瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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da010fd7.jpeg ギリシア植民地Elea(エレア)のZenon〔ツェノン、BC490?~430年?、「ゼノン」ともいう〕は、古代ギリシアの自然哲学者で、南イタリアの小都市エレアの人。Zenon(ツェノン)のparadox(パラドックス)を唱えたことで有名。ストア派の創始者であるZēnōn(ツェノン、BC335~263年、キプロス島キティオン出身の哲学者)とは別人である。
 彼は、Teleutagoras〔テレウタゴラス、生没年不明〕の子として生まれたが、養子縁組によって哲学者Parmenidēs〔パルメニデス、BC500年か475年~没年不明〕の子となった。それより生涯、Parmenidēs(パルメニデス)の弟子であり、同時に愛人でもあったという。Elea(エレア)を愛していたため、学問の中心であるアテナイには移住せず、生涯を祖国で過ごした。
 政治活動家として命を落としたという。そのころエレアを支配していた僭主ネアルコス(一説によればディオメドン)を打倒しようとしてかえって捕まえられ、刑死させられたという。一説によれば、同志や武器の輸送について尋問されたときに、僭主に猜疑心を起こそうと謀って、同志として僭主の友人の名を挙げた。その後、さらに打ち明け話があるふりをして僭主に近づき、その耳(あるいは鼻)に噛みついて、刺し殺されるまで離さなかった。また別の一説によれば、他に共犯者がいるかとの僭主の問いに対して「国家に仇をなすあなたこそ、反乱の首謀者である」と言い放ち、自分の舌を噛み切って相手に吐きかけた。そこで市民たちは奮い立って、僭主に石を投げつけて殺してしまった。またある別の一説によれば、ゼノンは石臼の中に投げ込まれて打ち殺されたともいう。
8b0a7251.jpeg プラトンの対話篇『パルメニデス』に、師Parmenidēs(パルメニデス)やソクラテスと一緒に登場させられた。ソクラテスやペリクレスもゼノンの講義を聴いたことがあるとされている。そのほか、プラトンは、ギリシア神話の知将パラメーデースになぞえらえて、彼を「エレアのパラメーデース」として言及した。また、アリストテレスによってdialektike〔ダイアレクティク、弁証法・問答法 〕の創始者と呼ばれた。
彼の論法は、もし存在が多であるならば、それは有限であると共に無限であるというような矛盾した結論を、相手方の主張を前提とすることから導き出して、これを反駁するところに特色がある。これらの論証は、パルメニデスの唯一不動の存在の考えを弁護する立場からなされている。この一と多の関係についての議論のなかから、有名なZenon(ツェノン)のパラドックスが提示された。運動不可能を論じた〈アキレウスと亀〉〈飛ぶ矢は動かず〉等の論証は有名だが、特に前者はパルメニデスのものであるとも言われる。「実在するものが世界のすべてであり、変化も運動も存在しない」。これこそZenon(ツェノン)がParmenidēs(パルメニデス)から継承した命題であり、Leukippos〔レウキッポス、生没年不詳〕に影響を与えたという。
 Zenon(ツェノン)の世界観とは、以下のとおりであったという。いくつかの世界が存在しており、空虚(虚空間)は存在しない。万物の本質は温・冷・乾・湿の諸要素からできており、そしてこれらは相互に変化するものである。人間は大地から生まれたものであり、魂は先ほどの4つの要素が混合したものであるが、その際、それらの要素のどれ一つも優位を占めない状態にある。
 
 いずれにせよ、Zenon(ツェノン)は運動についての4つのparadox〔パラドックス、逆説〕を述べた。それはアリストテレスの『自然学』に再説され、広く世に知られるところとなった。このパラドックスの帰結は、運動はあり得ないということである。このパラドックスは単純明快な内容とその解決の異常な困難さのために、今まで論じられた多くのパラドックスの代表的なものとされている。
 Hegel〔ヘーゲル、1770~1831年、ドイツの哲学者でフィヒテ、シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である〕は運動を否定するZenon(ツェノン)の正反対の立場をとって、運動こそ世界の真相とするのであるが、その理論的骨格を成す弁証法の祖をかえってZenon(ツェノン)に求めているところが面白い。
 Zenon(ツェノン)のパラドックスは論理的思惟そのものの限界を杜打ているようにも見えて、哲学者たちだけを悩ませたのではなく、炯眼な文学者の注目も引いたのである。知性派の詩人Paul Valéry〔ポールヴァレリー、1871~1945年、フランスの作家、詩人、小説家、評論家〕は、『海辺の墓場』の中で歌っている。
  Zenonよ、苛酷な弁証のZenonよ、エレア派のZenonよ、
  汝は 羽根のあるこの矢で 俺を射た、
  唸りを挙げ、飛んで、飛ばない矢で射たのだ。
  矢の音は俺を生み、矢は俺を殺すのだ。
  ああ、太陽は…… 魂にとっては 何といふ
  亀の影か、大股で走って不動のアキレスは。 (鈴木信太郎 訳)
 
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