瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
『原論』〔古希: Στοιχεία(ストイケア)、英: Elements〕は、紀元前3世紀ごろにエジプトのアレクサンドリアで活躍した数学者Eukleides〔エウクレイデス、英語式には Euclid(ユークリッド)〕によって編纂された数学書である。論証的学問としての数学の地位を確立した古代ギリシア数学を代表する名著とされる。英語の数学「Mathematics」の語源といわれているラテン語またはギリシア語の「μάθημα [máthema](マテーマタ)」は「学ばれるべきことども」という意味であり、このマテーマタを集大成したものが『原論』であるといえる。
本書の内容は現在でもユークリッド幾何学として広く知られるものを含んでいるが、原論そのものは幾何学のみを扱うものではない。全13巻で構成される。平面の初等幾何について述べられているのは1、2、3、4巻と6巻。 ただし、この内容はユークリッド本人の業績というよりは、それ以前にピュタゴラス学派等の貢献により、ユークリッドの時代より前から既に体系化されていた情報を再編纂したものである可能性が高いという。また、5巻、12巻は当時のプラトン学派数学者エウドクソスの業績であるし、10巻、13巻は同じくプラトン学派のテアイテトスの貢献によりもたらされたものと考えられる。 よって、ユークリッド本人は主に既存の知識と最新の学術成果を付け加えて、『原論』を編纂したものと考えられている。
『原論』では23の定義からはじまり、5つの公準(要請)と、5つ(又は9つ)の公理(共通概念)が提示されている。
定義は次のようなものから始る。
1.点とは部分のないものである。 2.線とは幅のない長さである。 3.線の端は点である。 4.直線とはその上の点について一様に横たわる線である。 5.面とは長さと幅のみをもつものである。
ここでは、「部分のない点」「幅のない線」「厚さのない面」等のような理念的抽象的な数学的対象が鼎立されているのである。こうして議論の前提となる点や線、直線、面、角、円、中心などの概念が次ぎ次ぎに定義され、次のような5つの公準を真であるとして受け入れることにより、作図の問題の基礎を明確にしている。
1.任意の一点から他の一点に対して直線を引くこと 2.有限の直線を連続的にまっすぐ延長すること 3.任意の中心と半径で円を描くこと 4.すべての直角は互いに等しいこと 5.直線が2直線と交わるとき、同じ側の内角の和が2直角より小さい場合、その2直線が限りなく延長されたとき、内角の和が2直角より小さい側で交わる。
これらのうち5番目の公準については古代より、他の公理、公準に比して突出して複雑、自明とするには疑問とされていたが、この疑問により、近代に至ってこの公準が成立しないとする幾何学である非ユークリッド幾何学の発端となる。
さらに公準の後に次のような公理が示されるのであるが、公準が特に「幾何学的対象」の構成に関するものであるのに対し、公理は算術・幾何学も含めより広く「数量に関する科学一般」に妥当するものであるということが出来る。
1.同じものと等しいものは互いに等しい 2.同じものに同じものを加えた場合、その合計は等しい 3.同じものから同じものを引いた場合、残りは等しい 4.[不等なものに同じものを加えた場合、その合計は不等である] 5.[同じものの2倍は互いに等しい] 6.[同じものの半分は互いに等しい] 7.互いに重なり合うものは、互いに等しい 8.全体は、部分より大きい 9.[2線分は面積を囲まない]
ただし[ ]で囲まれた公理は公理に含めないことがある。第5公理は第2公理から導かれる。また第9公理を現代的に言い換えると「異なる2点を通る直線はただ1本だけ存在する」となる。第9公理は幾何学に関するものなので、本来は公準に含められるものと考えられる。
これだけのギリシア数学の集大成が1つの理論体系として纏められていることは、まことに驚嘆すべきことである。Eukleides(エウクレイデス)をプラトン主義者に擬して、プラトン多面体の完結をと理想としたとも見られた(『原論』の第13巻はプラトン多面体といわれる5種の正多面体で終わっている)が、近年の研究においては、各巻の数学の源流はある程度独立しているようで、各巻の成立順序も一様ではないかもしれないとされている。それにしてもプラトン多面体が重要視されたことは事実であろう。
逆に、プラトン主義というと「観念論」にコンプレックスを持ったり、何でもプラトン主義とアリストテレス主義とに分類したがる向きもあって、作図公準に領導されている構成について、アリストテレス的経験主義を読み込もうという考えもありうるが、Eukleides(エウクレイデス)の作図はすべて存在証明としての性格を持っているので、イデアだからこそ存在定理が意味を持ったとも考えられる。この一方で、この種の構成型の存在定理を。Eukleides(エウクレイデス)の特色にする考えもあるが、素数の存在のような間接的な存在証明もあることだし、むしろこちらのほうにエレア派の伝統を強調する立場も在る。
いずれにせよ、この体系のあまりの完全さ(現代の立場から順序公理などの不備をあげることは出来ても)のゆえに『原論』は数学ばかりかすべての学問の規範とされ、「聖書に次ぐベスト・セラー」などといわれたのである。
本書の内容は現在でもユークリッド幾何学として広く知られるものを含んでいるが、原論そのものは幾何学のみを扱うものではない。全13巻で構成される。平面の初等幾何について述べられているのは1、2、3、4巻と6巻。 ただし、この内容はユークリッド本人の業績というよりは、それ以前にピュタゴラス学派等の貢献により、ユークリッドの時代より前から既に体系化されていた情報を再編纂したものである可能性が高いという。また、5巻、12巻は当時のプラトン学派数学者エウドクソスの業績であるし、10巻、13巻は同じくプラトン学派のテアイテトスの貢献によりもたらされたものと考えられる。 よって、ユークリッド本人は主に既存の知識と最新の学術成果を付け加えて、『原論』を編纂したものと考えられている。
『原論』では23の定義からはじまり、5つの公準(要請)と、5つ(又は9つ)の公理(共通概念)が提示されている。
定義は次のようなものから始る。
1.点とは部分のないものである。 2.線とは幅のない長さである。 3.線の端は点である。 4.直線とはその上の点について一様に横たわる線である。 5.面とは長さと幅のみをもつものである。
ここでは、「部分のない点」「幅のない線」「厚さのない面」等のような理念的抽象的な数学的対象が鼎立されているのである。こうして議論の前提となる点や線、直線、面、角、円、中心などの概念が次ぎ次ぎに定義され、次のような5つの公準を真であるとして受け入れることにより、作図の問題の基礎を明確にしている。
1.任意の一点から他の一点に対して直線を引くこと 2.有限の直線を連続的にまっすぐ延長すること 3.任意の中心と半径で円を描くこと 4.すべての直角は互いに等しいこと 5.直線が2直線と交わるとき、同じ側の内角の和が2直角より小さい場合、その2直線が限りなく延長されたとき、内角の和が2直角より小さい側で交わる。
これらのうち5番目の公準については古代より、他の公理、公準に比して突出して複雑、自明とするには疑問とされていたが、この疑問により、近代に至ってこの公準が成立しないとする幾何学である非ユークリッド幾何学の発端となる。
さらに公準の後に次のような公理が示されるのであるが、公準が特に「幾何学的対象」の構成に関するものであるのに対し、公理は算術・幾何学も含めより広く「数量に関する科学一般」に妥当するものであるということが出来る。
1.同じものと等しいものは互いに等しい 2.同じものに同じものを加えた場合、その合計は等しい 3.同じものから同じものを引いた場合、残りは等しい 4.[不等なものに同じものを加えた場合、その合計は不等である] 5.[同じものの2倍は互いに等しい] 6.[同じものの半分は互いに等しい] 7.互いに重なり合うものは、互いに等しい 8.全体は、部分より大きい 9.[2線分は面積を囲まない]
ただし[ ]で囲まれた公理は公理に含めないことがある。第5公理は第2公理から導かれる。また第9公理を現代的に言い換えると「異なる2点を通る直線はただ1本だけ存在する」となる。第9公理は幾何学に関するものなので、本来は公準に含められるものと考えられる。
これだけのギリシア数学の集大成が1つの理論体系として纏められていることは、まことに驚嘆すべきことである。Eukleides(エウクレイデス)をプラトン主義者に擬して、プラトン多面体の完結をと理想としたとも見られた(『原論』の第13巻はプラトン多面体といわれる5種の正多面体で終わっている)が、近年の研究においては、各巻の数学の源流はある程度独立しているようで、各巻の成立順序も一様ではないかもしれないとされている。それにしてもプラトン多面体が重要視されたことは事実であろう。
逆に、プラトン主義というと「観念論」にコンプレックスを持ったり、何でもプラトン主義とアリストテレス主義とに分類したがる向きもあって、作図公準に領導されている構成について、アリストテレス的経験主義を読み込もうという考えもありうるが、Eukleides(エウクレイデス)の作図はすべて存在証明としての性格を持っているので、イデアだからこそ存在定理が意味を持ったとも考えられる。この一方で、この種の構成型の存在定理を。Eukleides(エウクレイデス)の特色にする考えもあるが、素数の存在のような間接的な存在証明もあることだし、むしろこちらのほうにエレア派の伝統を強調する立場も在る。
いずれにせよ、この体系のあまりの完全さ(現代の立場から順序公理などの不備をあげることは出来ても)のゆえに『原論』は数学ばかりかすべての学問の規範とされ、「聖書に次ぐベスト・セラー」などといわれたのである。
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1932/02/04
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