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26648444.jpeg  アレクサンドリアのEukleides〔エウクレイデス、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀?の人〕は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つStoikheia〔ストイケイア、『原論』(ユークリッド原論)〕の著者であり、「幾何学の父」と称される。Ptolemaĩos(プトレマイオス)1世治世下〔BC323~283年〕のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。Eukleides(エウクレイデス)は他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。
 なお、Eukleides(エウクレイデス)という名はギリシア語で「よき栄光」を意味する。その実在を疑う説もあり、その説によると『原論』は複数人の共著であり、Eukleides(エウクレイデス)は共同筆名とされる。
 確実なのは彼が古代の卓越した数学者で、アレクサンドリアで数学を教えていたこと、またそこで数学の一派をなしたことである。ユークリッド幾何学の祖で、原論では平面・立体幾何学、整数論、無理数論などの当時の数学が公理的方法によって組み立てられているが、これは古代ギリシア数学の一つの成果として受け止められている。
 Eukleides(エウクレイデス)の生涯についてはほとんど何もわかっていない。実際、主要な文献はEukleides(エウクレイデス)の数世紀後のProclus〔プロクルス、410~485年、ギリシャの数学・天文・哲学者〕やPappus〔パップス、アレクサンドリア生まれのエジプトの数学者。4世紀の前半に活躍した〕の著作しかない。Proclus(プロクルス)のEukleides(エウクレイデス)についての記述は『ユークリッド原論第1巻注釈』に簡単にあるだけで、これは紀元5世紀に書かれたものである。それによると、Eukleides(エウクレイデス)は『原論』の著者で、Archimedes〔アルキメデス、BC287~212年、古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、発明家、天文学者〕が彼に言及しており、Ptolemaĩos(プトレマイオス)1世が彼に「幾何学を学ぶのに『原論』よりも近道はないか?」と聞いたところ、彼は「幾何学に王道なし」と答えたとされている。Archimedes(アルキメデス)によるProlemaios(プトレマイオス)1世への言及と称されるものは、後世の編集による挿入だと見られているが、Eukleides(エウクレイデス)の著作がArchimedes(アルキメデス)の著作より古いことは確実とされている。「王道」の逸話も、Menaechmus〔メナイクモス、幾何学者〕とAlexandros(アレクサンドロス)3世の逸話にそっくりであり、本当かどうか疑問がある。もうひとつの重要な文献としてPappus(パップス)のものがあるが、こちらにはPerga(ペルガ)のApollonius〔アポロニウス、BC262?~190年頃、ギリシャの数学者・天文学者〕について言及する際に「(彼は)Alexandria(アレクサンドリア)のEukleides(エウクレイデス)の弟子たちと長く一緒に過ごし、そこでそのような科学的思考法を身につけた」とある。
cff4c872.jpeg 生年月日も亡くなった状況や日付も不明であり、同時代人の有名人との関係からおおまかに推測されているだけである。Eukleides(エウクレイデス)の肖像や外見の説明があったとしても、古代から後世に伝わっていない。したがって、Eukleides(エウクレイデス)を描いた絵や彫像は、その芸術家が想像を働かせて描いたものでしかない。ローマのバチカン宮殿にあるラファエロの有名な壁画「アテナイの学堂」にも、Platon〔プラトン、BC427~347年〕とAristoteles〔アリストテレス、BC384~322年〕が降りてくる階段の足元で、コンパスを使って図形を描いている姿で描かれている。
 16世紀後半になると、Eukleides(エウクレイデス)の著作はイエズス会を通じて中国の明にも伝えられた。イエズス会士のMatteo Ricci(マテオ・リッチ、 1552から1610年、イタリア人イエズス会員・カトリック教会の司祭)は、徐光啓(じょこうけい、1562~ 1633年、明代末期の中国の暦数学者、有名なキリスト教徒)との共同作業を通じて著作を漢訳し、1607年に『幾何原本』を刊行した。
 
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