瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[239] [240] [241] [242] [243] [244] [245] [246] [247] [248] [249]
 中根彦循は『勘者御伽双紙』の中で裁ち合せの例をいくつも紹介しているが、ここでは裁ち合せを実際にやってみよう。まず正方形2個分の長方形をハサミで切って正方形1個にしてみる。
688b6cc8.jpeg 2個の場合は左の図Aのように簡単なやり方があるが、実はこれ以外にもいくらでも切り方がある。図Aの切り方を平行移動した図Bや図Cを見ると、確かにこの切り方でもよいことが確認できる。

 では、同じ大きさの正方形3個分を裁ち合わせて、1つの正方形にしてみよう? はてさて、みんなで考えて貰うことにしよう。

469d93a4.jpeg 三角形を長方形に裁ち合せるには、左の1図のように中点連結定理を用いれば簡単に出来る。
では2図のような四角形を裁ち合せて長方形にすると面積の計算が簡単になるのですが、どう切ればよいだろうか? これも、みんなで考えていただこう。
  欧米では「図形の分割」といわれているが、わが国では中根彦循の『勘者御伽双紙』に「裁合物(たちあわせもの)の事」として載っているので、「裁ち合せの問題」と呼ばれている。
46aafebd.jpeg
 裁ち合わせの問題には円形を2つの卵形に、また正方形を二つの正方形に裁ち合わせる問題などもある(左図参照)が、やはり、多角形を切って別の多角形を作る問題が多いようである。
 
 多角形ならばどんなものでも、裁ち合わせによって面積の等しいどんな多角形にでも作り直すことが出来る。このことは、1832~33年にハンガリーの数学者Farkas Wolfgang Bolyai(ファルカッシ・ボヤイ、1775~1856年)とドイツの数学愛好家Gerwien(ゲルビン、詳細不詳)によって証明されている(ボヤイ=ゲルヴィンの定理)という。
※ボヤイ=ゲルヴィンの定理:面積の等しい二つの多角形A、Bが存在した時、Aを有限回分割し組みなおすことで、Bと合同な図形を作ることが出来る
 
 しかし、ある図形を別の図形に変える方法は、実際にやってみなくては判らない。また、切り方が「最小の片数」であるという証明は大抵の場合う不可能である。
9fa6beeb.jpeg 正方形を2つの同面積の正方形にしたり、平行四辺形を三角形にする問題(左図)なら、小学生でも出来るだろう。


92bac5fd.jpeg 『勘者御伽双紙』では 1×n の長方形を立ち合わせて正方形にする問題が中心に扱われている。





461e1bde.jpeg 他にいろいろな凸多角形、星型多角形、十字架、ポリオミノ形、文字や記号の形をした多角形の問題がある。(左図参照)



 

e5b883a0.jpeg 数学的にも興味深いのは、正多角形を別の正多角形に変えることである。「正三角形⇔正方形」「正方形⇔正五角形」「正方形⇔正六角形」の最小片数の解は、デュードニーがパズル・ブックで発表している。このうち正三角形⇔正方形」の解を左図に示しておく。
 
  今年は是非隅田川の花見会をやって欲しいとの水門会の面々の要望なので、桜の花芽のふくらみ加減が何となく気になる。ウェブニュースの花見前線予報が出た。
aba564e1.jpeg 桜の開花、今年は早め? 九州では3月19日ごろから ―― 日本気象協会は7日、桜(ソメイヨシノ)の開花予想を発表した。全国的には今年は平年より早いか平年並みとみている。九州・山口では平年より3~4日早まりそうだ。/気象協会の予想では、桜前線は3月19日ごろ熊本市に上陸する。続いて、20日ごろ=福岡市、長崎市、宮崎市▽21日ごろ=佐賀市、大分市▽22日ごろ=鹿児島市▽24日ごろ=下関市、で開花する見込みという。/2月の気温が平年より高めになることが予想され、陽気がつぼみの生育を促すためとしている。/名古屋市では24日ごろ、東京都心や大阪市では25日ごろの見込み。  〔朝日新聞 2013年2月7日23時27分〕
  ウェブニュースより、最近のスカイツリーの記事
 
 約3900件で対策必要 スカイツリー受信障害で ―― 関東地方での東京スカイツリーの受信障害問題で、NHKは7日、コールセンターに昨年12月から今月6日までに計約1万4000件の問い合わせがあったと明らかにした。/このうちアンテナの向きを変えるなど受信対策が必要なのは約3900件で、東京都心部や東京近郊の千葉県などの世帯が目立った。/NHKの久保田啓一技師長は「データを整理し、障害の種類を分析している」と述べた。/NHKと在京民放5局は昨年12月22日から土曜日の早朝の試験放送を開始。今月から夕方にも試験を実施し、問い合わせが急増した。 [Sponichi Annex 2013年2月7日 23:52 ]
 
72dc2c7d.jpeg 東京スカイツリー 試験放送にクレーム殺到 16万世帯がテレビ見られない ―― 「やっぱりね」という声も聞こえてくる。NHKなどの在京テレビ6局が2日、東京スカイツリーからの受信状況を確認する試験放送をしたら、相談センターには、「テレビがきれいに映らない」といった抗議が殺到。受信不良報告が1308件も寄せられたのだ。/「いま関東地方のテレビの電波は東京タワーから送信されていますが、今年5月にスカイツリーに移転する予定です。東京タワーよりアンテナの位置が高くなるため、ビル陰などによる電波障害が改善されるはずでしたが、事前の調査で、関東一円の約16万世帯で障害が起こる可能性があることが分かったのです」(総務省事情通)/その状況を確認するための試験放送が昨年末から始まったが、2日の分と合わせて、これまでに計2600件超の受信不良報告があった。/東京スカイツリー移行推進センターは「視聴者に迷惑をかけないように万全を期す」としているが、そう簡単な話でもなさそうだ。/「原因は、家庭に設置されているアンテナの向きなどです。電波を送信する位置が変わるわけですから当然のことで、在京6局は計100億円を負担、障害のある家庭に業者を派遣し、アンテナ調整などを行っています。が、そもそも16万世帯で収まるかも疑問。もっと増えると指摘する専門家もいる。年末から始めた試験放送も先月までは土曜日の早朝にやっていたので、まだ受信不良に気づいていない人も相当いるはず。そうなると、各局の負担額はさらにかさむし、5月に移転できるかも微妙。関係者の中からは『東京タワーのままでよかった』なんて冷めた声も上がっています」(放送業界関係者)/それでなくても先月、都内で大雪が降った後にはスカイツリーから何度も落雪し、近隣民家の屋根に穴が開くなどの被害も発生している。/高さ1メートルにつき1億円超の工費をかけ、さらに100億円を使う意味があるのか。 (Gendai.net 2013年2月4日 掲載)
 
ca378485.jpeg 姪のchisato君が、義兄(あに、一昨年なくなった爺の実姉の連れ合い)の卒寿の写真を、婆様の携帯に送ってくれた。曰く、「卒寿記念にスタジオで撮ろうと突然兄が言い出しました。naokoさん(haruki君の連れ合い)が携帯で送ってくれました。お父さんとharuki兄がなんとなく似てるのに驚きました。」
 爺にはharuki君はどこと( )く里見浩太郎に見間違うように見えたが。 
5b477e16.jpeg  「清少納言智恵の板」のターゲット読者だが、「是を閲するに幼稚の児女智の浅深によって万物の形を自然にこしらへもろもろの器の図はからずも作り出すこと」というくだりから、どうも女子供向けということが窺われる。これを裏付けるのが、ボストン美術館蔵、喜多川歌麿(1753~1806年)の「角玉屋内誰袖 きくの しめの」に描かれている智恵の板だ。
bd27a472.jpeg この『清少納言智恵の板』の本の中には42題の問題と解答を載せている。この知恵の板は7片からなっていて、左図に示すように正方形を作るのに2つの組み方が可能である。

f90a010c.jpeg 「清少納言の本に、智恵の板を描いた巻があり、その図に倣って当世風の並べ図を考案した……云々」といっているが、これはおそらく、戯作者風の創作であろう。「清少納言智恵の板」の特色として、「釘貫(くぎぬき)」という題で左図のように真ん中が中空の正方形が出題されていることで、アメリカのパズル研究家Martin Gardner (マーチン・ガードナー、1914~2010年)が絶賛をしている。
 
69d5ef8a.jpeg この知恵板はその後結構流行ったようで、中田高寛(なかたたかひろ、1739~1802年、富山藩士、和算家)が安永(1772 ~1780年)のころに『並物 一百十余品』(写本)を著しているほか、天保8(1836)年にも『江戸ちえかた』というパターン集(306題収録)が出ている。
 http://www.chronos.co.jp/kenno/edo-chiekata.cgi
 
 その後、明治時代が近くなるまで「清少納言智恵の板」は楽しまれていたようだが、さらに明治時代にも続いたようだ。樋口一葉の「たけくらべ(明治28《1895》年刊)」にも登場するからである。
※『たけくらべ』の「五」に、次のような件(くだり)がある。
あゝ面白くない、おもしろくない、彼の人が來なければ幻燈をはじめるのも嫌、伯母さん此處の家に智惠の板は賣りませぬか、十六武藏でも何でもよい、手が暇で困ると美登利の淋しがれば、夫れよと即坐に鋏を借りて女子づれは切拔きにかゝる
 
63a32475.jpeg  Tangram(タングラム)に先がけて、同じ正方形を別のやり方で七つの小片を使って、全く同じように形合わせの遊びに使うパズルが、日本では寛保2(1742)年に『清少納言智恵の板』という名で作られていた。
 清少納言知恵の板の発祥に関して詳しいことは分かっていないが『枕草子』の作者で才女として知られた平安時代の女流歌人・清少納言が女児(上東門院小馬命婦か)の知能テストを目的に考案したとの民間伝承が残されているという。この「智恵の板」の原本は縦11㎝、横15.5㎝、全部でわずか32頁の和綴じ本で、現存するものは東北大学、東京都立中央図書館、上田市立図書館、西尾市立図書館の四ヶ所にしか見つかっていないとのことである。
 
 始めに序文(清少納言智恵板 序 参照)があり、
54c380a8.jpeg〔上段原文〕:清少納言の記せる古き書を 見侍るに智ふかふして人の 心目をよろこばしむこと多し 其中に智恵の板と名づけ 図をあらわせるひとつの巻 あり是を閲するに幼稚の児女 智の浅深によって万物の形 を自然にこしらへもろもろの器 の図はからずも作り出すこと/ 誠に微妙のはたらき有しかれ ども其図は往昔の器物の形
(上段訳文):清少納言が書いた古い文を見ると、彼女は智恵が豊かで、人々を楽しませることが多く書かれている。その中に、智恵の板と名付けて、図を描いた一冊がある。これを見てみると、幼い子どもたちが智恵の程度によって万物の形を自然に作ったり、いろいろな器物の形を偶然にも作り出しているのは、まったくその(智恵の板の)不思議な作用である。しかし、その図は昔の器物の形だったり、
〔中段原文〕:又は雲上の御もてあつかひの品 ゆへ今の児女その心を得がた/ し故にあらたに図を作り 当用の器物まぢかき形を 記せり人々智の至るところ にしたがひ板のはこびによって品かわりたる形あらはれ ずといふことなしこゝに手引のために百分の壱つを示すものなり初に諸物の図を出し奥に板のならべ様の図を載すされども奥のならべ様を
(中段訳文):または宮中で使われていたものだったりするので、今の子どもたちにはその意味がわかりにくい。よって、ここに新しく図を起こし、今風の器物の形を描いた。皆さんの智恵の発達具合に従って、板の置き方次第で、変ったおもしろい物の形が出現するに違いない。この本は、例題としてその百分の一を示したものだ。初めにいろいろな物の図を描き、後に板の置き方の図を載せた。だが、後の置き方を 
〔下段原文〕:見ずして初めの図のごとく 人々の作意にて七つ板のならべ/ はこびを考へ給はゞ不測の はたらきありて一座の興を 催すべきものならし
(訳文):見ないで、初めの図のように皆さんの頭を働かせて七つの板の並べ方をお考えくだされば、思いがけぬ形ができあがったりして、一座も盛り上がることだろう。
    寛保二年 戌八月   含霊軒述
  秘伝の巻に残らず顕はすといへども爰に壱つを出し板のならべ様を見す
  八角かがみ 七つ板 ならべ様 


b9b61d36.jpeg
da7b0d3d.jpeg
b346efc8.jpeg
594882d2.jpeg
a7f275c2.jpeg 
024a9fda.jpeg


93395067.jpeg




 
  昨日は爺の81回目の誕生日。歌舞伎界の重鎮 市川団十郎が亡くなった。66歳だという。
 この世にいても何の意味もない爺のような奴が永らえて、これからも生きて世のため人のために活躍すべき人が去ってで逝く。まあ、この世の現実は「不条理の連続」という条理のもとで流れてゆくものなのだ。
 ウェブニュースより、
0b757fcb.jpeg 團十郎さん死去 芸も人柄も愛され ―― 歌舞伎役者の市川團十郎さんが3日夜、肺炎のため亡くなった。白血病を克服し、4月の新・歌舞伎座こけら落とし公演の出演演目も決まり、早い復帰が待たれていたところだった。突然の訃報に、ゆかりのある人たちから惜しむ声が上がった。
◆白血病の患者ら招待:白血病の壮絶な闘病生活をくぐり抜けた團十郎さんは、毎年公演に白血病の患者や家族を招待していた。團十郎さんが会長を務めていた白血病患者を支援するNPO法人(全国骨髄バンク推進連絡協議会」の野村正満副会長は「患者や家族、関係者にとっても大きな存在だった。みんなショックを受けている」と話した。/同会によると、團十郎さんは白血病から完全復帰後の2009年11月の国立劇場での公演から白血病の骨髄移植経験者らを招待。その後も、患者や骨髄移植のドナーなどを公演に招待した。公演後に楽屋に患者らを招いたり、関係者の集いで二次会や三次会まで顔を出し、患者ら一人一人に声を掛けて回っていたりしたという。/11年7月には「私のような者でもお役に立てるなら」と会長職を快く引き受けていた。野村副会長は「すごい方なのに非常に腰が低く、人に優しい方でした」と話す。團十郎さんの活躍する姿は、患者の大きな活力になっていたという。野村副会長は「昨年秋に会った時は元気だったが、入院したと聞いて、お見舞いに行こうと思った時はかなりよくないと聞き、ずっと心配していた」と語った。
◆惜しむファン「早すぎる」:團十郎さんの死去から一夜明けた四日、ファンからは「早すぎる」「若くして亡くなり残念」と惜しむ声が相次いだ。/東京・日比谷の日生劇場前。午前の歌舞伎公演を見に来た江戸川区のアルバイト前田みどりさんは「まだ早いのに…」と驚いた様子。「ベテランらしい演技が素晴らしかった。歌舞伎界の柱。もっとお芝居がしたかっただろうに」と悲しんだ。/昨年十二月の中村勘三郎さん死去に続く悲報。茨城県土浦市の無職穴沢徹さん(73)は「天才で努力を惜しまなかった。勘三郎さんといい、スーパースターが相次いで去ってしまい残念」と肩を落とした。
◆浄瑠璃愛好家「気配り、律義な人」:團十郎さんの公演を支えてきた浄瑠璃「河東節(かとうぶし)」の愛好家でつくる「十寸見(ますみ)会」世話人の一人、深山小十郎さん(71)=東京都練馬区=は「昨年お会いした時は本当にお元気だった。新しい歌舞伎座がいよいよできると楽しみにされていたのに」と死を悼んだ。/河東節は江戸時代に浄瑠璃語りの「十寸見河東」が広めた三味線音楽の流派で、十寸見会はその愛好家の集まり。深山さんは四十年になるベテランで、舞台正面奥の御簾(みす)から河東節で盛り上げてきた。/昨年8月31日に東京・国立能楽堂で開かれた「市川流リサイタル」では、團十郎家の四人で「三番叟」を演じ、十寸見会が演奏した。翌九月には、深山さんが理事を務める財団法人古曲会の五十周年記念の演奏会に團十郎さんが特別出演し「助六」を踊った。/1985年の12代目襲名時に團十郎さんから贈られた扇子を、深山さんは今も大事に持つ。「私みたいなものにも気を配っていただき本当に律義な方でした。大事に使わせてもらっています」と早すぎる別れを惜しんだ。
◆成田市民「悲しい」:團十郎さんは、折に触れて千葉県成田市の成田山新勝寺を参詣し、10年ごとの開帳では歌舞伎を奉納するなど、本尊の不動明王をあつく信仰していた。大みそかには家族そろって訪れ、一月一日午前零時からの御護摩祈祷(きとう)を受けるのを習わしとしてきた。昨年11月に夫妻でお参りに来たのが最後になったという。このとき境内を案内した新勝寺企画調整課の村井浩孝係長は「とても元気そうで、貫主との面会では孫娘の話題で笑顔を見せ、次の御開帳も楽しみにしておられた」と驚いた様子。山崎照義寺務長らが4日朝、弔問に向かったという。/境内で土産物店を営む篠原貞子さんは「驚き、とても悲しく思う。多くの成田市民が成田屋を応援してきた。(4月に開場する新しい歌舞伎座の)こけら落としの舞台には立ってもらいたかった」と話した。後継ぎに恵まれなかった初代團十郎(1660~1704年)が、父の故郷の下総国幡谷村(現成田市)に近い新勝寺で祈願したところ、長男を授かったのが信仰の始まり。その後、「成田屋」の屋号を用いるようになったとされる。   (東京新聞 2013年2月4日 13時59分)
 
25c890f8.jpeg 正月2日に、塾友のTS氏が浅草演芸ホールの自由入場券をプレゼントしてくれた。昨日は、休日明けで場内も空いていることだろうし、爺の誕生日でもあると言うことで、婆様と連れ立って出かけた。
 帰宅すると、郵便受けに夕刊と一緒に横浜のN氏からの封書が届いていた。何事かと、すぐに開封してみると、万札とともに手紙がはいっていた。曰く
「2013.2.3/日高節夫様/IK
 前略/元気ですか。成人の日の雪掻きで滑って尻餅をつき、尻も腰もどうもなかったのですが、尻を庇って、下についた右手を少しばかり切ってしまいました。その傷もようやく治って、手を洗う湯がしみて痛まなくなりました。80才になっても、皮膚の再生能力はまだあると見えます。/さて、つばめグリル八十路のつどいで、君に何かと通信費のものいりをさせることを考え、今年のカンパをお届けします。印刷費、郵便費の一部にでも当てて下さい。/わが家は老妻が電気コードに引っかかって廊下で転倒して、テーピングで治療しているものですから、私が家事をてつだうのですが、やりかたが悪いと文句たらだらです。頭の悪い叩き上げの上司に昔同じようなめに会ったことがありますが、80才でこのような上司? に会おうとはね。/対処策は「ようし、分かった」とへんじをして、その指示に従わず、自分の思う方向で家事を処理することです。終りよければすべて良し。プロセスなんぞ、幾通りもあるのです… と、こう開き直ると気が楽です。/近頃、さっぱり手紙を書かないKにFAXしてみた。返事が来て「ここのところ腰痛が出て難儀している」と書いてあった。たしかにこの歳になると、あっちこっちも痛むものだよ。昨夜も寝床の中でこむら返りが起こって目が覚めた。/まあ、命に別状はなかろうが、痛いことは痛い。/そんなこんなの毎日だか、今日節分で君の豆撒き姿の写真を思い出した。/生きられるだけいきてみようよ。/とりあえず節分のご挨拶/草々」
 
 携帯メールが入った。
 蒲田のshinさんからのメールに、曰く、「日高 さま/本日は81歳のお誕生日ですネ。おめでとうございます!/益々のご健康をお祈り申し上げます。/最近は、穏やかな天気が続いていますネ。でも油断せずに、お体に十分お気をつけてください。/またの再会を楽しみにしております。/奥様にもどうぞよろしくお伝えください。/                            シン@蒲田」
 爺からshinさんへ曰く、「誕生日のお祝いの言葉有難う/僕の生まれた1932年は2月4日が節分で、5日が立春でした。これが僕が節夫と名付けられ、セッチンと呼ばれるようになった由縁です。ハハハハッ/まずはお礼まで/セッチンより」
 
 塾友のkanameちゃんからのメールに、曰く、「〓お誕生日おめでとうございます〓〓kanami〓」
 爺からkanameちゃんへ曰く、「ありがとう。寄席に言っていたので返事が遅れました。/日高」
 さらに、kanameちゃんからのメールに、曰く、「先生がお元気でいらっしゃる事がkanamiとって大きな〓幸せ〓の一つです〓」
 
 婆様からかTS氏夫人に、浅草演芸ホール自由入場券頂戴のお礼のメールを入れたらしい。婆様の携帯に折り返し返事が届いた。曰く、
「今晩は。ご無沙汰しております[m(_ _)m]/浅草演芸場行って下さったのですね。わざわざご報告して戴いて恐縮です。/ありがとうございます。/日高先生のお誕生日にお二人で 笑って戴けたことが分かって 私もすごく嬉しいです〓。/主人も喜びます。
 そうそう、東京マラソンに向け一昨日は 主人とTKさんと MNさんと三人で 一緒に少し練習で走ったようです。/東京マラソンに参加が決まって走るようになってから体重もかなり落ちて 今のところは結構楽しそうにしています。/本番 どうなることか…? /多分 ヘロヘロになると思います。私は少し意地悪な目で見ています〓/当日出来ましたら 応援 宜しくお願い致します。/一昨日、昨日と 凄く暖かくてびっくりしましたが、また 明日夕方から雪の予想も出ていますので 風邪など引かれませんようお気をつけ下さい。
メール 戴けて嬉しかったです。有り難うございました。日高先生にも宜しくお伝え下さい。M「__」m/ではまた(⌒0⌒)/~~makiko〓」
ce11a263.jpeg
04eea2d1.jpeg  Lucky Puzzle(ラッキーパズル)は、Cross puzzle(クロスパズル)ともいい、縦横の比が5:4の長方形を7片に分割した知恵の板で、わが国では「Lucky Puzzle(ラッキーパズル)」の名で昭和4(1935)年頃から玩具として売られていて、今でも引き続き売られているという。Tangram(タングラム)で作れる凸多角形は13種類であったが、このLudy Puzzle では21種類の凸多角形が作れる。
 
0b1ce629.jpeg このパズルが古くからあったことは、イギリスのマジシャン、Professor Hoffman〔プロフェッサー ホフマン、1839~1919年〕著の 『新旧パズル』(Puzzles Old and New) (1893年)にクロス(十字架)パズルとして載っているということから見ても明らかである。これは当初7片で十字形を作る問題だったための名称で、それが種々のパターンが作られて、クロスという言葉が名前にだけ残ったというわけである。左図の下段中央にその十字架のパターンを示す。
 
 十字架パズルとT字パズル:いままで紹介してきた知恵の板は、いずれも1組何枚かの板を用いて、さまざまのパターンを作るものであった。しかし、すべての知恵の板がそうではなく、1組の板で単一のパターンを作るものもある。
32adb5ae.jpeg 中でも古典的なものが、左図の左に示した6片からなる十字架パズルである。Jerry Slocum(ジェリー・スローカム)、Jack Botermans(ジャック・ポタマンズ)共著の本によれば、このパズルの現在見つかっている最も古い文献は、1857年に出版されたものだとのことである。なお、このパズルには、右側にしめしたように1片少ない5片からなるものもあり、両者は並存していたようである。
0377dbf9.jpeg この十字架パズルの改良版と考えられるのが、今日でもよく売られているというTパズルである。Tパズルはわずか4片でTの形を作るもので、簡単のように見えるが、やってみるとけっこう手こずる。傑作の一つといってよい。前述のSlocum(スローカム)、Botermans(ボタマンズ)共著の本によれば、現在知られている最も古いものは、1903年に出ているとのことである。  
 
307724f8.jpeg 智恵の板にはいろいろの種類があるが、いずれも正方形または長方形を直線で7つに分割したものであった。実際に今まで発表されてきた智恵の板の大部分はこの種のものである。ただし、同じ正方形を切ったものでも19片に切ったもの(益智図)もあったことは先日来のブログでも述べた。正方形、長方形以外の多角形では左の図のような正八角形のものがあるという。
 
cd760016.jpeg 多角形以外にも円、ハート型、卵形のもの等が発売されているそうだが、左図の卵形を12片に切った智恵板はなかなか楽しめるそうである。この卵形の智恵板から出来る形を示しておく。いずれも卵から発生してくる動物になっているところがミソ。
 夜中(やちゅう)に雨があったらしい。玄関に新聞を取りに行くと道路がぬれている。部屋のヒーターを付けると温度の上昇が早い。10分も経たぬうちに15℃を示す。
 今朝のウェブニュースより
90251c32.jpeg 春の嵐で季節はずれの暖かさに ―― 2日は南風が強まり、春の嵐に。/南風が気温を押し上げ、四国や本州の太平洋側は4月並みの暖かさ。/3日は一転、冬の嵐。/北風が吹いて寒くなり、北日本では暴風雪の所も。/2日(土)は低気圧に向かって強い南風が吹き荒れる見込み。/立春前の春の嵐に。/強い南風で交通機関に影響のでる可能性もあるため、お出かけの際は時間に余裕を。/天気は下り坂。西日本ではすでに雨が降り始めていますが、1日(金)夜には東海や北陸、日付が替わる頃には関東や東北は雨、北海道は湿った雪か雨が降り始めるでしょう。/気温が高めのため、北陸や東北も雪ではなく雨の所が多くなります。
なだれや屋根からの落雪に注意が必要です。/ただ、気温はのぼり坂です。/南風が気温を押し上げ、2日の朝は全国的に気温が高め。/朝の最低気温は関東以西で10度前後、北海道ではプラスの気温の所も。/寒くない朝のあとは、季節はずれの暖かさ。/四国や本州の太平洋側では4月並みの暖かさとなり、20度近くまであがる所もある見込み。/この暖かさは一時的。3日(日)は寒くなります。/2日の夜には広く北風や西風にかわり、寒気が流れ込みます。/3日は関東以北を中心に大幅に気温が下がり、2日との気温差が体にこたえるでしょう。
 北日本の日本海側は雪で、風も強まります。/日曜日は冬の嵐、北海道では暴風雪の所も。/2日から3日は天気と気温の変化が大きくなります。/年末年始の冬山遭難のニュースは記憶に新しいと思いますが、2日から3日の気象条件は、冬山での遭難の可能性が高くなります。/無理な行動をしないようにしてください。(tenki.jp 2013年2月1日 16時34分)
 
4719bbf5.jpeg 早いもので、今日は塾友のマイチの1周忌。日頃はついつい忘れがちであるが、この日は忘れることはないだろう。マイチがスキルス癌で入院していることを知らされ、ナベちゃんの案内で、1日に大久保病院に見舞う。翌日2日朝にマイチの訃報が入る。まるで、爺との面会を待つようにして逝ってしまった。1日措いて4日は爺の80歳の誕生日であった。57歳のマイチが惜しまれながら逝って、この爺が未だに生き恥を晒している。この不条理を如何(イカン)ともし難い。
 
 此処のところ、先月17日に行なった関東地域水門会会合に出席したメンバーの原稿が立て続けに届いて、その編集にちょっくら追われている。
61b3868f.jpeg 中国で、1878年(光緒4年)にタングラムと別のタイプの知恵の板の本が出版された。それが『益智図』(全6巻)である。これは「十五巧板」とも呼ばれ左図のように、正方形を15片に分割したものである。益智図も日本やヨーロッパに伝えられたが、タングラムのようには流行(はや)らなかった。なおわが国でも、寛政年間(1789~1800)に19片からなる知恵の板がかなり流行したという文献があり、同類のものに15片のものもあった。
 パズル『益智図』の発案者は清末の文人、江蘇省祟明の人、童葉庚(字、松君。號、睫巣。又號、巣睫山人)。古典詩文から書画・金石にまで通じた多能の人であったらしい。このパズルは15枚の板で作った(型)、とそれが何を題材にしているのかを表わす、詩や故事の断片から成っている。
 
伏羲時龍
5bc01e73.jpeg 馬負圖出
 孟河背有
 陰陽五十五
 點伏羲則
 之始畫八卦

 伏羲の時,龍馬 圖を負いて孟河を出ず。 背に陰陽の五十五點あり。 伏羲これにのっとり,始めて八卦を畫す。
 ※「河圖洛書(かとらくしょ)」の故事。「河圖」すなわち,易の八卦先天圖の由來。 伏羲は中國の傳說上の皇帝,人の始祖ともされる。 孟河は黃河の支流。渡し場があった。
 
禹治水地
5dc747b5.jpeg 平天成神
 龜負文
 出于洛禹
 象之列
 洪範九疇

 禹 水を治め地を平らぐ。天 神龜(しんき)と成りて,文を負い洛より出ず。 禹 これに象(かたど)りて洪範九疇を列す。
 ※「河圖洛書(かとらくしょ)」の故事。「洛書」すなわち,易の八卦後天圖の由來。禹は中國の傳說上の皇帝。
 
 花影  宋・蘇軾
d44e843e.jpeg 重重疊疊上瑤臺 幾度呼童掃不開
 剛被太陽收拾去 却教明月送將來

 重重 疊疊 として瑤臺に上る 幾度り童を呼びて掃けど開かず 剛被す太陽 收拾して去るは 却って教う 明月の送りて將に來るべきを
 ※『千家詩』より引用
 ようようのぼった見晴らしの 塵は僕(しもべ)に掃かせどあかず お日樣のすとんと落ちたるは 今宵月見に良きしるし
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新コメント
[enken 02/23]
[中村東樹 02/04]
[m、m 02/04]
[爺の姪 01/13]
[レンマ学(メタ数学) 01/02]
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/