瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
2通のair mail が届いた。ENGLAND と AUSTRALIA からのクリスマスカードと手紙であった。

ENGLAND からのものはIA氏のもので、カードの間に家族の写真を載せた手紙が挟んであった。手紙に拠ると長男は今年の4月 Sandhurst(陸軍士官学校)を卒業し、現在は陸軍少尉として活躍中との事。次男は Northumbria 大学でプロダクトデザインを勉強中であるという。長女は今年7月に義務教育を終え、そのままKesteven & Grantham Girls’School に残り、アートやデザインの方向を目指して勉強中との事である。
AUSTRALIAからのものは、婆様の妹の娘で新婚ほやほやのMiho とその連れ合いの Matt からのものであった。
宝塚市在住のKS氏11月末の水門会「母ちゃんに感謝する会」に出席のため夫婦で九州旅行に出かけたらしい。写真同封の封書が届いた。曰く、

「前略/ブログ25号並びに度々のメール連絡を頂感謝しております。/傘寿まで過ごせるとは考えてもおりませんでしたが、生きてみると余りにも腹立たしいことが多く感じられる毎日です。これも加齢の所為と、宥める自分自身に苦笑しております。家内からは「私の元気な内にポックリ逝くのですよ」と日々暗示をかけられていますが、その方向性と時期に関する予知能力が、自らに整備されていないのでウロウロしている次第です。/14日はHS兄が小倉駅まで迎えに来てくれ夕食を馳走になり、25日は、山水園での「母ちゃんに感謝する会」(別紙)のあとは、JT兄宅でカラオケ会で楽しく19名が親交を持つことになりました。26日は、博多のHH兄宅で碁を囲み、27日は唐津行きで疲れ切ってしまいました。かくして4泊5日の夫婦旅が終了しました。帰宅して一両日は緊張しておりましたが、其の後、どっと疲れが出て何も手につかずの状態で、「母ちゃんに感謝する会」の連絡が遅れ恐縮しております。貴兄との久し振りの電話での元気な声に、我に返る気がしております。/思い付いたまま書きましたので、文流については手直し方お願いいたします。写真は全て家内の携帯写真からのものです。/寒さ募ります折から、方々散歩時にはご注意ください。/最後になりましたが御奥様に宜しくお伝えください。/まずはお礼旁々ご連絡まで 草々/ KS / 平成24年12月13日 / 日高節夫兄 / 追伸 19日、皆さんと会われるとのこと、諸兄に宜しくお伝え下されば幸甚です。」
日本の政局は逆戻り、余り期待できそうにもない。自民もまた、盛者必衰の理を味わうことになるに違いあるまい。歴史は繰り返すのであろう。まあ、どうなろうと静かな余生を送りたい。今朝のウェブニュースより
自公、政権を奪還=320議席超す-民主惨敗、維新第3党に【12月衆院選】―― 当選確実となった候補者の名前に花を付ける自民党の安倍晋三総裁=16日夜、東京・永田町 第46回衆院選は16日投票、即日開票され、比例代表の3議席を除く477議席が確定した。自民党は小選挙区と比例で計293議席を獲得して、民主党を圧倒。共闘する公明党と合わせて323議席に達し、2009年に失った政権の奪還が決まった。民主党は公示前の230議席から激減、1998年の結党以来最低の57議席と惨敗した。「第三極」陣営では日本維新の会が54議席を得て衆院第3党となった。みんなの党も18議席を獲得したが、日本未来の党は公示前の62議席から大幅に後退、10議席を割り込んだ。/衆院選による政権交代は2回連続。自公両党は3分の2の議席を占め、参院で否決された法案を衆院で再可決できる勢力を得た。自民党の安倍晋三総裁は、25日にも召集される見通しの特別国会で第96代首相に選出される。安倍氏は06~07年に首相を務めており、返り咲きは現行憲法下では吉田茂氏以来2人目となる。/安倍氏は17日未明、党本部で記者団に「公明党と連立政権をつくっていく」と述べ、同日から政策協議に入る意向を明らかにした。参院で自公が過半数に達していないことを踏まえ、「法案ごとに理念、政策が一致するところに協力をお願いしたい」と、部分連合で対応する考えを示した。/安倍氏は新政権の人事にも着手。石破茂幹事長を続投させる意向を固めた。/17日午前3時半現在、自民党は小選挙区237、比例56の議席を獲得、全常任委員会で委員長を独占し、委員の過半数を占める絶対安定多数(269議席)を大きく超えた。公明党は小選挙区に擁立した9候補が全勝、比例と合わせて30議席となり、公示前の21議席を上回った。一方、「比較第1党」を目指した民主党は、藤村修官房長官や田中真紀子文部科学相ら現職閣僚7人が落選したほか、菅直人前首相が小選挙区で敗北するなど全国で苦戦。獲得議席は小選挙区27、比例30にとどまった。/第三極では維新が大阪の小選挙区で12勝したほか、比例も堅調で、小選挙区14、比例40を獲得した。内閣不信任決議案や予算を伴う法案の提出が可能となる。みんなの党は小選挙区4、比例14で、公示前の8議席から倍以上に増えた。未来は小選挙区2、比例6の計8議席と苦戦した。/共産党は比例で8議席を得たが、公示前の9議席を下回った。社民党も小選挙区1、比例1の計2議席にとどまり、公示前の5議席から減らした。新党大地と国民新党はそれぞれ1議席を確保。新党日本は議席を失い、新党改革も議席を獲得できなかった。(jijicom. 2012/12/17-04:02)
都知事選:猪瀬氏「日本変える」 記録的得票で圧勝、「反石原」層も取り込み ―― 首都の有権者は、約13年半続いた石原都政の後任に、後継指名を受けていた前副知事の猪瀬直樹氏(66)を選んだ。「反石原」票も取り込んで得票は石原慎太郎氏の最多記録(約308万票)も超える記録的数字に達し、単なる継承にとどまらず、「改革」への期待も背負う立場となる。前例踏襲を嫌う性格そのままに当選後もあえて万歳はせず、「東京は日本の心臓。東京から日本を変える」と、官僚機構や国の規制に立ち向かう姿勢を強調した。/テレビが当選確実を報じた直後の午後8時過ぎ、猪瀬氏は新宿区の事務所で約200人の支持者の拍手に包まれ、青いバラの花束を受け取った。長年、作るのが不可能とされていた青いバラ。花言葉は「夢かなう」だ。/「都民の声は『早く改革をやれ。スピードアップしろ』という叱咤(しった)激励。万歳はしません」。壇上でも厳しい表情を崩さない。「猪瀬カラーをどう出すか?」と報道陣が質問すると「(副知事として)既に出してきたんですけど……」と応じ、初めて笑顔を見せた。/石原都政の継承者として当初から「本命」とみられていたが、陣営は入念な準備を重ねて選挙戦に臨んだ。/石原慎太郎氏の辞職表明から3日後の10月28日、赤坂の高層ビルの一室に友人ら約10人が集まった。名付けて「プロジェクトi(アイ)」。シンクタンク代表の田部康喜(こうき)氏(58)は「マーケティングとインターネットを駆使し、米大統領選のような選挙をやろう」と呼び掛けた。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)やイメージアップ戦略の専門家らも加わり10日あまりで選挙プランがほぼ固まった。/告示8日前まで去就について沈黙を続けたが、この時期はいわば「仕込み」。約27万人のフォロワー(読者)がいるツイッターに公務の内容や自著の紹介などを頻繁に書き込み、ホームページ(HP)には「ニコニコ動画」の協力の下、告示までに30本以上の動画がアップされた。/あえて出馬表明しなくても、知事職務代理として行動することで注目を集める戦略。衆院とのダブル選で注目度は下がったが、テレビに取り上げられた日は、普段約2000件のHPのアクセス数が約1万件に跳ね上がったという。/告示後、陣営が描いた猪瀬氏のイメージは、東日本大震災を踏まえた「『災後』社会の指導者」。街頭演説では帰宅困難者対策など防災面の実績に力点を置き、他候補が攻撃材料にしている新銀行東京などには触れなかった。事前の世論調査で、女性と20〜30代の支持率が比較的低いとの結果が出たため、応援に女性ピアニストらを呼んで親しみやすさも演出した。/緻密なマーケティングに、支持を受けた自民、公明、維新への追い風も重なった。選挙期間中に事務所を訪れた小泉純一郎元首相は「選挙は頭を下げ、腰を低くしないといけないが、そんなのは面倒臭いと思うのが猪瀬さん」と評した。初の選挙でも自分のスタイルを貫き通し「首都の顔」に選ばれた。
◇国など巻き込む政策の課題多く:猪瀬氏が都知事選で掲げた公約は、20年五輪招致や羽田空港の国際線増便など石原都政を継承した政策と、都営地下鉄と東京メトロの経営統合や水道技術の輸出など副知事としてこれまでも進めてきた政策が中心だ。/特徴的なのが、都単独ではなく、国や企業も巻き込んだ課題が多い点。東日本大震災後の電力不足に対応するエネルギー改革では、官民連携ファンドを使った新電力の育成などを掲げ、脱東京電力依存の具体策を示した。/一方、厚生労働省が所管するハローワーク事務の都への移管などは、国との折衝が必要で、実現へのハードルは高い。「東京がモデルを作り、国と戦う」と語る猪瀬氏の実行力が、今後問われる。
◇宇都宮氏、浸透に苦慮:首相官邸前の大規模デモに発展した「脱原発」のようなうねりを、都知事選で起こすことはできなかった。前日本弁護士連合会会長の宇都宮健児氏(66)は、新宿区の事務所に集まった支持者を前に「都民は石原都政に満足していなかった。だが、投票に必ずしも結びつかなかった。浸透できなかった」と語った。/キャッチコピーは「人にやさしい東京をつくる」。多重債務者の救済や反貧困運動に取り組んだ実績をアピールし、福島、新潟両県にある原発の廃炉や、福祉の充実を訴えた。/未来、共産、社民の3党から支持を受けたが、選挙戦の主力はインターネットや口コミで集まったボランティア。陣営が把握しただけでも50以上の「勝手連」ができ、都が強化した漫画の表現規制に反対する人たちや、石原前知事の差別的発言に憤っていた性的マイノリティーらにも支援の輪は広がった。/だが「反石原」の受け皿としての盛り上がりは、当選ラインに届くまでには至らなかった。脱原発デモの原動力にもなったネットが公選法の規定で告示後は使えなくなり、陣営は有権者への浸透に苦慮。衆院選で主要政党がこぞって「脱原発」を掲げたことも、他候補との対立軸を見えにくくした。終盤は防災対策などにも演説時間を割いて巻き返しを図ったが、差は縮まらなかった。ただ、陣営には「(政党や業界団体などに依存する)トップダウン型でない、都民が担う選挙ができた」(選対本部長の上原公子(ひろこ)・元国立市長)と一定の満足感も漂う。宇都宮氏は今後の政界挑戦について「未定」としながらも、都政を変える市民運動に携わり続ける意向を示した。
◇関心は総選挙に−−松沢氏:新銀行東京の清算など都政刷新を訴えた前神奈川県知事の松沢成文(しげふみ)氏(54)は午後8時過ぎ、港区の事務所で支援者を前に「最大の原因は私の力不足。アピール力がなかった」と頭を下げた。敗因を「総選挙と同日になり、報道も国民の関心も、総選挙に集中した。政策中心の選挙に持ち込めなかった」と分析し、政党の支持を受けなかったことを「無党派で戦う力の限界があったのかもしれない」と話した。
◇原点に戻れた−−笹川氏:午後9時前に台東区の事務所に現れた笹川尭(たかし)氏(77)はすがすがしい表情で「ありがとうございました」と頭を下げた。報道陣に感想を問われると「政党や大きな団体の支援を受けず、手作りでやり切った」と満足げ。幼少期を過ごした東京での初の選挙戦に「この年になって原点に戻れた」と笑顔も見せた。選挙戦では五輪招致を強く訴え続け、この日も今後について「中国を敵に回して招致は実現しない」と注文をつけた。
<猪瀬氏の主な選挙公約>
◇電力エネルギー改革:東京湾の老朽火力発電所を最新鋭の天然ガス火力に置き換える。島しょ部で地熱・太陽光・風力などの活用を図る
◇地下鉄一元化:東京メトロと都営地下鉄の経営統合を視野に、不便な乗り継ぎを解消。混雑を緩和し、バリアフリー化を進め、運賃を下げる
◇教育再生と子育て支援:周産期医療、リスクの高い小児医療を充実。「言葉の力」再生プロジェクトで子供の思考力を高める
◇「安心都市」実現:高齢者のケア付き住宅を1万戸に。緊急医療ネットワークを充実させる
◇雇用を守る:国の職業紹介機能を都に移管する。高齢者や女性、若者の雇用機会を増やす
◇羽田空港国際化:深夜早朝のアクセス利便性を高め、国際線発着枠を9万回に拡張する
◇五輪招致:20年東京五輪を招致し、この国の閉塞(へいそく)感を突破する
◇「東京都・発」ビジネスをコンテンツ産業や先端的ものづくりを支援。水道事業や技術力のある中小企業の海外進出をバックアップする
◇首都直下型地震への備え:木造密集地域の不燃化、緊急輸送道路沿道の建築物耐震化を加速し、首都高などのインフラ老朽化対策を急ぐ 〔毎日新聞 2012年12月17日 東京朝刊〕
都知事選:猪瀬氏「日本変える」 記録的得票で圧勝、「反石原」層も取り込み ―― 首都の有権者は、約13年半続いた石原都政の後任に、後継指名を受けていた前副知事の猪瀬直樹氏(66)を選んだ。「反石原」票も取り込んで得票は石原慎太郎氏の最多記録(約308万票)も超える記録的数字に達し、単なる継承にとどまらず、「改革」への期待も背負う立場となる。前例踏襲を嫌う性格そのままに当選後もあえて万歳はせず、「東京は日本の心臓。東京から日本を変える」と、官僚機構や国の規制に立ち向かう姿勢を強調した。/テレビが当選確実を報じた直後の午後8時過ぎ、猪瀬氏は新宿区の事務所で約200人の支持者の拍手に包まれ、青いバラの花束を受け取った。長年、作るのが不可能とされていた青いバラ。花言葉は「夢かなう」だ。/「都民の声は『早く改革をやれ。スピードアップしろ』という叱咤(しった)激励。万歳はしません」。壇上でも厳しい表情を崩さない。「猪瀬カラーをどう出すか?」と報道陣が質問すると「(副知事として)既に出してきたんですけど……」と応じ、初めて笑顔を見せた。/石原都政の継承者として当初から「本命」とみられていたが、陣営は入念な準備を重ねて選挙戦に臨んだ。/石原慎太郎氏の辞職表明から3日後の10月28日、赤坂の高層ビルの一室に友人ら約10人が集まった。名付けて「プロジェクトi(アイ)」。シンクタンク代表の田部康喜(こうき)氏(58)は「マーケティングとインターネットを駆使し、米大統領選のような選挙をやろう」と呼び掛けた。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)やイメージアップ戦略の専門家らも加わり10日あまりで選挙プランがほぼ固まった。/告示8日前まで去就について沈黙を続けたが、この時期はいわば「仕込み」。約27万人のフォロワー(読者)がいるツイッターに公務の内容や自著の紹介などを頻繁に書き込み、ホームページ(HP)には「ニコニコ動画」の協力の下、告示までに30本以上の動画がアップされた。/あえて出馬表明しなくても、知事職務代理として行動することで注目を集める戦略。衆院とのダブル選で注目度は下がったが、テレビに取り上げられた日は、普段約2000件のHPのアクセス数が約1万件に跳ね上がったという。/告示後、陣営が描いた猪瀬氏のイメージは、東日本大震災を踏まえた「『災後』社会の指導者」。街頭演説では帰宅困難者対策など防災面の実績に力点を置き、他候補が攻撃材料にしている新銀行東京などには触れなかった。事前の世論調査で、女性と20〜30代の支持率が比較的低いとの結果が出たため、応援に女性ピアニストらを呼んで親しみやすさも演出した。/緻密なマーケティングに、支持を受けた自民、公明、維新への追い風も重なった。選挙期間中に事務所を訪れた小泉純一郎元首相は「選挙は頭を下げ、腰を低くしないといけないが、そんなのは面倒臭いと思うのが猪瀬さん」と評した。初の選挙でも自分のスタイルを貫き通し「首都の顔」に選ばれた。
◇国など巻き込む政策の課題多く:猪瀬氏が都知事選で掲げた公約は、20年五輪招致や羽田空港の国際線増便など石原都政を継承した政策と、都営地下鉄と東京メトロの経営統合や水道技術の輸出など副知事としてこれまでも進めてきた政策が中心だ。/特徴的なのが、都単独ではなく、国や企業も巻き込んだ課題が多い点。東日本大震災後の電力不足に対応するエネルギー改革では、官民連携ファンドを使った新電力の育成などを掲げ、脱東京電力依存の具体策を示した。/一方、厚生労働省が所管するハローワーク事務の都への移管などは、国との折衝が必要で、実現へのハードルは高い。「東京がモデルを作り、国と戦う」と語る猪瀬氏の実行力が、今後問われる。
◇宇都宮氏、浸透に苦慮:首相官邸前の大規模デモに発展した「脱原発」のようなうねりを、都知事選で起こすことはできなかった。前日本弁護士連合会会長の宇都宮健児氏(66)は、新宿区の事務所に集まった支持者を前に「都民は石原都政に満足していなかった。だが、投票に必ずしも結びつかなかった。浸透できなかった」と語った。/キャッチコピーは「人にやさしい東京をつくる」。多重債務者の救済や反貧困運動に取り組んだ実績をアピールし、福島、新潟両県にある原発の廃炉や、福祉の充実を訴えた。/未来、共産、社民の3党から支持を受けたが、選挙戦の主力はインターネットや口コミで集まったボランティア。陣営が把握しただけでも50以上の「勝手連」ができ、都が強化した漫画の表現規制に反対する人たちや、石原前知事の差別的発言に憤っていた性的マイノリティーらにも支援の輪は広がった。/だが「反石原」の受け皿としての盛り上がりは、当選ラインに届くまでには至らなかった。脱原発デモの原動力にもなったネットが公選法の規定で告示後は使えなくなり、陣営は有権者への浸透に苦慮。衆院選で主要政党がこぞって「脱原発」を掲げたことも、他候補との対立軸を見えにくくした。終盤は防災対策などにも演説時間を割いて巻き返しを図ったが、差は縮まらなかった。ただ、陣営には「(政党や業界団体などに依存する)トップダウン型でない、都民が担う選挙ができた」(選対本部長の上原公子(ひろこ)・元国立市長)と一定の満足感も漂う。宇都宮氏は今後の政界挑戦について「未定」としながらも、都政を変える市民運動に携わり続ける意向を示した。
◇関心は総選挙に−−松沢氏:新銀行東京の清算など都政刷新を訴えた前神奈川県知事の松沢成文(しげふみ)氏(54)は午後8時過ぎ、港区の事務所で支援者を前に「最大の原因は私の力不足。アピール力がなかった」と頭を下げた。敗因を「総選挙と同日になり、報道も国民の関心も、総選挙に集中した。政策中心の選挙に持ち込めなかった」と分析し、政党の支持を受けなかったことを「無党派で戦う力の限界があったのかもしれない」と話した。
◇原点に戻れた−−笹川氏:午後9時前に台東区の事務所に現れた笹川尭(たかし)氏(77)はすがすがしい表情で「ありがとうございました」と頭を下げた。報道陣に感想を問われると「政党や大きな団体の支援を受けず、手作りでやり切った」と満足げ。幼少期を過ごした東京での初の選挙戦に「この年になって原点に戻れた」と笑顔も見せた。選挙戦では五輪招致を強く訴え続け、この日も今後について「中国を敵に回して招致は実現しない」と注文をつけた。
<猪瀬氏の主な選挙公約>
◇電力エネルギー改革:東京湾の老朽火力発電所を最新鋭の天然ガス火力に置き換える。島しょ部で地熱・太陽光・風力などの活用を図る
◇地下鉄一元化:東京メトロと都営地下鉄の経営統合を視野に、不便な乗り継ぎを解消。混雑を緩和し、バリアフリー化を進め、運賃を下げる
◇教育再生と子育て支援:周産期医療、リスクの高い小児医療を充実。「言葉の力」再生プロジェクトで子供の思考力を高める
◇「安心都市」実現:高齢者のケア付き住宅を1万戸に。緊急医療ネットワークを充実させる
◇雇用を守る:国の職業紹介機能を都に移管する。高齢者や女性、若者の雇用機会を増やす
◇羽田空港国際化:深夜早朝のアクセス利便性を高め、国際線発着枠を9万回に拡張する
◇五輪招致:20年東京五輪を招致し、この国の閉塞(へいそく)感を突破する
◇「東京都・発」ビジネスをコンテンツ産業や先端的ものづくりを支援。水道事業や技術力のある中小企業の海外進出をバックアップする
◇首都直下型地震への備え:木造密集地域の不燃化、緊急輸送道路沿道の建築物耐震化を加速し、首都高などのインフラ老朽化対策を急ぐ 〔毎日新聞 2012年12月17日 東京朝刊〕
かの桟敷の前をここら行き交ふ人の、見知れるがあまたあるにて、知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなん後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。大きなる器に水を入れて、細き穴を明けたらんに、滴ること少しといふとも、怠る間なく洩りゆかば、やがて尽きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人・二人のみならんや。烏部野・船岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。/されば、棺を鬻く(ひさく)者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思い懸けぬは死期なり。今日まで遁れ来にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかには思ひなんや。/継子立といふものを双六の石にて作りて、立て並べたるほどは、取られん事いづれの石とも知らねども、数へ当てて一つを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた数ふれば、彼是間抜き行くほどに、いづれも遁れざるに似たり。兵の、軍に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を背ける草の庵には、閑かに水石を翫びて(もてあそびて)、これを余所に聞くと思へるは、いとはかなし。閑かなる山の奥、無常の敵競ひ来らざらんや。その、死に臨める事、軍の陣に進めるに同じ。
口語訳:
桜は満開、月は満月だけが見る価値があるべきものなのか。雨の日に月を恋しく思い、簾(すだれ)を垂れて部屋にこもって、春の行方を知らないでいるのも情趣が深い。花が咲く頃の梢であるとか、散って萎れた花びらが舞う庭だとかにも見所がある。歌の詞に『花見に参ったのに、早くも散り過ぎていて』とか、『支障があって、花を見ることができず』などと書くのは、『花を見て』と言うのに劣っているのだろうか。花が散り、月が傾くのを恋しく慕うのは習いであるが、特にあわれの感情を知らない人は、『この枝も、あの枝も散りに散っていて、すでに見所がない』なんて言ってしまうものだ。
あらゆる事は、始めと終わりこそが興味深いものなのだ。男女の情趣というのも、いちずに逢って抱き合うことだけを言っているのだろうか。逢えない事を憂いて、儚い約束を嘆いて、長い夜を独りで明かして、遠い雲の下に相手を思い、荒野の宿に昔の恋を偲んでいる。こういったことも、色恋の情趣と言えるだろう。千里の果てまで満月の明かりが照らしているのを眺めているよりも、夜明け近くになって漸く持っていた月が雲の隙間から見えた時のほうが、とてもその月の青さが心に深く染み渡ってくるものだ。青い月の下に見える深い山の杉の木の影、雨雲の隠れる具合など、この上なく感慨深い。椎柴・白樫の木などの濡れたような葉の上に月の光がきらめくのが身に沁みてきて、情趣を解する友と一緒に見れたならと思い、都のことが恋しくなる。
月や花はすべて、目だけで見るものなのだろうか。満開の桜なら家を出なくても、満月なら布団の上に居ながらでも想像することができ。それはそれでとても楽しくて味わいがあるものだ。風情や趣きを感じ取れる人は、ひたすらに面白がるような様子でもなく、何だか等閑に見ているように見える。片田舎の人の花見は、しつこく眺めて全てを面白がろうとするものだ。花の下ににじり寄って、立ち寄り、わき見もせずに花を見守って、酒を飲み歌って、最後には大きな枝を心なく折ってしまったりもする。田舎者は、夏の泉には必ず手足を浸すものだし、雪見では雪に降り立って足跡をつけてしまい、全ての物をそっと静かに見守るということができない。
そのような人たちの祭見物の様子も、とても珍しいものである。『祭の行列がなかなか来ないな。それまでは桟敷にいてもどうしようもない』などと言って、奥の部屋で、酒を飲み物を食べて、囲碁・双六で遊んでいる。桟敷には人を残しておいて、『行列が来たぞ』と聞けば、それぞれが心臓が止まるような勢いで桟敷まで争い走っていく。あわや落ちるんじゃないかという所まで手すりにはりついて、押し合いつつ、一つも祭りを見逃すまいと見守って『あれとか、それとか』と何かが前を通るたびに言い合っている。祭りの行列が渡り過ぎてしまうと『また来るまで』と言って桟敷を下りていく。ただ、物だけを見ようとしているようだ。反対に、都の人は、眠っているかのようでいて、祭を見ていないかのようである。その主人に仕える若い人たちは、常に立ち働いていて主人の後ろに控えているが、彼らは行儀の悪い態度をとって無理に祭りを見ようとすることはない。
賀茂祭では葵の葉を何となく掛けていて、優雅な感じがしているのだが、夜も明けきらないうちに、車が忍んで寄せてくるのである。その車の持ち主は誰だろうと思って近づいていくと、牛飼や下部などの中には見知った者もいる。祭りは面白くて、きらきらとしていて、さまざまな人たちが行き交っている、見ているだけで退屈することもない。日が暮れる頃には、並んでいた車や所狭しと集まっていた人たちもどこかへと去ってしまい、間もなく車も人もまばらになってくる。車たちの騒がしい行き来がなくなると、簾や畳も取り払われて、目の前は寂しげな様子になってくる。そんな時には世の無常の喩えも思い出されて、あわれな感慨が起こってくる。祭りは最後まで見てこそ、祭りを見たということができるのではないだろうか。
祭りが通る桟敷を行き交う人々には見知った顔も多くあるので、無常を知ることになる。世の中には非常に大勢の人たちがいるが、この人たちがみんな死んでしまった後にさて自分が死ぬ番ですよと決まったとしても、死ぬまでにはそれほど長く待つこともないだろう。大きな器に水を入れて底にキリで穴を開けると、少しずつ水が滴り落ちていくといっても、止まることなく水が漏れていくのであれば水はすぐに尽きてしまうだろう。都に人は多いが、人の死なない日はない。一日に死ぬのは一人や二人ではないだろう。烏部野や船岡、そのような野山に送る死者の多い日はあっても、誰も送らない日はない。
だから、棺というのは作っても作ってもゆっくり置いておく暇すらないのだ。死は若い人であっても、強い人であっても、思いがけない時に訪れる。今日まで死を逃れて生きてきたのは、ありえないほどに不思議なことだ。そうすると、この世の中がのどかだなんて思えない。
双六の石で『継子立て』というサイコロを作り、出た目の数字のコマに置いている石を取っていく遊びがあるが、石を並べた時には、どの石が取られるのかはわからない。サイコロを振ってその数のコマにある石を取っていくと、その他の石は今は取られることを逃れたように見えるが、実際にはサイコロを振り続けてあれこれ出た目を取っていくうちに、どの石も最期には必ず取られる運命であることが分かってくる。これは人の死に似ているのだ。出陣した兵は、死が近いことを知って、家を忘れ、我が身のことも忘れる。世に背いて出家した世捨て人の草庵では、静かに水石をもてあそんで、死をどこかに忘れようとするが、それはとても儚いことだ。静かな山奥にも、死という無常の敵は競って現れるもので、どこに居ようとも、死に臨む事は戦場にいるのと同じなのである。
西洋では継子立てと同じようなやり方が実際に行われていたという。古代ローマでdecimatio〔デシメイティオ、10分の1刑〕と呼ばれる慣習がそれである。これは軍隊においてひとつの隊が規律違反などの罪に問われた時、隊員を円形に並べて10番目、10番目に当たるものを何人か選び出して、その者たちを処罰してあとの者は許すというものである。
継子立てに相当するものを西洋では「Josephus(ヨセフス)の問題」と呼んでいるが、これは370年ごろにHegesippus(ヘゲシッパス)の筆名で書かれた次の物語に由来している。
ユダヤ人はローマに反抗して独立戦争を起こしたときのこと、ユダヤ側の総司令官Josephus(ヨセフス)はGalilee(ガリラヤ)の町Jotapata(ヨタパタ)がローマ人に包囲されて籠城したが、ローマ軍に包囲され46日で陥落した。Josephus(ヨセフス)は同国人40人とともに穴に隠れたが、Josephusと彼の友人は何とかして生き延びたいと思っていた。しかし、他の同志たちは捕虜になるよりも集団自決を図ろうと決意していたので反対することも出来なかった。いざ自決というときになって、Josephusは一計を案じ、全員を円形に並べ、3番目、3番目…に当たるものを選び出して、順に他の同志に殺してもらい、最後の1人は自殺をするという方法を提案した。これが承認されたので得たりとばかり、Josephusと友人は16番目と31番目に位置して、最後まで残ることに成功して、九死に一生をえたという。
この話はJosephusの表わした『ユダヤ戦記』に出てくるので、継子立ての件〔実際は籤引きであったらしい〕以外はほぼ史実通りであるという。西暦67年ユダヤ独立戦争の折、総司令官であったJosephusは、Jotapata(ヨタパタ)の戦いに敗れ、以上のような経過の後、友人とともにローマ軍に投降する。そしてローマ軍の客分の待遇を受けながら、自国ユダヤの滅亡を見ることになるのである。
※Flavius Josephus〔フラウィウス・ヨセフス、37~100年頃):帝政ローマ期の政治家及び著述家。66年に勃発したユダヤ戦争で当初ユダヤ軍の指揮官として戦ったがローマ軍に投降し、Titus〔ティトゥス、39~81年、エルサレム攻略の司令官〕の幕僚としてエルサレム陥落にいたる一部始終を目撃。後にこの顛末を記した『ユダヤ戦記』を著した。
このヨセフスの問題で最も有名なのは「トルコ人とキリスト教徒の問題」である。これは非常に古い問題で、1848年にN、Chuquet(シューケー)という人の著したフランスの本にあり、11世紀や10世紀の写本の中にもあるといわれる。
キリスト教徒15人、トルコ人〔異教徒〕15人が同船した船が暴風雨にあって難破し、15人を海に投じなければ沈没は免れない事態になった。そこで船長は全員を円形に並べ、9番目、9番目…に当たるものを順次海に投じることにした。この時、船長は左図のように並べた。白丸がキリスト教徒、黒丸がトルコ人を表わしている。この船長の策略によって、キリスト教徒は全員救われたのである。
この配置を覚えるための覚え歌が、ラテン語、英語、ドイツ語、フランス語などで作られているそうである。
日本語でも「沿道に 咲く花散りぬ 秋彼岸」という、俳句風のものが作られているらしい。これらをローマ字書きして、母音だけを取り出して、a=1、i=2、u=3、e=4、o=5とすれば、出発点から、時計回りの配置が再現されるのである。
Endo ni saku hana chirinu aki higan
白(キリスト教徒)、黒(トルコ人)を eoiauaaiiuaiia=45213112231221 と交互に並べていけばよいのである。
継子立てに相当するものを西洋では「Josephus(ヨセフス)の問題」と呼んでいるが、これは370年ごろにHegesippus(ヘゲシッパス)の筆名で書かれた次の物語に由来している。
ユダヤ人はローマに反抗して独立戦争を起こしたときのこと、ユダヤ側の総司令官Josephus(ヨセフス)はGalilee(ガリラヤ)の町Jotapata(ヨタパタ)がローマ人に包囲されて籠城したが、ローマ軍に包囲され46日で陥落した。Josephus(ヨセフス)は同国人40人とともに穴に隠れたが、Josephusと彼の友人は何とかして生き延びたいと思っていた。しかし、他の同志たちは捕虜になるよりも集団自決を図ろうと決意していたので反対することも出来なかった。いざ自決というときになって、Josephusは一計を案じ、全員を円形に並べ、3番目、3番目…に当たるものを選び出して、順に他の同志に殺してもらい、最後の1人は自殺をするという方法を提案した。これが承認されたので得たりとばかり、Josephusと友人は16番目と31番目に位置して、最後まで残ることに成功して、九死に一生をえたという。
この話はJosephusの表わした『ユダヤ戦記』に出てくるので、継子立ての件〔実際は籤引きであったらしい〕以外はほぼ史実通りであるという。西暦67年ユダヤ独立戦争の折、総司令官であったJosephusは、Jotapata(ヨタパタ)の戦いに敗れ、以上のような経過の後、友人とともにローマ軍に投降する。そしてローマ軍の客分の待遇を受けながら、自国ユダヤの滅亡を見ることになるのである。
このヨセフスの問題で最も有名なのは「トルコ人とキリスト教徒の問題」である。これは非常に古い問題で、1848年にN、Chuquet(シューケー)という人の著したフランスの本にあり、11世紀や10世紀の写本の中にもあるといわれる。
この配置を覚えるための覚え歌が、ラテン語、英語、ドイツ語、フランス語などで作られているそうである。
日本語でも「沿道に 咲く花散りぬ 秋彼岸」という、俳句風のものが作られているらしい。これらをローマ字書きして、母音だけを取り出して、a=1、i=2、u=3、e=4、o=5とすれば、出発点から、時計回りの配置が再現されるのである。
Endo ni saku hana chirinu aki higan
白(キリスト教徒)、黒(トルコ人)を eoiauaaiiuaiia=45213112231221 と交互に並べていけばよいのである。
継子立ての物語は、「塵劫記」によれば、次のようにある。
子供を30人持った母親がいたが、子のうち15人は継子(先妻の子)だった。ある日、母親はこの子らを円形に並ばせて、10番目、10番目にあたるものを除いていって、一番最後に残ったものにこの家を継がせると言った。いざ数えてみると、継子ばかり除かれていって、継子の最後の一人も覗かれることになった。そこで継子の最後の一人が、「これではあまりにも不公平ではありませんか。これ以後は私から数え始めて見て下さい。」と言った。言い分が尤もなので、母親もやむなくその通りにすると、今度は実子ばかり除かれて、最後にその継子が残ったという。
この配列を示したのが図1で、白丸が実子、黒丸が継子を表わしており、甲から時計回りに数え始める。乙が最後に残った継子の位置である。
継子立ては我が国では古くから知られていたらしい。一説には藤原道憲の作ともいわれている。通憲は博学多才の人として知られており、継子立ての作者として似つかわしい人物ではあるが、その根拠がはっきりしない。古い文献で「継子立て」の名が出てくるのは『徒然草』137段「花の盛りに…」の条(くだり)で、人の死を継子立てに譬えている。『徒然草』には継子立ての名前が出てくるだけであるが、鎌倉時代末期に書かれたと見られる『二中礫』には
〈二一三五二二四一一三一二二一〉と塵劫記の配列と同じ配列が示されている。(図1参照)
また、「一説云 一々三二一三二々三二」と記されており、20人の場合の継子立ても古くから知られていたことが判る。
※藤原通憲〔みちのり、〕:1106-1160、平安時代後期の公家、学者。嘉承(かじょう)元年生まれ。藤原実兼(さねかね)の長男。少納言で官途に見切りをつけ出家。鳥羽(とば)上皇、後白河天皇に近侍し、保元(ほうげん)の乱に勝利して政治的手腕をふるった。のち藤原信頼と対立、平治(へいじ)の乱で信頼方に捕らえられ、平治元年12月13日殺された。54歳。博学多才で、編著に「本朝世紀」「法曹類林」など。法名は信西(しんぜい)。本年のNHK大河ドラマ「平清盛」で、阿部サダヲが演じていた。
※二中歴:二中歴(にちゅうれき)は、鎌倉時代初期に成立したとされる事典である。/その内容は、平安時代後期に成立した「掌中歴(しょうちゅうれき)」と「懐中歴(かいちゅうれき)」の内容をあわせて編集したものとされている。現代では「掌中歴」の一部が現存するのみとなっており、二中歴がこれらの存在を知る手がかりとなっている。/掌中歴と懐中歴は三善為康〔1049~1139年、平安時代後期の貴族・算道家〕の手による、平安時代後期のものと推定されているが、二中歴の編纂が誰によるものであるかは不明である。現代には尊経閣文庫本と呼ばれる、加賀・前田家に伝わる古写本が残されているのみで、これは鎌倉時代後期から室町時代にかけての、後醍醐天皇のころに作られたと考えられている。/尊経閣文庫本には順徳天皇の御代に編纂されたとあり、1210年~1221年頃の成立であると考えられている。
継子立ては我が国では古くから知られていたらしい。一説には藤原道憲の作ともいわれている。通憲は博学多才の人として知られており、継子立ての作者として似つかわしい人物ではあるが、その根拠がはっきりしない。古い文献で「継子立て」の名が出てくるのは『徒然草』137段「花の盛りに…」の条(くだり)で、人の死を継子立てに譬えている。『徒然草』には継子立ての名前が出てくるだけであるが、鎌倉時代末期に書かれたと見られる『二中礫』には
〈二一三五二二四一一三一二二一〉と塵劫記の配列と同じ配列が示されている。(図1参照)
また、「一説云 一々三二一三二々三二」と記されており、20人の場合の継子立ても古くから知られていたことが判る。
※二中歴:二中歴(にちゅうれき)は、鎌倉時代初期に成立したとされる事典である。/その内容は、平安時代後期に成立した「掌中歴(しょうちゅうれき)」と「懐中歴(かいちゅうれき)」の内容をあわせて編集したものとされている。現代では「掌中歴」の一部が現存するのみとなっており、二中歴がこれらの存在を知る手がかりとなっている。/掌中歴と懐中歴は三善為康〔1049~1139年、平安時代後期の貴族・算道家〕の手による、平安時代後期のものと推定されているが、二中歴の編纂が誰によるものであるかは不明である。現代には尊経閣文庫本と呼ばれる、加賀・前田家に伝わる古写本が残されているのみで、これは鎌倉時代後期から室町時代にかけての、後醍醐天皇のころに作られたと考えられている。/尊経閣文庫本には順徳天皇の御代に編纂されたとあり、1210年~1221年頃の成立であると考えられている。
塾友の忘年会から一夜あけて、naruちゃんの撮ってくれた写真を見ながら、一入感慨に耽ってみた。
Nenpai氏が、今年の9月に仁科を廻ってきた時の写真をアルバムにして爺婆に寄贈してくれた。早速各席に回して思い出を楽しんでもらった。最後に婆様とchabo&kayo女史にchieちゃんが加わって、思い出に浸っていた。chabo女史はこの爺にブログを勧めてくれたお方。kayoちゃんとは夏期学校以来のお友だちで、大学生時代から、何かあるとよく塾舎に相談に来ていいた。現在は佳き母親であり、chabo女史にはお孫さんもいる。
今年の忘年会は「お久し振り」の方が例年より多かったようである。/chakiちゃんは皆さんもよくご存知、とあるリハビリテーション病院の院長先生。K大医学部の後輩でリハビリを専攻した塾友のarita先生を誘ってきてくれた。2人とも兼愛塾の夏期学校では医務を担当してくれた。/kananiちゃんがjunkoちゃんを誘って参加してくれた。Kanamiちゃんは此処のところ、爺のブログのコメント蘭に「つぶやき」を書き込んでくれている。すでに、30回を過ぎるほど投稿してくれている。junkoちゃんは面白い子で、夏期学校で、食事時に当時50代であった座っている塾長の後ろを通り抜けながら、さも大発見をしたように、「あっ、塾長にはつむじがないわ!!」と叫んで笑わせてくれた。/そんなに老けて見えていたわけではないのだが、後輩たちからnenpai呼ばれていたK氏が同期のikuta氏を誘ってつれてきてくれた。彼は指導員として夏期学校を手伝ってくれていたころ、試胆会が苦手で、(やはり同期のY氏と)お化けにて宿舎の裏手で待ち構えている所へ見回りに来た塾長を本物のお化けと見間違えて腰を抜かしたお方である。/昨年2月に亡くなっmaichiの同期の花のニッパチの連中はnabe・chaki・shingo・arakidaの諸氏が参加してくれたが、中でも珍しく紅一点miyukiちゃんが参加してくれた。/今回の参加者の中では一番若かったのはwanさん・misakoちゃん夫妻の(4人の娘達の内の末娘)makiちゃんであった。しばらく見なかったうちに立派な女医さんになって、一瞬誰だか見当もつかなかった。
思い出してみると、今回の忘年会に参加してくれた方々の内、爺婆が仲人をつとめさせて戴いた方々が6組ある。nabeちゃん夫妻は2人の娘さんもち、旦那の方は、来年2月の東京マラソンに、takaya・mitsuhiro氏とともに出場するそうである。毎回wanさん夫妻とともにこの忘年会の世話役を務めてくれている。この会がこのように毎年続いているのも、この2組のカップルのお蔭である。/masao氏・minoちゃんの荒井夫婦もニューオータニで、縁結びの役を承った。いやはや、スピーチで話すことが多くて、皆さんにとんだ迷惑を掛けて顰蹙を買ってしまった。あれもこれも縁の深さのなせること、お許しあれ。今は、一女一男の父親・母親として子育ても一段落ついたことだと思う。その後、爺婆の銀婚式の催しや還暦のお祝いなど何かと世話役を買って出てくれた。/takaya氏はminoちゃんの紹介で、makiちゃんと結ばれ、爺婆で仲人をつとめさせて戴いた。現在は2人の男子の子育てを終え田ところである。来年は東京マラソンの抽籤に当たったということである。/ikuoちゃんは中国は大連へ出向、足の負傷などで欠席していたが、久し振りに出席。奥方のkeikoちゃんも塾友で、yoshikazu氏のお姉さん。一女・一男の子育ても終わる頃である。/久し振りと言うより、初めて忘年会に参加したikuta氏、奥さんのmayoさんとは大学時代に考古学の研究会で知り合ったという。毎年、正月には年始の挨拶に来訪してくれる。/mitsuhiro氏は、永田家4男1女の末っ子。同じ塾友のmichiーと結ばれた。2男の子育ての最中というところか。爺のパソコンの先生でもある。
いやはや、感慨に浸っていると際限(キリ)がない。「仁科の海」を作曲してくれたkuriちゃんのこと、入社試験で「三社祭には会社を休ませて欲しい」と言ったtakao氏のこと、夏期学校で働いてくれたお礼に、ストリップ見学に日劇ミュージックホールに連れていた?女史のこと等々、又の日に改めて書くこともあろうと思うが、皆さんも思い出す面白い事柄があれば、メールして欲しい。 では、どうぞ佳き年をお迎えくだされ。
いやはや、感慨に浸っていると際限(キリ)がない。「仁科の海」を作曲してくれたkuriちゃんのこと、入社試験で「三社祭には会社を休ませて欲しい」と言ったtakao氏のこと、夏期学校で働いてくれたお礼に、ストリップ見学に日劇ミュージックホールに連れていた?女史のこと等々、又の日に改めて書くこともあろうと思うが、皆さんも思い出す面白い事柄があれば、メールして欲しい。 では、どうぞ佳き年をお迎えくだされ。
昨夕5時過ぎに、突然テレビ画面が地震情報に変わった。と同時にかなり長い間の揺れを感じた。テレビはそのままどの局も通常放送を切り換え、地震情報オンリーになった。
今朝のウェブニュースより
東北で震度5弱 石巻・鮎川で津波1㍍ 沿岸に避難指示 ―― 7日午後5時18分ごろ、東北地方で震度5弱の地震があった。東日本大震災の余震とみられる。震源地は三陸沖北で、震源の深さは約10キロ。地震の規模はマグニチュード(M)7.3と推定される。気象庁によると、宮城県石巻市の鮎川で1メートル、仙台港、福島県相馬で40センチ、岩手県久慈港、大船渡で20センチの津波を観測した。/気象庁は、宮城県に津波警報、青森県太平洋沿岸、岩手県、福島県、茨城県に津波注意報を出したが、約2時間後に全て解除した。
気象庁は、東日本大震災の余震で、海溝の外側が震源となる「アウターライズ地震」との見解を示した。津波警報が出たのは昨年4月7日以来。東北で震度5弱を観測したのは、宮城県沖を震源とする地震で石巻市で5弱を観測した10月25日以来だった。/青森、岩手、宮城各県の沿岸自治体は避難指示や勧告を出した。岩手県では、釜石市、大船渡市、陸前高田市など計7市町村が避難勧告を出し、554人が避難所に身を寄せた。/宮城県では、仙台市や石巻市など8市6町が沿岸部の住民らへ避難指示や避難勧告を発令。避難所計23カ所に一時、計約3400人が避難した。/名取市で2歳男児と70代の女性2人が軽傷。石巻市では75歳女性が転倒し膝をけがした。/仙台空港は津波警報発令後、乗降客やスタッフら約1200人が一時足止めされた。午後7時45分現在、17便の欠航が決まった。/ 東北電力によると、同社の女川原発(宮城県女川町、石巻市)と東通原発(青森県東通村)に被害はなく、周辺の放射線量を測定するモニタリングポストの数値にも異常はなかった。原子力規制委員会によると、東京電力福島第1、福島第2の各原発に異常はない。/東北電によると、地震発生後、八戸市と青森県五戸町の一部地域で計223戸が停電した。午後6時半現在、110戸が停電している。/JR各社によると、東北新幹線と上越新幹線が全線で、東海道新幹線は東京-小田原間の上下線で、それぞれ一時運転を見合わせた。
◎1週間は警戒必要/仙台管区気象台震度4余震の恐れ:宮城県や岩手県で7日夕、震度5弱を観測した地震に関し仙台管区気象台は記者会見し、草野富二雄地震情報官は「震源域の活動は依然として活発で、今回のような津波を伴う地震が発生する可能性はあり、引き続き注意が必要だ」と警戒を呼び掛けた。/余震として、今後1週間程度はマグニチュード(M)6.0程度、震度4程度の地震が発生する可能性を示した。/今回の地震は、日本海溝の東側で発生する正断層型の「アウターライズ地震」とみられるとも説明。震源は比較的浅い場所で、津波は大きくなりやすいとされる。/沖合20キロにある衛星利用測位システム(GPS)波浪計でも20センチの津波を観測した。/本震の後、午後5時31分にM6.2の地震が発生したのをはじめ、震度1以上の余震を2回観測した。/東北で津波を観測したのは、今年5月20日(久慈港で11センチ)以来。M7を超える余震は昨年7月10日以来、1年5カ月ぶりだった。 〔河北新報 2012年12月08日土曜日〕
北朝鮮:ミサイル発射予告 藤村官房長官「ミサイルさっさと上げて」 後で撤回・陳謝 ―― 藤村修官房長官は7日、衆院選の公示後、初めて地元の大阪府吹田市に入った。次回の地元入りの可能性を記者団に問われ、「北朝鮮のミサイルがいつ上がるかですわ。さっさと月曜日(10日)に上げてくれるといいんですけど」と語った。政府は北朝鮮に長距離弾道ミサイル発射を自制するよう求めており、藤村氏はこの後、発言を撤回し陳謝した。/藤村氏は選挙戦で不振が伝えられるなか、思わず本音が漏れたとみられ、この後、別の場所で記者団に「舌足らずで誤解が生じるなら訂正、おわびしたい」と述べた。/自民党の安倍晋三総裁は徳島市での街頭演説で「早く打ってもらった方がいいなんて発言をする官房長官は辞めてもらわなければならない」と批判した。/官邸に戻った藤村氏は、安倍氏の辞任要求について記者団に「それは当たらない。訂正会見もしている」と否定した。/首相は7日夜のテレビ朝日番組で「言葉足らずのことがあり、きちんと弁明し、おわびしながら訂正している」と述べ、問題視しない考えを示した。 〔毎日新聞 2012年12月08日 東京朝刊〕
今朝のウェブニュースより
◎1週間は警戒必要/仙台管区気象台震度4余震の恐れ:宮城県や岩手県で7日夕、震度5弱を観測した地震に関し仙台管区気象台は記者会見し、草野富二雄地震情報官は「震源域の活動は依然として活発で、今回のような津波を伴う地震が発生する可能性はあり、引き続き注意が必要だ」と警戒を呼び掛けた。/余震として、今後1週間程度はマグニチュード(M)6.0程度、震度4程度の地震が発生する可能性を示した。/今回の地震は、日本海溝の東側で発生する正断層型の「アウターライズ地震」とみられるとも説明。震源は比較的浅い場所で、津波は大きくなりやすいとされる。/沖合20キロにある衛星利用測位システム(GPS)波浪計でも20センチの津波を観測した。/本震の後、午後5時31分にM6.2の地震が発生したのをはじめ、震度1以上の余震を2回観測した。/東北で津波を観測したのは、今年5月20日(久慈港で11センチ)以来。M7を超える余震は昨年7月10日以来、1年5カ月ぶりだった。 〔河北新報 2012年12月08日土曜日〕
北朝鮮:ミサイル発射予告 藤村官房長官「ミサイルさっさと上げて」 後で撤回・陳謝 ―― 藤村修官房長官は7日、衆院選の公示後、初めて地元の大阪府吹田市に入った。次回の地元入りの可能性を記者団に問われ、「北朝鮮のミサイルがいつ上がるかですわ。さっさと月曜日(10日)に上げてくれるといいんですけど」と語った。政府は北朝鮮に長距離弾道ミサイル発射を自制するよう求めており、藤村氏はこの後、発言を撤回し陳謝した。/藤村氏は選挙戦で不振が伝えられるなか、思わず本音が漏れたとみられ、この後、別の場所で記者団に「舌足らずで誤解が生じるなら訂正、おわびしたい」と述べた。/自民党の安倍晋三総裁は徳島市での街頭演説で「早く打ってもらった方がいいなんて発言をする官房長官は辞めてもらわなければならない」と批判した。/官邸に戻った藤村氏は、安倍氏の辞任要求について記者団に「それは当たらない。訂正会見もしている」と否定した。/首相は7日夜のテレビ朝日番組で「言葉足らずのことがあり、きちんと弁明し、おわびしながら訂正している」と述べ、問題視しない考えを示した。 〔毎日新聞 2012年12月08日 東京朝刊〕
いよいよ総選挙。今日から10日間余り、ダブル選挙で街宣車が行き交い騒がしい毎日が続きそうだ。今朝のウェブニュースより
衆院選:「原発」最大の争点 4党首、福島で第一声 ―― 現憲法下で23回目となる第46回衆院選が4日公示され、16日の投開票に向け選挙戦に突入した。民主党政権の継続か、自民、公明両党が政権に復帰するかが焦点。原発や経済対策、外交・安保政策などで民主、自民両党が激しい論争を繰り広げ、日本未来の党や日本維新の会など第三極の各党も独自の主張を展開している。主要政策の違いは大きく、選挙後の政権の枠組みにも影響を与えそうだ。
野田佳彦首相(民主党代表)、自民党の安倍晋三総裁、未来の嘉田由紀子代表、社民党の福島瑞穂党首は4日、第一声の場として東京電力福島第1原発事故のあった福島県を選んだ。今回は昨年3月の東日本大震災後、初めての本格的な国政選挙。4党首の動きは、「脱原発」が選挙戦の大きな争点であることを印象づけた。
首相は「原発ゼロを目指してほしいというのが国民の声だ。30年代に原発ゼロを目指す。あらゆる政策資源を総動員すると閣議決定した」と強調した。「卒原発」を訴える嘉田氏は「原発ゼロの社会を目指したい」と表明。福島氏と共産党の志位和夫委員長は「即時ゼロ」を訴えた。
ただ、代替エネルギーの確保にめどがつかなければ、電気料金の上昇などを招きかねず、国民生活にも悪影響が出かねない。安倍氏は「原発ゼロが理想だが、生活に直結する。選挙目当てのスローガンに掲げるつもりはない」と脱原発に慎重な姿勢を示した。自民党が第1党になれば連立を想定する公明党は脱原発を主張している。
エネルギー政策を巡り、維新は石原慎太郎代表と橋下徹代表代行ら幹部の間で違いが表面化している。第一声でも主張が割れ、石原氏は「原発が動かなくなって、例えば20%電気料金が上がったら、日本経済は全滅する」と維持を主張。一方、橋下氏は「なくす方向でできるならやっていこう」と語った。
消費増税では、税と社会保障の一体改革法を成立させた民主、自民、公明3党が、増税を進める方針。首相は「社会保障はただではできない。将来世代に頼ってはならない」と理解を求めた。これに対し、未来、みんなの党は増税凍結を訴え、共産は消費増税中止を主張する。維新は消費税率を11%に引き上げ、税収を地方財源に充てる方針。 〔毎日新聞 2012年12月04日 21時24分(最終更新 12月05日 00時48分)〕
【都知事選】公示で埋没心配… 衆院候補と並んで演説も ―― 衆院選が公示された4日、10日以上にわたり選挙戦が重なる東京都知事選の陣営からは、「場所取りが難しくなる」「衆院候補と混同されないか」など“埋没”を心配する声が上がった。一方で衆院選候補と並んで演説するなど、この機を逆に“活用”する陣営もいる。
元神奈川県知事の松沢成(しげ)文(ふみ)氏(54)は多摩地域を遊説。元民主党衆院議員だが、特に元同僚らと活動することはなかった。陣営は「政党談合にNO、がわれわれのスタンス。多くの都民に支持を訴える活動を粛々とやる」とする。
ただ陣営は「どこへ行っても誰かの選挙カーがいる。演説などの場所取りは難しい」と顔をしかめる。
豊島区巣鴨の商店街練り歩きや中野駅前での演説などを行った元自民党総務会長の笹川堯(たかし)氏(77)も、衆院選候補との活動は特になし。「あくまで別の選挙。独自に自分の力でやる」との姿勢を強調した。一方で選挙カー内から「衆院選では自民党を応援してやってください」などと、“古巣”への愛着を語った場面もあった。
政党幹部や衆院候補らと活動した陣営も:
元日弁連会長の宇都宮健児氏(66)は新宿駅西口で、共産党の志位和夫委員長の第一声に同席。マイクを握って脱原発や反貧困などを訴えた。別の場所では、たまたま合流した未来の候補者と一緒に街頭で演説する場面もあった。
ただ、後半戦では「混み合う街頭活動よりも、有権者に近い小規模集会を地道にやりたい」(同陣営)とする。
前副知事の猪瀬直樹氏(66)は小泉純一郎元首相の応援を西新宿の事務所で受けた。「猪瀬さんなしに道路公団民営化はなかった。ムダ削減で右に出る人はいない」と激励され「小泉さんから学んだのはぶれないこと。言ったことは必ずやる」と決意を新たに。
支援を受けている自民の選挙区候補らの街頭演説にも出向いた。 〔産経ニュース2012.12.4 22:04 〕
野田佳彦首相(民主党代表)、自民党の安倍晋三総裁、未来の嘉田由紀子代表、社民党の福島瑞穂党首は4日、第一声の場として東京電力福島第1原発事故のあった福島県を選んだ。今回は昨年3月の東日本大震災後、初めての本格的な国政選挙。4党首の動きは、「脱原発」が選挙戦の大きな争点であることを印象づけた。
首相は「原発ゼロを目指してほしいというのが国民の声だ。30年代に原発ゼロを目指す。あらゆる政策資源を総動員すると閣議決定した」と強調した。「卒原発」を訴える嘉田氏は「原発ゼロの社会を目指したい」と表明。福島氏と共産党の志位和夫委員長は「即時ゼロ」を訴えた。
ただ、代替エネルギーの確保にめどがつかなければ、電気料金の上昇などを招きかねず、国民生活にも悪影響が出かねない。安倍氏は「原発ゼロが理想だが、生活に直結する。選挙目当てのスローガンに掲げるつもりはない」と脱原発に慎重な姿勢を示した。自民党が第1党になれば連立を想定する公明党は脱原発を主張している。
エネルギー政策を巡り、維新は石原慎太郎代表と橋下徹代表代行ら幹部の間で違いが表面化している。第一声でも主張が割れ、石原氏は「原発が動かなくなって、例えば20%電気料金が上がったら、日本経済は全滅する」と維持を主張。一方、橋下氏は「なくす方向でできるならやっていこう」と語った。
消費増税では、税と社会保障の一体改革法を成立させた民主、自民、公明3党が、増税を進める方針。首相は「社会保障はただではできない。将来世代に頼ってはならない」と理解を求めた。これに対し、未来、みんなの党は増税凍結を訴え、共産は消費増税中止を主張する。維新は消費税率を11%に引き上げ、税収を地方財源に充てる方針。 〔毎日新聞 2012年12月04日 21時24分(最終更新 12月05日 00時48分)〕
元神奈川県知事の松沢成(しげ)文(ふみ)氏(54)は多摩地域を遊説。元民主党衆院議員だが、特に元同僚らと活動することはなかった。陣営は「政党談合にNO、がわれわれのスタンス。多くの都民に支持を訴える活動を粛々とやる」とする。
ただ陣営は「どこへ行っても誰かの選挙カーがいる。演説などの場所取りは難しい」と顔をしかめる。
豊島区巣鴨の商店街練り歩きや中野駅前での演説などを行った元自民党総務会長の笹川堯(たかし)氏(77)も、衆院選候補との活動は特になし。「あくまで別の選挙。独自に自分の力でやる」との姿勢を強調した。一方で選挙カー内から「衆院選では自民党を応援してやってください」などと、“古巣”への愛着を語った場面もあった。
政党幹部や衆院候補らと活動した陣営も:
元日弁連会長の宇都宮健児氏(66)は新宿駅西口で、共産党の志位和夫委員長の第一声に同席。マイクを握って脱原発や反貧困などを訴えた。別の場所では、たまたま合流した未来の候補者と一緒に街頭で演説する場面もあった。
ただ、後半戦では「混み合う街頭活動よりも、有権者に近い小規模集会を地道にやりたい」(同陣営)とする。
前副知事の猪瀬直樹氏(66)は小泉純一郎元首相の応援を西新宿の事務所で受けた。「猪瀬さんなしに道路公団民営化はなかった。ムダ削減で右に出る人はいない」と激励され「小泉さんから学んだのはぶれないこと。言ったことは必ずやる」と決意を新たに。
支援を受けている自民の選挙区候補らの街頭演説にも出向いた。 〔産経ニュース2012.12.4 22:04 〕
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