瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  昨日は、管理ページからの記事書き込みが出来ず、このブログを立ち上げてもらった、Y社のS氏に今朝ほど管理ページの点検をお願いしておいた。曰く、「大変永らくご無沙汰いたしました。お変わりございませんか。/ここの所、ブログも順調で便利してきましたが、昨日から、管理ページで記事の書き込みが出来なくなりました。/申し訳ありませんが、管理ページを見ていただけませんでしょうか?/なんだか、こちらの都合だけで、お願いするようで誠に勝手なようですが、宜しくお願いいたします。」
 午後管理ページを立ち上げてみると、書き込みが出来るようになっていた。S氏が点検の上、復元させてくださったのかどうかはよく判らない。早速S氏にメールしておいた。曰く、「 多分貴兄のお骨折りで、復元したものと思いますが、午後に管理ページを開くと、記入可能に復元していました。/何はともあれ、お手数をお掛けいたしました。これからも宜しくお願いいたします。/先ずは、復元お知らせまで」
 
 早速、アメリカ大統領選挙のニュースをブログに記載する。
 
07d97f23.jpeg オバマ大統領再選 ロムニー氏振り切る ――【ワシントン共同】米大統領選は6日(日本時間7日)開票され、民主党現職のバラク・オバマ大統領(51)が共和党のミット・ロムニー候補(65)を振り切り、再選を確実にした。景気と雇用が最大の争点となった選挙で米国民は、経済再生には富裕層増税や福祉充実など「公平な社会」実現が必要だと訴えたオバマ氏を信任した。/米主要メディアによると、オバマ氏は鍵を握る激戦州の中西部オハイオや同アイオワで勝利し、東部や西海岸の地盤も確実に獲得した。オバマ氏は短文投稿サイト「ツイッター」で支持者に謝意を伝え、事実上の勝利宣言をした。 〔47ニュース 2012/11/07 14:06 【共同通信】〕
 
4c3844b7.jpeg  午前4時20分に家を出て、桜橋から今戸・橋場の遊歩道を通り、白鬚橋を渡り、向島遊歩道を南下、途中テラスを通り、桜橋、言問橋を潜って、枕橋手前の昇降口から、遊歩道に上がり、枕橋を渡り、墨田区役所の前を通り抜け、東駒形遊歩道から、駒形橋を渡り、江戸通りと並行する裏道を通り、吾妻橋の西詰で再び隅田公園に入る。この辺りで、5時50分――辺りが白み始める。東部伊勢崎線の橋梁を潜り、東参道水上バス乗り場辺りから、テラスを北上。桜橋の水上バス乗り場の昇降口の坂を上っていると、テラスを白鬚橋の方から南下してくるワンさんの姿を見かけた。ここのところ朝の徘徊で暫く会わなかったので、見下ろす角度で失礼だとは思ったが、写真を取らせてもらった。
 帰宅すると携帯電話を使って、ワンさんに宛に写真を貼付送信すると、間もなく折り返し受信のお礼のメールが入った。
 
今朝のウェブニュースより
 
8503744c.jpeg 石原新党 都市部で強み発揮 維新支持層6割が「期待」―― 共同通信の世論調査によると、石原慎太郎前東京都知事が結成を目指す新党に対し、男性の35.0%が「期待する」と回答したのに対し、女性は45.0%で、女性の期待度の方が高いことが分かった。町村などの郡部よりも都市部で強みを発揮する傾向も読み取れた。/石原新党に「期待しない」との回答は男性で58.3%、女性で48.5%だった。/都市の規模別にみると、大都市(東京二十三区、政令指定都市)では石原新党に期待するとの回答は42.1%(期待しないは53.2%)、有権者十万人以上の中都市では41.1%(同52.4%)だった。これに対し有権者十万人未満の小都市では37.8%(同53.6%)、郡部(町村)では38.0%(同56.5%)だった。/支持政党別でみると、石原新党との連携を模索する「日本維新の会」支持層は「期待する」(59.3%)が「期待しない」(34.9%)を上回った。民主党支持層では「期待しない」が67.0%と多数派。同様に自民党支持層は51.9%、「支持政党なし」の無党派層は55.2%と「期待しない」が過半数を占めた。
  〔東京新聞 2012年11月5日 朝刊〕
900d4636.jpeg  昨日、西宮のYK氏より、第64回正倉院展の図録が送られてきた。これは毎年、正倉院展が開かれるたびに送っていただいているものだ。文化庁の月報に第64回正倉院展の紹介記事が出ていたので、ここに転載しておく。

 
 奈良国立博物館「第64回正倉院展」 会期:平成24年10月27日(土)~11月12日(月)全17日 ―― 奈良国立博物館学芸部情報サービス室長 吉澤悟
 本年の正倉院展は、数ある正倉院宝物の中から北倉23件、中倉23件、南倉14件、聖語蔵(しょうごぞう)4件の総計64件が出陳されます。例年通り正倉院宝物の全体像が展望される構成となっており、初出陳も9件ございます。/本年の特色を摘記すると、まず特筆されるのは聖武天皇ゆかりの北倉の宝物が多数出陳される事です。分けても、紫檀(したん)の黒い地に螺鈿(らでん)の白さが映える螺鈿紫檀琵琶(らでんしたんのびわ)とこれに附属する紅牙撥鏤撥(こうげばちるのばち)は華麗な天平時代の宮廷生活を想像させるのに充分な美しさと品格を兼ね備えています。また木画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)をはじめ双六の玉や賽子(さいころ)等がまとめて出陳され、音楽とあわせて宮廷での遊びや楽しみの世界が展示室に甦ります。
 次いで注目されるのは平成6年以来18年ぶりの出陳となる瑠璃坏(るりのつき)です。コバルトブルーのうっとりするような輝きやワイングラスを思わせる器形は、シルクロードの果てにある遠い異国を想い起こさせます。碧瑠璃小尺(へきるりのしょうしゃく)・黄瑠璃小尺(きるりのしょうしゃく)のようなガラスを使ったアクセサリーやガラスの原料となった丹(たん)、同じ素材を釉薬(ゆうやく)に用いる磁瓶(じへい)などとともに古代ガラスの世界に浸っていただければ幸いです。
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30f6b14e.jpeg この他、銀平脱八稜形鏡箱 (ぎんへいだつはちりょうがたのかがみばこ)や密陀彩絵箱(みつださいえのはこ)、紫檀小架(したんのしょうか)など華麗な装飾が施された調度品、紫地亀甲仏殿文錦(むらさきじきっこうつぶでんもんのにしき)や赤地鴛鴦唐草文錦大幡脚端飾(あかじおしどりからくさもんにしきのだいばんのきゃくたんかざり)などの華やかな染織品、珍しいところでは古代の書見台(しょけんだい)である紫檀金銀絵書几(したんきんぎんえのしょき)といった宝庫を代表する宝物が出陳されます。
 さらには、先日福岡県太宰府市の国分松本(こくぶまつもと)遺跡で戸籍に関する最古と思われる木簡が出土し話題を集めましたが、伝世されてきた最古の戸籍の一つである大宝2(702)年御野国(みののくに)山方郡(やまがたぐん)三井田里(みいだり)戸籍(こせき)が出陳される事、最近の正倉院事務所の調査研究により新たな事実が明らかとなった神護景雲2(768)年称徳天皇(しょうとくてんのう)勅願経(ちょくがんきょう)、宝亀5~7(774~776)年頃の書写である今更一部一切経(いまこういちぶいっさいきょう)と推定される経巻が出陳される事も話題を呼ぶ事でしょう。
 
瑠璃坏(るりのつき) (ガラスのさかづき)口径8.6cm 高11.2cm 重262.5g
c7f66f85.jpeg 紺色のガラス容器で、坏身の外側に環形の飾りを計22個貼りつけています。材質はアルカリ石灰ガラス、紺色の発色はコバルトによるもので大変あざやかです。銀製の台脚を備えており、その姿は後世のワイングラスを見るようです。これとよく似たガラス容器は、韓国・慶尚北道の松林寺磚(せん)塔(とう)(統一新羅時代)から発見されたものや、中国・西安市郊外の何家村(かかそん)から出土した平底のもの(唐時代)があります。シルクロードの交流を想像させる美しいガラス容器です。
 
螺鈿紫檀琵琶(らでんしたんのびわ)(弦楽器)全長99.6cm 胴幅41.5cm
e55c15ee.jpeg 『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に記されている、聖武天皇ご遺愛の品の一つです。背面と側面はシタン製で、背面には全面にヤコウガイを用いた螺鈿(らでん)と玳瑁(たいまい)(ウミガメの甲羅をスライスしたもの)をはめこみ、宝相華唐草文(ほうそうげからくさもん)を表しています。背面の中ほど左右には花にのる迦陵頻伽(かりょうびんが)が見え、唐草の蔓の間には鳥や雲も見ることができます。天平の宮廷生活を今に伝える逸品です。   以上 文化庁月報10月号より
 
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cd673f2d.jpeg 硯友会〔福岡県立門司高校同窓会〕から、会誌「硯の海」が送られてきた。総会に出席したわが同期の面々が10人ほど小さな写真に納まっていたので、拡大スキャンしてみた。名前を入れて、パソコン乃至携帯で送信できる友人に送っておいた。
 
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b2e1ec92.jpeg  昨11月1日、吾妻橋の西詰に招き猫が現れた。ここのところ、毎朝この場所を通るので、先月より、水上バスステーション前で何やら工事をやっていることは知っていたが、昨日の朝初めて御目見得した。台東区の広報によると、大理石彫刻にガラスとモザイクを組み合わせた、招き猫のオブジェなんだそうだ。猫の目や胸のハートにどのような仕掛けがあるのかは判らないが、覗くと辺りの風景が写っている。因みに名付けて「そらちゃん」というのだそうだ。
 「平成24年度地域連携GTS観光アートプロジェクト事業」というのがあって、東京藝術大学・台東区・墨田区の共催のプロジェクトが実施されているのだという。東京スカイツリーを眺めるビューポイントとなるアート作品を、台東区・墨田区あわせて12作品設置し、これらを結んだラインを巡り、地域の名所とともに観光できるよう、ふれあいの環境づくりをめざしているのだそうだ。
 まあ、こんな愚にもつかないものを造られて地元の衆はどう考えているのやら。肝腎のタワーの方は想定以上の電波障害で、機能の移転が対辺遅れているという。見るだけのスカイツリーなら必要ないのでは…
 ウェブニュースより、スカイツリーのニュースを毎日新聞より。
 
78e2beb8.jpeg <スカイツリー>電波障害、想定以上…機能移転大幅遅れ ―― 東京タワー(333m)から東京スカイツリー(634m)=今年5月開業=への電波塔移転が、当初予定の来年1月から大きくずれ込む見通しとなったことが27日、NHKなどへの取材で分かった。スカイツリーから電波を出した場合、想定以上の障害が発生する恐れが強く、対策に時間がかかるため。NHKと在京民放5社の放送事業者には、視聴者の多い昼間に東京タワーの電波を止めて、スカイツリーの障害の全容を把握すべきだとの声もあり、視聴者を巻き込んだ大きな混乱も予想される。/放送事業者は東京タワーから電波を関東広域圏に送出している。東京タワー開業から50年以上たち、周囲に高層ビルが建ち並んだため、ビル陰などによる電波障害の解消や新たな観光名所を目指して、約650億円かけてスカイツリーが建設された。/スカイツリーのアンテナは東京タワーより200m以上高い位置にあり、ビル陰などによる受信障害は大幅に減少すると予想されていた。ところが、今年7月からNHKと民放各局が共同で、スカイツリーから試験電波を出して受信状態のサンプル調査を始めたところ、電波が強すぎることやアンテナの向きが原因で、全く映らない世帯が方角や地域に関係なく見つかった。/障害の全容把握のための電波試験には、東京タワーの電波を止める必要があり、視聴者の多い昼間の試験となると影響も甚大だ。/NHKのある幹部は「1月の移転は無理。アナログ放送と並行した地デジ化とは異なり、今回は一夜で行うため、それまでに難視聴世帯対策を完了する必要がある。5月までに解決したいが、莫大(ばくだい)な追加費用がかかる」と戸惑いを隠さない。総務省関東総合通信局は「受信対策をしっかり行って、早く移転日を決めてほしい」と話している。  〔毎日新聞10月28日(日)8時48分〕
 
 スカイツリー:電波障害対策100億円 NHK・民放 ―― 東京スカイツリーで想定以上の電波障害が判明した問題で、NHKと在京民放5社の放送事業者が、受信対策などで最大100億円を負担することが1日、放送関係者への取材で分かった。受信状況のサンプル調査では、マンションなどの集合住宅で10.5%、戸建てで11%の世帯がスカイツリーからの電波を正しく受信できなかったことも判明。アンテナで受信する世帯は関東広域で約700万世帯に上り、影響が広範囲に及ぶことが予想される。/関東広域(約1750万世帯)をカバーする東京タワーから、スカイツリーへの電波塔機能移転のため、放送事業者は7〜10月、試験電波によるサンプル調査を実施した。問題となるのは、ケーブルテレビ視聴世帯を除いた、アンテナで受信する世帯。集合住宅を対象に7月と9月の深夜に計2回行ったところ、回答のあった約1900世帯のうち、約200世帯で電波障害が発生。約140件はアンテナの向きなどの問題で、残りは電波の強弱を調整するブースターの問題だった。9、10月に計3回実施した戸建て住宅では、同じく約2700世帯のうち約300世帯で障害があった。/その結果を受けて、放送事業者が試算したところ、各家庭のアンテナ調整や交換など受信対策に約70億円、受信相談のためのコールセンター設置や広報などの費用に約30億円、計100億円の経費が新たにかかる見込みとなった。費用は放送局側が負担するという。/サンプル調査は深夜に実施されたため回答数が少なく、実態を詳細に把握するため、年明けにも、視聴者のより多い早朝や昼間に試験を実施する方向で検討している。民放の中にはCMへの影響を懸念する声も上がっている。早急に受信対策を万全にしたうえで、来春にも移転したい考えで、NHKは「ワンセグの受信状況改善や地震対策のために、一刻も早くスカイツリーに移転したい」としている。  〔毎日新聞 2012年11月02日 02時30分〕
 
56df5e49.jpeg 『原論』〔古希: Στοιχεία(ストイケア)、英: Elements〕は、紀元前3世紀ごろにエジプトのアレクサンドリアで活躍した数学者Eukleides〔エウクレイデス、英語式には Euclid(ユークリッド)〕によって編纂された数学書である。論証的学問としての数学の地位を確立した古代ギリシア数学を代表する名著とされる。英語の数学「Mathematics」の語源といわれているラテン語またはギリシア語の「μάθημα [máthema](マテーマタ)」は「学ばれるべきことども」という意味であり、このマテーマタを集大成したものが『原論』であるといえる。
 本書の内容は現在でもユークリッド幾何学として広く知られるものを含んでいるが、原論そのものは幾何学のみを扱うものではない。全13巻で構成される。平面の初等幾何について述べられているのは1、2、3、4巻と6巻。 ただし、この内容はユークリッド本人の業績というよりは、それ以前にピュタゴラス学派等の貢献により、ユークリッドの時代より前から既に体系化されていた情報を再編纂したものである可能性が高いという。また、5巻、12巻は当時のプラトン学派数学者エウドクソスの業績であるし、10巻、13巻は同じくプラトン学派のテアイテトスの貢献によりもたらされたものと考えられる。 よって、ユークリッド本人は主に既存の知識と最新の学術成果を付け加えて、『原論』を編纂したものと考えられている。
 『原論』では23の定義からはじまり、5つの公準(要請)と、5つ(又は9つ)の公理(共通概念)が提示されている。
 定義は次のようなものから始る。
 1.点とは部分のないものである。 2.線とは幅のない長さである。 3.線の端は点である。 4.直線とはその上の点について一様に横たわる線である。 5.面とは長さと幅のみをもつものである。
 ここでは、「部分のない点」「幅のない線」「厚さのない面」等のような理念的抽象的な数学的対象が鼎立されているのである。こうして議論の前提となる点や線、直線、面、角、円、中心などの概念が次ぎ次ぎに定義され、次のような5つの公準を真であるとして受け入れることにより、作図の問題の基礎を明確にしている。
 1.任意の一点から他の一点に対して直線を引くこと 2.有限の直線を連続的にまっすぐ延長すること 3.任意の中心と半径で円を描くこと 4.すべての直角は互いに等しいこと 5.直線が2直線と交わるとき、同じ側の内角の和が2直角より小さい場合、その2直線が限りなく延長されたとき、内角の和が2直角より小さい側で交わる。
 これらのうち5番目の公準については古代より、他の公理、公準に比して突出して複雑、自明とするには疑問とされていたが、この疑問により、近代に至ってこの公準が成立しないとする幾何学である非ユークリッド幾何学の発端となる。
 さらに公準の後に次のような公理が示されるのであるが、公準が特に「幾何学的対象」の構成に関するものであるのに対し、公理は算術・幾何学も含めより広く「数量に関する科学一般」に妥当するものであるということが出来る。
 1.同じものと等しいものは互いに等しい 2.同じものに同じものを加えた場合、その合計は等しい 3.同じものから同じものを引いた場合、残りは等しい 4.[不等なものに同じものを加えた場合、その合計は不等である] 5.[同じものの2倍は互いに等しい] 6.[同じものの半分は互いに等しい] 7.互いに重なり合うものは、互いに等しい 8.全体は、部分より大きい 9.[2線分は面積を囲まない]
 ただし[ ]で囲まれた公理は公理に含めないことがある。第5公理は第2公理から導かれる。また第9公理を現代的に言い換えると「異なる2点を通る直線はただ1本だけ存在する」となる。第9公理は幾何学に関するものなので、本来は公準に含められるものと考えられる。
 
 これだけのギリシア数学の集大成が1つの理論体系として纏められていることは、まことに驚嘆すべきことである。Eukleides(エウクレイデス)をプラトン主義者に擬して、プラトン多面体の完結をと理想としたとも見られた(『原論』の第13巻はプラトン多面体といわれる5種の正多面体で終わっている)が、近年の研究においては、各巻の数学の源流はある程度独立しているようで、各巻の成立順序も一様ではないかもしれないとされている。それにしてもプラトン多面体が重要視されたことは事実であろう。
 逆に、プラトン主義というと「観念論」にコンプレックスを持ったり、何でもプラトン主義とアリストテレス主義とに分類したがる向きもあって、作図公準に領導されている構成について、アリストテレス的経験主義を読み込もうという考えもありうるが、Eukleides(エウクレイデス)の作図はすべて存在証明としての性格を持っているので、イデアだからこそ存在定理が意味を持ったとも考えられる。この一方で、この種の構成型の存在定理を。Eukleides(エウクレイデス)の特色にする考えもあるが、素数の存在のような間接的な存在証明もあることだし、むしろこちらのほうにエレア派の伝統を強調する立場も在る。
 いずれにせよ、この体系のあまりの完全さ(現代の立場から順序公理などの不備をあげることは出来ても)のゆえに『原論』は数学ばかりかすべての学問の規範とされ、「聖書に次ぐベスト・セラー」などといわれたのである。
26648444.jpeg  アレクサンドリアのEukleides〔エウクレイデス、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀?の人〕は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つStoikheia〔ストイケイア、『原論』(ユークリッド原論)〕の著者であり、「幾何学の父」と称される。Ptolemaĩos(プトレマイオス)1世治世下〔BC323~283年〕のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。Eukleides(エウクレイデス)は他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。
 なお、Eukleides(エウクレイデス)という名はギリシア語で「よき栄光」を意味する。その実在を疑う説もあり、その説によると『原論』は複数人の共著であり、Eukleides(エウクレイデス)は共同筆名とされる。
 確実なのは彼が古代の卓越した数学者で、アレクサンドリアで数学を教えていたこと、またそこで数学の一派をなしたことである。ユークリッド幾何学の祖で、原論では平面・立体幾何学、整数論、無理数論などの当時の数学が公理的方法によって組み立てられているが、これは古代ギリシア数学の一つの成果として受け止められている。
 Eukleides(エウクレイデス)の生涯についてはほとんど何もわかっていない。実際、主要な文献はEukleides(エウクレイデス)の数世紀後のProclus〔プロクルス、410~485年、ギリシャの数学・天文・哲学者〕やPappus〔パップス、アレクサンドリア生まれのエジプトの数学者。4世紀の前半に活躍した〕の著作しかない。Proclus(プロクルス)のEukleides(エウクレイデス)についての記述は『ユークリッド原論第1巻注釈』に簡単にあるだけで、これは紀元5世紀に書かれたものである。それによると、Eukleides(エウクレイデス)は『原論』の著者で、Archimedes〔アルキメデス、BC287~212年、古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、発明家、天文学者〕が彼に言及しており、Ptolemaĩos(プトレマイオス)1世が彼に「幾何学を学ぶのに『原論』よりも近道はないか?」と聞いたところ、彼は「幾何学に王道なし」と答えたとされている。Archimedes(アルキメデス)によるProlemaios(プトレマイオス)1世への言及と称されるものは、後世の編集による挿入だと見られているが、Eukleides(エウクレイデス)の著作がArchimedes(アルキメデス)の著作より古いことは確実とされている。「王道」の逸話も、Menaechmus〔メナイクモス、幾何学者〕とAlexandros(アレクサンドロス)3世の逸話にそっくりであり、本当かどうか疑問がある。もうひとつの重要な文献としてPappus(パップス)のものがあるが、こちらにはPerga(ペルガ)のApollonius〔アポロニウス、BC262?~190年頃、ギリシャの数学者・天文学者〕について言及する際に「(彼は)Alexandria(アレクサンドリア)のEukleides(エウクレイデス)の弟子たちと長く一緒に過ごし、そこでそのような科学的思考法を身につけた」とある。
cff4c872.jpeg 生年月日も亡くなった状況や日付も不明であり、同時代人の有名人との関係からおおまかに推測されているだけである。Eukleides(エウクレイデス)の肖像や外見の説明があったとしても、古代から後世に伝わっていない。したがって、Eukleides(エウクレイデス)を描いた絵や彫像は、その芸術家が想像を働かせて描いたものでしかない。ローマのバチカン宮殿にあるラファエロの有名な壁画「アテナイの学堂」にも、Platon〔プラトン、BC427~347年〕とAristoteles〔アリストテレス、BC384~322年〕が降りてくる階段の足元で、コンパスを使って図形を描いている姿で描かれている。
 16世紀後半になると、Eukleides(エウクレイデス)の著作はイエズス会を通じて中国の明にも伝えられた。イエズス会士のMatteo Ricci(マテオ・リッチ、 1552から1610年、イタリア人イエズス会員・カトリック教会の司祭)は、徐光啓(じょこうけい、1562~ 1633年、明代末期の中国の暦数学者、有名なキリスト教徒)との共同作業を通じて著作を漢訳し、1607年に『幾何原本』を刊行した。
 
  Zenonは、無限と運動についての4つのparadox〔パラドックス、逆説〕を唱えたことで有名である。
c1fd9a4e.jpeg 1.「分割のパラドックス」:運動は存在しない。なぜなら始点から終点までの移動は、終点に達する前に両者の中間、すなわち中点に達しなければならない。この中点に達するためには、この中点と始点との中点に達しなければならない。以下同様である。ところが、あるものが有限の時間にひとつひとつ無限のものに触れることは不可能である。ゆえに運動は存在しない。
764d38ee.jpeg 2.「アキレスと亀のパラドックス」:アキレスは亀を追い越せない。アキレスは一番速いから、一番のろい亀とハンディキャップを付けて、亀より後ろの位置から出発するとする。アキレスが亀を追い越すには、まず亀の出発点に達しなければならない。そのときには亀はもっと先の地点にいる。すると、アキレスはまたその地点まで達しなければならない。そのときには亀はその先の地点にいる。以下同様にして、アキレスが亀を追い越すためには、1つ1つ無限の地点に達しなければならない。これは不可能である。したがって、アキレスは亀をおいこせない。
87623915.jpeg 3.「飛矢のパラドックス」:飛んでいる矢は止まっている。何となれば、飛んでいる矢も各瞬間には一定の位置を占めている。一定の位置を占めているものはその瞬間止まっている。ところが,矢の始点から終点までの時間はその間瞬間から合成される。したがって、飛んでいる矢はとまっている。
fd8b138f.jpeg 4.「競走場のパラドックス」:図Ⅰのように、同じ大きさの立方体を同じ数だけ連結した物体A、B、Cがあるとする。Bは先端がAの真ん中と並んでおり、左半分はAからはみ出している。Cは先端がAの真ん中と並んでおり、右半分はAからはみ出している。Aは静止しており、B、Cはこの位置から同じ速さでそれぞれ右と左に走る。すると図ⅡのようにA、B、Cが並ぶ時刻がある。この状態を考えると、ある時間の半分はその時間の2倍と等しくなる。
 
 この種の議論を避けることは、有限の論理に依拠するギリシア数学を構築させ、Aristoteles〔アリストテレス、BC384~322年、古代ギリシアの哲学者〕がその方向を支持したのだが、paradox〔パラドックス、逆説〕の方も生き延びて古代からBergson〔ベルグソン、1859~1941年、フランスの哲学者〕にいたる多くの哲学者の関心を呼んでいる。たとえばHegel〔ヘーゲル、1770~1831年、ドイツの哲学者。Fichte(フィヒテ)、Schelling(シェリング)と並んで、ドイツ観念論を代表する思想家〕は、Zenonを「客観的弁証法」として、Diogenes〔デォゲネス、BC412? ~323年、古代ギリシアの哲学者〕が歩いてみせて運動否定論を反駁した逸話に続けて、「しかし、この逸話はまた次のように続けられている。すなわち、ひとりの弟子がこの反駁に満足した時、Diogenes(デォゲネス)は彼を殴りつけた。その理由は、師Zenonは論拠に基いて議論したのだから、弟子もまた論拠に基いた反駁によってのみ師に応えなければならない、というのであった。同じように人は感性的確実性で満足すべきではなく、観念的に把握しなければならない」と書いた。Lenin〔レーニン、1870~1924年、ロシアの革命家、政治家〕はこれを読んで大いに喜び、ノートの欄外に『悪くない』と大書きし、その上ご丁寧にも、Diogenes Laërtius(ディオゲネス・ラエルティオス)やSextus Empiricus〔セクストス・エンペリイコス、BC2世紀からおそらく3世紀、アレクサンドリア、ローマ、アテネなど様々な土地に住んだといわれている医学者、哲学者〕を探し回って、「これはHegel(ヘーゲル)の創作らしい」と悦に入っている。
 もっとも、Hegel(ヘーゲル)やLenin(レーニン)のような評価は例外的であって、Zenonは詭弁家として軽く見られるほうが、正当な数学史観であったらしい。いずれにしてもZenonのparadox〔パラドックス、逆説〕は、正統な数学の業績に数えられないまでも、一種の「反数学」の役を果たしてきたといえよう。ギリシア数学の有限的性格を規定しただけでなく、近代になっても、無限級数の和に関する議論や、実数と極限についての議論がなされる度に、人々はZenon に思いを馳せたのである。
 
 東京都の石原知事の辞職で、11月29日告示、12月16日(日)投票・開票がほぼ確実となった。
 休日明けの今朝のウェブニュースより
 
ee7e8386.jpeg 都民の選択 次はどんな人 過去の都知事選から占う ―― 東京都の石原慎太郎知事(80)の国政への転身宣言で、急きょ行われることになった知事選。公選制になった戦後の一九四七年以降、十七回の選挙で六人の「首都の顔」が誕生した。都知事が入れ替わった過去の選挙から、「石原後」を決める十二月決戦を展望する。 (都政取材班)
 ◆人気投票:「都知事選はときに三百万を超える票を集める、日本最大の“人気投票”。政党が推していない候補者が当選する時代が二十年も続いている」。元副知事の青山佾(やすし)・明治大公共政策大学院教授はこう指摘する。/無党派の新人が初めて当選したのは九五年。元参院議員でタレントの青島幸男氏だ。二年前の都議選で既成政党への批判票を集めた日本新党の躍進が背景にあり、ポスターや街頭演説などの選挙活動をしない型破りなスタイルも注目を浴びた。/九九年に当選した石原氏も、政党の支持を受けずに出馬。告示のわずか二週間前の出馬表明だったが、「かえって新鮮なイメージが高まった」と青山教授。元労相の鳩山邦夫、元国連事務次長の明石康、国際政治学者の舛添要一の各氏ら多彩な他候補を制した。
 ◆別タイプ:前任者の実績を否定し、全く違うタイプが当選する傾向もある。東龍太郎氏が勇退した六七年の選挙。社会、共産両党が支援した経済学者の美濃部亮吉氏は、六四年の東京五輪に合わせて進められた都市開発を批判し、福祉重視や公害防止を訴えた。その結果、国政の構図とは異なる初の革新都政が誕生し、「都知事が国と対峙(たいじ)するスタイルは、美濃部都政で鮮明になった」と青山教授。全国でも革新市長の当選が相次いだ。/しかし七九年は「ばらまき福祉」と美濃部氏を批判した元副知事の鈴木俊一氏が、自民、公明両党の支援を受けて当選。次の青島氏は、鈴木氏が推進した「世界都市博覧会」の中止を訴えた。堅実な鈴木氏から、親しみやすさの青島氏、そして力強いイメージの石原氏へ。都知事像も選挙ごとに変化してきた。
 ◆短期決戦:次に求められる都知事像とは何か。青山教授は「これまでは知名度の高さに加え、大学教授や作家といった、インテリジェンス(知性)があり、毛並みの良い人が選ばれてきた」と振り返る。/昨年の東日本大震災を経て、都民の意識は大きく変わった。今度の選挙では、防災やエネルギー問題への対応が、投票の際の大きな判断材料となる。/石原氏は、猪瀬直樹副知事を後継指名した。仮に出馬すれば有利にも見えるが、青山教授は「前任者が都政を投げ出した印象は残る。後継指名自体が古い感覚もある」と指摘する。/現職の任期途中の辞職による都知事選は今回が初めて。突然の事態に、マニフェスト作成など態勢づくりに時間がかかるため、出馬できる人材は限られる。約一カ月後の告示に向けた候補者選びは混沌(こんとん)としている。     (東京新聞 2012年10月29日 朝刊)
 
05b2a7c1.jpeg 都知事選 舛添要一色気タップリ ―― 老害石原の後継を決める都知事選は、11月29日告示、12月16日投開票が有力となっている。/猪瀬副知事(65)や東国原前宮崎県知事(55)、自民党の小池百合子元防衛相(60)らの出馬が取り沙汰されているが、新党改革代表の舛添要一参院議員(63)も意欲を見せているようだ。
「26日朝に、舛添さんを含む超党派8議員の勉強会が都内で開かれました。会の後半、7人から『都知事選は本命不在』『一度経験があるし、ぜひ頑張るべきだ』と出馬を促されると、終始、ニコニコ顔で『ありがとう』とうなずいていましたよ。自民党の東京選出の国会議員とも電話で話し、都政の問題点などを指摘していましたね。7人は『舛添さんは本気』と思ったようです」(野党関係者)/自民党を威勢よく飛び出し、2010年4月に「新党改革」を立ち上げた。だが、3カ月後の参院選では1議席しか獲得できず、その後は鳴かず飛ばず。/最近になって、大阪の橋下市長から「維新の会への合流」のラブコールを受け、やや注目を集めるようになったが、すっかり忘れられた人になっていた。/政治評論家の浅川博忠氏が言う。「維新の会の支持率急落で、気持ちはかなり都政に傾いているでしょう。首都東京のトップは、総理に次ぐ事実上のナンバー2。いったん都知事でハクをつけてから、衆院議員として戻る計算までしているのではないか。また舛添さんは2年前、『知名度だけで政治が出来るわけではない。タレント議員は控えてもらいたい』と発言するなど、とにかくタレント議員が大嫌い。東国原さんが出馬すれば、さらに闘志を燃やすでしょう」/今のままなら「無所属」での立候補となる。問題は「カネ」だ。都全域が“戦場”となるため、億単位の費用がかかるといわれている。ビンボーで有名な舛添が集められるのか。/「東大の同級生で親友の鳩山邦夫議員が、『面倒を見てもいい』と親しい人に話しているようです。この2人は、石原さんが初当選した1999年の都知事選に出馬し、鳩山2位、舛添3位と敗れている。舛添の当選は鳩山さんにとってもうれしいし、その後に“利用”できるメリットもある。支援はいとわないでしょう」(政界関係者)/めぼしい候補がいない民主党が、前回の都知事選と同じく、舛添に接近してくる可能性もあるようだが、過去の人が通用するのか。  (日刊ゲンダイ 2012年10月27日 掲載)
 
5b153b60.jpeg 都知事選、白洲次郎氏の孫、出馬の方向 ―― 石原慎太郎東京都知事の辞職に伴う都知事選に、吉田茂元首相の側近として知られる白洲次郎氏の孫で文筆家の白洲信哉氏(46)が出馬の方向であることが28日、関係者の話で分かった。/白洲氏は25日、「健全なる保守主義」を基盤とした政界再編の後押しを目的とした政策勉強会「日本の選択」を設立し、代表に就任していた。/同勉強会は脳科学者の茂木健一郎氏が共同代表を務め、弁護士や若手経営者ら約20人が名を連ねている。徳川宗家19代目で政治・経済評論家の徳川家広氏、三菱財閥を創始した岩崎弥太郎の玄孫の木内孝胤衆院議員らもメンバーで、白洲氏が都知事選に出馬した場合、支援に回るとみられる。/白洲氏は昭和40年、東京都生まれ。母方の祖父は、文芸評論家の小林秀雄氏。細川護煕元首相の公設秘書を務めた経験がある。   (産経ニュース 2012.10.29 00:34) [東京都政]
da010fd7.jpeg ギリシア植民地Elea(エレア)のZenon〔ツェノン、BC490?~430年?、「ゼノン」ともいう〕は、古代ギリシアの自然哲学者で、南イタリアの小都市エレアの人。Zenon(ツェノン)のparadox(パラドックス)を唱えたことで有名。ストア派の創始者であるZēnōn(ツェノン、BC335~263年、キプロス島キティオン出身の哲学者)とは別人である。
 彼は、Teleutagoras〔テレウタゴラス、生没年不明〕の子として生まれたが、養子縁組によって哲学者Parmenidēs〔パルメニデス、BC500年か475年~没年不明〕の子となった。それより生涯、Parmenidēs(パルメニデス)の弟子であり、同時に愛人でもあったという。Elea(エレア)を愛していたため、学問の中心であるアテナイには移住せず、生涯を祖国で過ごした。
 政治活動家として命を落としたという。そのころエレアを支配していた僭主ネアルコス(一説によればディオメドン)を打倒しようとしてかえって捕まえられ、刑死させられたという。一説によれば、同志や武器の輸送について尋問されたときに、僭主に猜疑心を起こそうと謀って、同志として僭主の友人の名を挙げた。その後、さらに打ち明け話があるふりをして僭主に近づき、その耳(あるいは鼻)に噛みついて、刺し殺されるまで離さなかった。また別の一説によれば、他に共犯者がいるかとの僭主の問いに対して「国家に仇をなすあなたこそ、反乱の首謀者である」と言い放ち、自分の舌を噛み切って相手に吐きかけた。そこで市民たちは奮い立って、僭主に石を投げつけて殺してしまった。またある別の一説によれば、ゼノンは石臼の中に投げ込まれて打ち殺されたともいう。
8b0a7251.jpeg プラトンの対話篇『パルメニデス』に、師Parmenidēs(パルメニデス)やソクラテスと一緒に登場させられた。ソクラテスやペリクレスもゼノンの講義を聴いたことがあるとされている。そのほか、プラトンは、ギリシア神話の知将パラメーデースになぞえらえて、彼を「エレアのパラメーデース」として言及した。また、アリストテレスによってdialektike〔ダイアレクティク、弁証法・問答法 〕の創始者と呼ばれた。
彼の論法は、もし存在が多であるならば、それは有限であると共に無限であるというような矛盾した結論を、相手方の主張を前提とすることから導き出して、これを反駁するところに特色がある。これらの論証は、パルメニデスの唯一不動の存在の考えを弁護する立場からなされている。この一と多の関係についての議論のなかから、有名なZenon(ツェノン)のパラドックスが提示された。運動不可能を論じた〈アキレウスと亀〉〈飛ぶ矢は動かず〉等の論証は有名だが、特に前者はパルメニデスのものであるとも言われる。「実在するものが世界のすべてであり、変化も運動も存在しない」。これこそZenon(ツェノン)がParmenidēs(パルメニデス)から継承した命題であり、Leukippos〔レウキッポス、生没年不詳〕に影響を与えたという。
 Zenon(ツェノン)の世界観とは、以下のとおりであったという。いくつかの世界が存在しており、空虚(虚空間)は存在しない。万物の本質は温・冷・乾・湿の諸要素からできており、そしてこれらは相互に変化するものである。人間は大地から生まれたものであり、魂は先ほどの4つの要素が混合したものであるが、その際、それらの要素のどれ一つも優位を占めない状態にある。
 
 いずれにせよ、Zenon(ツェノン)は運動についての4つのparadox〔パラドックス、逆説〕を述べた。それはアリストテレスの『自然学』に再説され、広く世に知られるところとなった。このパラドックスの帰結は、運動はあり得ないということである。このパラドックスは単純明快な内容とその解決の異常な困難さのために、今まで論じられた多くのパラドックスの代表的なものとされている。
 Hegel〔ヘーゲル、1770~1831年、ドイツの哲学者でフィヒテ、シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である〕は運動を否定するZenon(ツェノン)の正反対の立場をとって、運動こそ世界の真相とするのであるが、その理論的骨格を成す弁証法の祖をかえってZenon(ツェノン)に求めているところが面白い。
 Zenon(ツェノン)のパラドックスは論理的思惟そのものの限界を杜打ているようにも見えて、哲学者たちだけを悩ませたのではなく、炯眼な文学者の注目も引いたのである。知性派の詩人Paul Valéry〔ポールヴァレリー、1871~1945年、フランスの作家、詩人、小説家、評論家〕は、『海辺の墓場』の中で歌っている。
  Zenonよ、苛酷な弁証のZenonよ、エレア派のZenonよ、
  汝は 羽根のあるこの矢で 俺を射た、
  唸りを挙げ、飛んで、飛ばない矢で射たのだ。
  矢の音は俺を生み、矢は俺を殺すのだ。
  ああ、太陽は…… 魂にとっては 何といふ
  亀の影か、大股で走って不動のアキレスは。 (鈴木信太郎 訳)
 
10f41d3b.jpeg Thalēs(タレス)は商用でエジプトに渡ったとき、そこで「測量術」に魅せられ、神官から学び、研究生活を始めた。ある日、エジプトのアマシス王が家来を連れてピラミッドの見学に行ったとき、王が家来達にピラミッドの高さを測るように命じた。そこで、ただ一人タレスが進みでて王を驚かせた。その、タレスの測り方には二つの説がある。
 
 つぎの定理はいずれもタレスが発見し、それに対して証明を与えたものだといわれている。
1.対頂角は相等しい。
2.二等辺三角形の両底角は相等しい。
3.2つの三角形で、その1組の内角と、それらを夾む2辺とがそれぞれ等しければ、2つの三角形は合同である。
4.2つの三角形で、その1組の辺と、その両端における2つの内角とが等しければ、2つの左三角形は合同である。
5.円において、その上の1点を一つの直径の両端に結ぶ2つの弦は互いに直交する。
 
46f1a48c.jpeg Thalēs(タレス)は上の定理3を用いて、間に山または池があって直接謀ることのできない2地点A、B間の距離を測った。AとBを見通すことの出来るような点Oをとり、AとOを結んで、それをAOの方向へ延長し、その上に AO=OC であるような点Cをとる。つぎにBとOを結んで、それをBOの方向へ延長し、その上に BO=CO となるような点Dをとる。(図Ⅰ参照)
 このとき、⊿AOBと⊿CODとにおいて、∠AOBと∠CODは対頂角であるから、上の定理1によって相等しい。すなわち、 ∠AOB=∠COD また、作図によって、 AO=OC, BO=OD
したがって、⊿AOBと⊿CODは、その1組の内角と、それらを夾む2辺とかそれぞれ等しい。したがって、定理3によって、⊿AOB≡⊿COD である。 ∴ AB=CD
したがって、CDを実測すれば、ABの長さが得られるのである。
 
 また、彼は上の定理4を用いて、岸の一点から沖の船までの距離を測った。
 岸の上に直線で結ぶことの出来る2点A、Bを定め、AとBで沖の船Cを観測して、∠BACと∠ABCを測る。
 岸の方へ ∠BAC=∠BAD  ∠ABC=∠ABD  であるような点Dを定める。(図Ⅱ参照)
 この時、⊿CABと⊿DABにおいて、辺ABは共通であるから、1組の辺は等しく、その両端における内角はそれぞれ等しくなっている。したがって、上の定理4によって ⊿CAB≡⊿DAB である。
 ∴ 岸上でADの距離を実測すれば、岸の1点Aから船Cまでの距離を見出すことが出来る。
 
 また、上の定理5を用いれば、直線ℓ上の1点Aで、これに垂線を引くことができる。
 この点Aを通る任意の円を描いて、この円が直線ℓと再び交わる点をBとし、Bを通るこの円の直径の端をCとすれば、ACはℓに垂直である。(図Ⅲ参照)
 しかし、この定理5は、タレスの発見であるとも、ピタゴラスの発見であるとも言われている。
 
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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