにその切り口に現われる曲線のことであるが、Menaichmosはとくに、円錐をその1つの母線に垂直な平面で切った切り口を考えた。
そして、その頂点における角の開きが直角より小さい(鋭角)直円錐を1つの母線に垂直な平面で切ったとき切り口に現われる曲線(左図の図1)、その頂点における角の開きが直角である直円錐を1つの母線に垂直な平面で切ったときに現われる曲線(左図の図2)、そして、その頂点における角の開きが直角より大きい(鈍角)直円錐を1つの母線に垂直な平面で切ったときに現われる曲線(左図の図3)を考えたのである。これがそれぞれ今日の楕円、放物線、双曲線なのである。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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sechin@nethome.ne.jp です。
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