瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
「七軒の家で、七匹ずつネコを飼っている。ネコは七匹ずつネズミをとる。ネズミはムギの穂を七本ずつ食べる。ムギの穂からは七ますずつのムギがとれる。これらの数を合わせるといくつになるか?」
数字のパズルとしては、これが世界最古のものだろう。答えは図のように19607となる。
しかし、驚いたことにそれから約3000年たった1202年に、Leonardo Fibonacci〔レオナルド・フィボナッチ、1170?~1250年頃、中世で最も才能があったと評価されるイタリアの数学者〕が著した『算盤の書』に、これとよく似た問題が出てくるのである。曰く、「七人の老婦人が、ローマに旅行した。婦人はおのおの七ひきのラバを持ち、ラバはそれぞれ七個の袋を運ぶ。それぞれの袋には七個のパンがあり、そのパンには七挺のナイフがあり、それぞれのナイフには七個のさやがある。ここに数え上げたすべての名称の和はいくらか?」 答 137256 〔小倉金之助訳『カジョリ初等数学史』より〕
ただし、これはなぞなぞであって、パズルではないことに注意していただきたい。答は一人である。つまり、セント・アイブスへ向かっているのは私だけで、「七人の妻を連れた男」はセント・アイブスからやって来て、私とすれ違ったのである。
「からす九百九十九わある時、九百九十九浦にて、一わのからす九百九十九こゑづゝなく時、此こゑ合何ほどぞと云。合九億九千七百令令二千九百九十九こゑ。法に、九百九十九に九百九十九をもって二度掛くれば高しれ申候也。」(大矢真一校注・岩波文庫版。底本は寛永二十年(1643年)版)
要約すると「九九九羽のからすが、九九九箇所の浜で、九九九声ずつ鳴いたとすると、全部で何声鳴いたことになるだろうか。」 答は 99700299声である。
※からす算のネタ元について:古代中国の『孫子算経』(中国南北朝期、3~4世紀頃の作、著者不明、兵法で有名な孫子とは別人の)に次のような問題がある。
「今有出門望見九隄。隄有九木、木有九枝、枝有九巢、巢有九禽、禽有九雛、雛有九毛、毛有九色。問各幾何。」
〔今、門を出て9つの堤を望み見る。堤に9つの木があり、木に9つの枝があり、枝に9つの巣があり、巣に9つの禽(トリ)があり、禽に9つの雛があり、雛に9つの毛があり、毛に9つの色がある。それぞれいくつか。〕
「答曰:木八十一。枝七百二十九。巢六千五百六十一。禽五萬九千四十九。雛五十三萬一千四百四十一。毛四百七十八萬二千九百六十九。色四千三百四萬六千七百二十一。」
「術曰:置九隄、以九乘之、得木之數。又以九乘之、得枝之數。又以九乘之、得巢之數。又以九乘之、得禽之數。又以九乘之、得雛之數。又以九乘之、得毛之敷。又以九乘之、得色之數」
この問題が千年以上たって、『算法統宗』(1593年刊行、塵劫記の模範となった本)の次のような問題に形を変えて出ているという。
「諸葛孔明には8人の将がいて、将ごとに8箇の営に分かれ、営ごとに8つの陣があり、陣ごとに8人の先鋒、先鋒ごとに8つの旗頭、旗頭ごとに8隊、隊ごとに8箇の甲、甲頭ごとに8箇の兵。答えは、19173385人。」 数値は、原文のまま標記したものであるが、この計算は次のように考えることがわかる。
将は8人、営は8×8=64、陣は8×64=512、先鋒は8×512=4096人、旗頭は8×4096=32768人、隊は8×32798=262144人、甲頭は8×262144=2097152人、兵は8×262144=16777216人。このうち、営と陣が人ではなく、残りが人であるから、合計は8+4096+32768+262144+2097152+16777216=19173384人。これでは1人足りなくなる。しかし、諸葛孔明を足せばちょうどになるのである。
いずれにしても、これらをネタにして、塵劫記の烏算が出来上がったものと思われる。
油、酒、醤油のようなものを、与えられた容器だけを用いて等分する問題が、「油分け算」である。吉田光由の著した『塵劫記』に、こんな問題がある。
「斗桶に油が1斗(=10升)ある。これ二人で分けるのだが、7升ますと3升ますしかない。この二つだけで、5升ずつ等分してほしい。」
そのやり方としては、まず3升ますで3杯7升ますへ入れると、3杯目は3升ますに2升残る。そこで、7升ますの油を斗桶に戻し、3升ますに残った2升を7升ますに移す。そうしてから、もう1回斗桶から油を3升ますに入れ、これを7升ますに加えれば、7升ますと斗桶に5升ずつあることになり、これで等分されたことになる。
この油分け算は、『塵劫記』以前の日本の文献には見当たらないし、中国の文献にも見当たらない。しかし西洋には古くからあるので、キリスト教の宣教師が伝えた可能性もあるが、これと同一の問題が見当たらないので、断定はできない。あるいは何かがヒントになって、日本で作り出されたのかもしれない。
西洋には、13世紀の中頃にはすでにこの種の問題があったといわれている。Claude-Gaspard Bachet 〔クロード=ガスパール バシェー、1581~1638年、フランスの数学者〕の著した『数学遊戯問題集』(改訂増補版、1624)には、8パイントのワインを、5パイントと3パイントの容器で等分する問題が載っている。また、16バイントを9パイントと7パイントの容器で、同じく16を11と6の容器で、42を27と12の容器で等分する問題も載っている。そして、いずれも解法が2つずつしめされている。西洋の問題は、いずれもワインや精油を等分する問題になっている。
油分け算を解く一般的なルールは次の通りである。A、B、C、3種類の容器があって、A>B>Cだとすると、
(1)Bが空なら、Aの油をBに満たす。
(2)Bに油が入っていたら、次のどちらかを行う。
(イ)Cが一杯でなければ、Bの油でCを満たす。
(ロ)Cが一杯なら、それをAにあけてから、(イ)を行う。
以上の操作を繰り返せば自然に解が得られる。
油分けの問題について、1939年、Tweedie(ツイーディー)という人が、《Mathematical Gazette》誌で、グラフを用いる巧妙な方法を紹介している。図(左)は『塵劫記』の問題をグラフにしたもので、х軸は3升ます、у軸は7升ます、斜め方向に書かれている数は、斗桶に入っている油の量を示している。出発点はx=0、y=0の点、つまりDであり、目的地はx=0、y=5の点(○印)である。
1回の移動は直線状を行けるところまで行くこととし、途中で止まることは出来ない。まずDからAへ動かし、次にx=0、y=3の点へ、さらにx=3、y=3の点へ動かす。このようにして、目的地に到達するまでのコースを示したのが、図(右)である。この結果は塵劫記にある結果と一致する。
最初DからACに行かずCに行くコースも当然考えられる。これによって別解を得ることが出来る。
そのやり方としては、まず3升ますで3杯7升ますへ入れると、3杯目は3升ますに2升残る。そこで、7升ますの油を斗桶に戻し、3升ますに残った2升を7升ますに移す。そうしてから、もう1回斗桶から油を3升ますに入れ、これを7升ますに加えれば、7升ますと斗桶に5升ずつあることになり、これで等分されたことになる。
この油分け算は、『塵劫記』以前の日本の文献には見当たらないし、中国の文献にも見当たらない。しかし西洋には古くからあるので、キリスト教の宣教師が伝えた可能性もあるが、これと同一の問題が見当たらないので、断定はできない。あるいは何かがヒントになって、日本で作り出されたのかもしれない。
西洋には、13世紀の中頃にはすでにこの種の問題があったといわれている。Claude-Gaspard Bachet 〔クロード=ガスパール バシェー、1581~1638年、フランスの数学者〕の著した『数学遊戯問題集』(改訂増補版、1624)には、8パイントのワインを、5パイントと3パイントの容器で等分する問題が載っている。また、16バイントを9パイントと7パイントの容器で、同じく16を11と6の容器で、42を27と12の容器で等分する問題も載っている。そして、いずれも解法が2つずつしめされている。西洋の問題は、いずれもワインや精油を等分する問題になっている。
油分け算を解く一般的なルールは次の通りである。A、B、C、3種類の容器があって、A>B>Cだとすると、
(1)Bが空なら、Aの油をBに満たす。
(2)Bに油が入っていたら、次のどちらかを行う。
(イ)Cが一杯でなければ、Bの油でCを満たす。
(ロ)Cが一杯なら、それをAにあけてから、(イ)を行う。
以上の操作を繰り返せば自然に解が得られる。
1回の移動は直線状を行けるところまで行くこととし、途中で止まることは出来ない。まずDからAへ動かし、次にx=0、y=3の点へ、さらにx=3、y=3の点へ動かす。このようにして、目的地に到達するまでのコースを示したのが、図(右)である。この結果は塵劫記にある結果と一致する。
最初DからACに行かずCに行くコースも当然考えられる。これによって別解を得ることが出来る。
書名の『塵劫記』は天竜寺の長老玄光がつけたものといわれ、法華経の「塵点劫」(この世の土を細かく砕いて粉にしたものを千の国を通るたびに一粒ずつ落としていき、その砂がなくなるまでに通る国の数のことで、数えきれないくらい大きな数のたとえ。法華経の「化城喩品(けじょうゆほん)第七」などにその記述がある)に由来しており、「(永遠に等しいほど)長い時間経っても変わることのない真理の書」という意味が込められているという。
本書は初めに大数、小数および各種の計量単位の名称を表示、続いて算盤に拠る乗除の方法を詳細に図解し、次に当時通用の貨幣の換算、利息・租税・売買の計算から始めて、諸種の形の面積・体積の求め方、土木事業に関する計算など、日常生活に必要なあらゆる計算にわたって懇切に説明している。その説明は数学的に極めて巧みで、後生の数学者の中で、この書によって数学を独習したといわれる者も少なくない。後に和算の大家となった関孝和〔1642~1708年〕や儒学者の貝原益軒〔1630~1714年〕なども、若いころ『塵劫記』で数学を独習していたといわれる。また学者のみならず、懇切丁寧な説明と非常に多い挿絵のおかげで、民衆にも広く愛された。
なお、本書の最後の部分には、「継子立て」「鼠算」「日々倍増し」など、種々の興味ある数学遊戯が載せてあり、これが本書を有名にした原因となったともいわれている。
訳:正月に、ネズミのつがいがあらわれ、子を12匹産む。そして親と合わせて14匹になる。このネズミは、二月に子ネズミがまた子を12匹ずつ産むため、親と合わせて98匹になる。この様に、月に一度ずつ、親も子も孫もひ孫も月々に12匹ずつ産む時、12ヶ月でどれくらいになるかというと、276億8257万4402匹となる。
3人の宣教師と3人の人食い人が川にさしかかったが、2人乗りの舟が1そうあるだけである。ところで、いかなる時でも、宣教師の数がそこにいる人食い人より数が少なくなると、彼らに食い殺されしまう。どうしたら無事に渡れるだろうか。
河渡りの問題は、東洋では西暦紀元前からあったといわれ、西洋でも8世紀のA.Alcuin(アルクイン)までさかのぼることができるので、きわめて古いパズルであるといえる。
※Alcuin(アルクィン、735?~ 804年)はイングランドのヨーク出身の修道士、神学者である。/アングロ・サクソン人で長年ヨークにある学校の教師として勤めたのち、カール大帝のフランク王国の教会制度と教育制度の相談役を務めた。769年からはトゥールの司教となり、聖マルティヌス(サン・マルタン)修道院の院長であった。
アルクインの問題は次のようなものである。
オオカミとヤギを連れ、キャベツの籠を持った男が、川を舟で渡ろうと思った。しかし、舟には男以外にどれか一つしか積むことができない。ところが、男がいないとオオカミはヤギを食うし、ヤギはキャベツを食べてしまう。どうしたら無事に渡れるだろうか。
この解は2通りあるが、その一つをしめすと、
(1)ヤギを渡す。(2)男だけ戻ってくる。(3)オオカミを渡す。(4)ヤギを連れて戻る。(5)キャベツの籠を渡す。(6)男だけ戻ってくる。(7)もう1度ヤギを渡す。以上7回河を渡ることで目的が達せられる。
この問題を、さらに複雑にしたのは16世紀のTartaglia〔タルターリア、1500~1557年頃〕である。
※Tartaglia〔タルターリア、1499か1500~1557年〕はルネサンス期イタリアの数学者、技術者。少年期に口に受けた傷によって、どもりを意味するイタリア語に由来するニックネーム、タルターリアを与えられた。正式の教育はほとんど受けなかったが、持ちまえの勤勉さで数学的知識をものにした。数学上の独創的業績としては、1535年の三次方程式の解の発見が第1にあげられる。
彼は嫉妬深い夫婦の河渡り問題を提起した。曰く、「3組の夫婦が河を舟で渡ろうと思った。舟には一度に2人しか乗ることができない。ところが、かれらはきわめて嫉妬深く、妻は自分の夫が対でない他の夫人と一緒にいることは我慢がならない。夫の方も自分の妻が対でない他の男と一緒にいることは許さない。どうしたらトラブルなしに河を渡ることができるだろうか。」
これは11回河を渡る必要がある。3組の夫をA、B、Cで、その妻をa、b、cで表すと、付図の解はその一例である。
河渡りが無事に出来るかどうかは、夫婦の組み数と舟の定員によって決まってくる。舟の定員が夫婦のくみ数が何組あっても河渡りは可能である。つまり、一組の夫婦が船頭役になって、他の夫婦を対岸に送り届けれはよいからである。
M.kraitchik(クライチック)という人がその著書の中で、これを付表のようにまとめている。この表で判るように、ボートの定員が2名である場合に可能なのは3組までで、4組になるとこの条件では渡ることができない。
アルクインの問題は次のようなものである。
オオカミとヤギを連れ、キャベツの籠を持った男が、川を舟で渡ろうと思った。しかし、舟には男以外にどれか一つしか積むことができない。ところが、男がいないとオオカミはヤギを食うし、ヤギはキャベツを食べてしまう。どうしたら無事に渡れるだろうか。
(1)ヤギを渡す。(2)男だけ戻ってくる。(3)オオカミを渡す。(4)ヤギを連れて戻る。(5)キャベツの籠を渡す。(6)男だけ戻ってくる。(7)もう1度ヤギを渡す。以上7回河を渡ることで目的が達せられる。
この問題を、さらに複雑にしたのは16世紀のTartaglia〔タルターリア、1500~1557年頃〕である。
彼は嫉妬深い夫婦の河渡り問題を提起した。曰く、「3組の夫婦が河を舟で渡ろうと思った。舟には一度に2人しか乗ることができない。ところが、かれらはきわめて嫉妬深く、妻は自分の夫が対でない他の夫人と一緒にいることは我慢がならない。夫の方も自分の妻が対でない他の男と一緒にいることは許さない。どうしたらトラブルなしに河を渡ることができるだろうか。」
これは11回河を渡る必要がある。3組の夫をA、B、Cで、その妻をa、b、cで表すと、付図の解はその一例である。
河渡りが無事に出来るかどうかは、夫婦の組み数と舟の定員によって決まってくる。舟の定員が夫婦のくみ数が何組あっても河渡りは可能である。つまり、一組の夫婦が船頭役になって、他の夫婦を対岸に送り届けれはよいからである。
人間や動物の内臓も脳も、古代人にとっては迷路であった。迷路は死の象徴であり、それを抜け出すことで復活を意味し未来を表したのである。また迷路によって特別の力が得られると考えられ多分に呪術的に意味を持っていたのであろう。
ヨーロッパには、古くから迷路の形に踊ったり、迷路を走り抜けたりする民俗的な行事があったという。北欧の石積みの迷路[図1]やイギリスの芝生の迷路は代表的な例であって、各所にその跡が残っているという。やがて教会にも積極的に取り入れられるようになり、大聖堂の床面に迷路を埋め込んだり[図2]、壁面に描いたりした。その古いものは4世紀のものもあるといわれるが、盛んに作られるようになったのは12世紀初めからだといわれる。これらの迷路は歴史的には興味深いものでも、そのほとんどがただくねくねしているだけでパズル的要素はほとんどなかったという。ところが、宗教改革以降になると、もっと娯楽的なパズル的な色彩の強い迷路が現れるようになる。庭園の中に生け垣で迷路を作ることの流行によって、数多くの迷路が作られた。中でもイギリスのハンプトン・コート宮殿にある迷路[図3]はその代表的なもので、これは1690年にウイリアム三世のために作られたものであるという。こうした庭園迷路は、ひところ大流行した巨大迷路の前身といってもよい。
このような庭園迷路は、紙に描いたものを見れば、容易に中央に達したり、通り抜けたりできるが、実際に辿ってみるとなかなか厄介なものである。その簡単な脱出法としては、片手を壁に触れたまま壁に沿って歩いていくやり方があり、ハンプトン・コートのこの方法で中央に達し、再び出てくることが可能である〔図3〕。もしこの方法で堂々巡りをするようなら、その場で回れ右をして、今度は反対の壁に沿っていく。平面的な迷路であれば、右手法を使うと必ず出口にたどり着く。しかし、迷路のスタートないしゴールが迷路の中にあったり、あるいは迷路が立体的だったりした場合は、右手法の結果スタート地点に戻ってしまう事もありうる〔図4〕。
しかしパズルとしては、紙に描かれた迷路で楽しまれるケースが多く、1972年、ロシア生まれの画家V.Koziakin〔V.コズイアキン〕という人がデザイン的におもしろい迷路を発表したことにより、ひところ迷路の本が爆発的に流行したという。紙に書いた迷路の場合は、三方を壁で囲まれた袋小路をすべて塗りつぶし、それによって生じた袋小路も順に塗りつぶしていくと、最後に進路だけが白く残る[図5]。
歳末総選挙で、東京都知事選の方は全くボヤケてしまっているようだ。今朝のウェブニュースより
ドッチラケ都知事選 猪瀬直樹副知事 楽々当選という絶望 これで都政の私物化はますます深刻化 ―― 東京都知事選がドッチラケの展開になってきた。民主党などが立候補を要請していた舛添要一・新党改革代表(63)が「総選挙の対応に専念する」として出馬を見送ったからだ。衆院選に出る東国原英夫・前宮崎県知事(55)なんかはどうでもいいとして、松沢成文・前神奈川県知事(54)、宇都宮健児・日弁連前会長(65)、笹川尭・元科技担当相(77)など、既に立候補表明しているメンメンは、事前の世論調査では全然ダメだ。で、このままでは、猪瀬直樹副知事(65)が、ラクラク当選しそうなのである。/「先週末に自民党が行った情勢調査では、猪瀬が支持率40%でダントツでした。東国原は10%、宇都宮6%、松沢6%。メディアの調査でも同じ傾向です。自民党は党本部が猪瀬を推したが、都議団は難色を示していた。でも、こんな数字が出たことで、押し切られそうです」(都政記者)/猪瀬は来週中に出馬を正式表明する見通し。石原慎太郎の太陽の党、みんなの党、公明党も猪瀬を支援するという。投票日が総選挙とのダブルになったことで、各党は都知事選どころではなくなり、「もう猪瀬で決まり」という空気だ。/しかし、本当にそれでいいのか。猪瀬は石原都政の継承者だから、五輪招致や新銀行東京といった石原の“負の遺産”にスパッと見切りをつけることは絶対にできない。それどころか、都政をブン投げた石原から子飼いの特別秘書2人を「専門委員」として押し付けられても文句も言わず、黙認しているのだ。専門委員の報酬は月額33万5000円。たかり老人の公私混同で都民の税金が消えていくこんなデタラメにストップをかけられない猪瀬が新知事なんて、絶望的だ。ジャーナリストの横田一氏がこう言う。/「猪瀬さんは、東電批判やエネルギーシフトは主張しているものの、脱原発ではない。八ツ場ダムについても、当初『都の需要予測はあまりに過大ではないか』と言っていたが、結局、石原氏のダム推進を見過ごした。著書の『日本国の研究』では公共事業のムダを指摘していたのに、変節です」/そもそも、石原はなぜ知事を辞めたのか。新銀行で失敗し、五輪招致がほぼ絶望になり、尖閣という“オモチャ”も国有化され、居座っても非難の的になるだけなのが分かったからだ。しかし、まったく新しい知事では旧悪をバラされてしまう。だから身内の猪瀬にすべく、突然、ブン投げ、“後継指名”で流れをつくったのである。/こういうことを政治の私物化という。猪瀬知事では、都政の私物化がますます深刻化することになる。 〔日刊ゲンダイ 2012年11月16日 掲載〕
「継承」「刷新」構図固まる 猪瀬氏「石原さんとのコンビ続く」―― 東京都の石原慎太郎前知事の辞職に伴う知事選で、都副知事で作家の猪瀬直樹氏(66)が二十一日、都庁で記者会見し、無所属で立候補することを正式に表明した。石原氏から後継指名を受け、都政を「継承」する猪瀬氏に対し、ほかの立候補予定者たちが「刷新」を訴えるという選挙の構図が固まった。/猪瀬氏は「都民の安全と安心を守るため、日本の国を東京から支えるために、重責を担う決心をした」と説明。石原氏との関係について「石原さんと僕のコンビは続いていく。国政で彼がやり、都政で僕がやる。話がつきやすい」と蜜月ぶりをアピールした。/公約として、老朽化した火力発電所を最新鋭の天然ガス火力に置き換える電力エネルギー改革のほか、東京メトロと都営地下鉄の経営一元化、二〇二〇年夏季五輪の東京招致推進など、石原都政の主な政策を掲げた。/経営再建中の新銀行東京の存廃については「重要な争点ではないと思う」とし、「現状を改善することに尽きる」と述べた。/猪瀬氏は石原氏に請われて〇七年六月に都副知事に就任。石原氏の辞職後は、知事の職務代理者を務めている。今月二十九日の告示まで副知事にとどまる見通し。/猪瀬氏をめぐっては自民、公明が支持を決め、日本維新の会とみんなの党も支援の方針を明らかにしている。/都知事選では、前神奈川県知事の松沢成文氏(54)、前日本弁護士連合会会長の宇都宮健児氏(65)、元自民党総務会長の笹川尭(たかし)氏(77)らが出馬を表明している。 〔東京新聞 2012年11月22日 朝刊〕
2009年の政権交代の象徴だった鳩山由紀夫元首相が、民主党政権の混迷の3年余りを象徴する形で衆院選不出馬に追い込まれたらしい。今朝のウェブニュースより
鳩山氏不出馬 公認誓約書が壁に 民主幹部らに意向 ―― 民主党の鳩山由紀夫元首相(65)=衆院道9区=は20日、12月4日公示、同16日投開票の次期衆院選に立候補しない意向を固め、民主党幹部や地元関係者らに伝えた。党執行部が消費税増税や環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加推進などの党方針に従うことを公認条件としたため、出馬を断念せざるを得ないと判断した。民主党を政権政党に導いた鳩山氏の不出馬で、同党分裂に拍車が掛かる可能性がある。/鳩山氏は道9区(胆振、日高管内)から立候補予定だったが、民主党道9区合同選対本部長の新宮正志前室蘭市長によると、20日午後6時すぎ、鳩山氏が電話で「最後まで党内に残りたかったが、情勢が厳しくなった。党を離れれば選挙は戦えなくなる」と話し、不出馬を伝えた。/鳩山氏は消費税増税やTPP推進などの重要政策をめぐり、野田佳彦首相の方針を批判していたが、民主党執行部は次期衆院選で公認候補を決めるに当たり、党方針に従うことを求める「公認申請書」(誓約書)への署名を条件とした。このため鳩山氏は、公認を得るのが困難になり、離党して選挙戦を戦うのも難しいと判断した。/鳩山氏は20日夜、都内で記者団に「21日に野田首相に直接会ってからお話しする。私は民主党に愛着がある」と述べた。/野田首相に不出馬を伝えた後、地元の道9区に戻り、自身の後援会に事情を説明するとみられる。 〔Doshin 11/20 21:23、11/20 23:44 更新<北海道新聞11月21日朝刊掲載> 〕
「もともと辞めると言ってた」=鳩山元首相の不出馬―石破自民幹事長【12衆院選】―― 自民党の石破茂幹事長は20日夜、都内で記者団に対し、民主党の鳩山由紀夫元首相が衆院選不出馬を党執行部に伝えたことについて「首相を辞めたときに議員を辞めると言っていた。言ったことを実行するのは政治家として当然だ。もともと辞めると言っていた人が辞めただけだ」と冷ややかに語った。石破氏は「(民主党が)政策の一致した、純化された集団として政界再編の一つの核になることは、それはそれで望ましい」とも述べた。自民党の菅義偉幹事長代行は鳩山氏について「戦いに入って勝つ見通しは全くなかったと思う。追い込まれ、最後は出馬しないと思っていた」と語った。 [時事通信社]〔ウォール・ストリート・ジャーナル 2012年 11月 20日 23:12 JST〕
いやはや、野田首相は3党合意の枠組みで自公との大連立政権を樹立するつもりなのだろうか。まあ、鳩山由紀夫氏の作った民主党は「庇を貸して母屋を取られる」だ。橋下徹氏の作った維新の会も、石原慎太郎氏に庇を貸したようなものだ。やがては橋下氏も鳩山氏の二の舞を踏むことにならなければよいが……
「もともと辞めると言ってた」=鳩山元首相の不出馬―石破自民幹事長【12衆院選】―― 自民党の石破茂幹事長は20日夜、都内で記者団に対し、民主党の鳩山由紀夫元首相が衆院選不出馬を党執行部に伝えたことについて「首相を辞めたときに議員を辞めると言っていた。言ったことを実行するのは政治家として当然だ。もともと辞めると言っていた人が辞めただけだ」と冷ややかに語った。石破氏は「(民主党が)政策の一致した、純化された集団として政界再編の一つの核になることは、それはそれで望ましい」とも述べた。自民党の菅義偉幹事長代行は鳩山氏について「戦いに入って勝つ見通しは全くなかったと思う。追い込まれ、最後は出馬しないと思っていた」と語った。 [時事通信社]〔ウォール・ストリート・ジャーナル 2012年 11月 20日 23:12 JST〕
いやはや、野田首相は3党合意の枠組みで自公との大連立政権を樹立するつもりなのだろうか。まあ、鳩山由紀夫氏の作った民主党は「庇を貸して母屋を取られる」だ。橋下徹氏の作った維新の会も、石原慎太郎氏に庇を貸したようなものだ。やがては橋下氏も鳩山氏の二の舞を踏むことにならなければよいが……
2009年の政権交代の象徴だった鳩山由紀夫元首相が、民主党政権の混迷の3年余りを象徴する形で衆院選不出馬に追い込まれたらしい。今朝のウェブニュースより
鳩山氏不出馬 公認誓約書が壁に 民主幹部らに意向 ―― 民主党の鳩山由紀夫元首相(65)=衆院道9区=は20日、12月4日公示、同16日投開票の次期衆院選に立候補しない意向を固め、民主党幹部や地元関係者らに伝えた。党執行部が消費税増税や環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加推進などの党方針に従うことを公認条件としたため、出馬を断念せざるを得ないと判断した。民主党を政権政党に導いた鳩山氏の不出馬で、同党分裂に拍車が掛かる可能性がある。/鳩山氏は道9区(胆振、日高管内)から立候補予定だったが、民主党道9区合同選対本部長の新宮正志前室蘭市長によると、20日午後6時すぎ、鳩山氏が電話で「最後まで党内に残りたかったが、情勢が厳しくなった。党を離れれば選挙は戦えなくなる」と話し、不出馬を伝えた。/鳩山氏は消費税増税やTPP推進などの重要政策をめぐり、野田佳彦首相の方針を批判していたが、民主党執行部は次期衆院選で公認候補を決めるに当たり、党方針に従うことを求める「公認申請書」(誓約書)への署名を条件とした。このため鳩山氏は、公認を得るのが困難になり、離党して選挙戦を戦うのも難しいと判断した。/鳩山氏は20日夜、都内で記者団に「21日に野田首相に直接会ってからお話しする。私は民主党に愛着がある」と述べた。/野田首相に不出馬を伝えた後、地元の道9区に戻り、自身の後援会に事情を説明するとみられる。 〔Doshin 11/20 21:23、11/20 23:44 更新<北海道新聞11月21日朝刊掲載> 〕
「もともと辞めると言ってた」=鳩山元首相の不出馬―石破自民幹事長【12衆院選】―― 自民党の石破茂幹事長は20日夜、都内で記者団に対し、民主党の鳩山由紀夫元首相が衆院選不出馬を党執行部に伝えたことについて「首相を辞めたときに議員を辞めると言っていた。言ったことを実行するのは政治家として当然だ。もともと辞めると言っていた人が辞めただけだ」と冷ややかに語った。石破氏は「(民主党が)政策の一致した、純化された集団として政界再編の一つの核になることは、それはそれで望ましい」とも述べた。自民党の菅義偉幹事長代行は鳩山氏について「戦いに入って勝つ見通しは全くなかったと思う。追い込まれ、最後は出馬しないと思っていた」と語った。 [時事通信社]〔ウォール・ストリート・ジャーナル 2012年 11月 20日 23:12 JST〕
いやはや、野田首相は3党合意の枠組みで自公との大連立政権を樹立するつもりなのだろうか。まあ、鳩山由紀夫氏の作った民主党は「庇を貸して母屋を取られる」だ。橋下徹氏の作った維新の会も、石原慎太郎氏に庇を貸したようなものだ。やがては橋下氏も鳩山氏の二の舞を踏むことにならなければよいが……
「もともと辞めると言ってた」=鳩山元首相の不出馬―石破自民幹事長【12衆院選】―― 自民党の石破茂幹事長は20日夜、都内で記者団に対し、民主党の鳩山由紀夫元首相が衆院選不出馬を党執行部に伝えたことについて「首相を辞めたときに議員を辞めると言っていた。言ったことを実行するのは政治家として当然だ。もともと辞めると言っていた人が辞めただけだ」と冷ややかに語った。石破氏は「(民主党が)政策の一致した、純化された集団として政界再編の一つの核になることは、それはそれで望ましい」とも述べた。自民党の菅義偉幹事長代行は鳩山氏について「戦いに入って勝つ見通しは全くなかったと思う。追い込まれ、最後は出馬しないと思っていた」と語った。 [時事通信社]〔ウォール・ストリート・ジャーナル 2012年 11月 20日 23:12 JST〕
いやはや、野田首相は3党合意の枠組みで自公との大連立政権を樹立するつもりなのだろうか。まあ、鳩山由紀夫氏の作った民主党は「庇を貸して母屋を取られる」だ。橋下徹氏の作った維新の会も、石原慎太郎氏に庇を貸したようなものだ。やがては橋下氏も鳩山氏の二の舞を踏むことにならなければよいが……
今朝ほどパソコンを開くと、オーストラリアのmihoちゃんからメールが入っていた。曰く、
節夫おじさん、道子おばさん お元気ですか?/メールを頂きありがとうございます。/日本は、過ごしやすい秋が終わりの頃になってきているのでしょうか? /金婚式を迎えたとのことで、大変おめでとうございます。/マットのような人と巡り合えて私は、とても幸せです。/両親とは、遠く離れた土地で暮らし、大変親不孝な娘だと思いますが、出来る限り親孝行をしたいと思っています。
節夫おじさんと、道子おばさんは、私にとって一番近い存在で、小さい頃、浅草の家に遊びに行くのがとても楽しみでした。/おじさんとおばさんがいつも暖かく迎えてくれて、おじさんがいつもクイズ、な
ぞなぞ、算数の問題をだしてくれたり、(時々将棋やチェスもしましたね。)/おばさんがおいしい料理を用意してくれて、とても幸せで、楽しい時を過ごしました。/日本には、毎年行く予定ですが、今年は両親がシドニーに来てくれたのと、マットの仕事が忙しいので来年に行く予定です。/また日本に行くときには連絡します。/スカイツリーの写真をありがとうございます。とても綺麗に写っているのが見えます。
プロフィール
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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