瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
二進法の数から環の位置を知るには、ちょっとしたコツが必要である。最高位からみて、
(1)最初に0が1個以上あれば、その個数だけ外れた輪がある。
(2)最初に出てくる1は必ず嵌まった環を示す。
(3)同じ数が2個以上続く場合は2個目から先は外れた環を示す。
といったことに注意すれば、間違えずに翻訳することが出来るのである。
昨日のブログの(a)(b)の約束によって、(イ)(ロ)をそれぞれ二進法で表わすと、
(イ)は01101、(ロ)は10011となる。十進法に直すと13と19であるから、14から18までの数を二進法で表わして、それを環の位置に翻訳すればよいのである。
西洋では、イタリアのGerolamo Cardano(ジェロラモ・カルダーノ、1501~1576年、数学者)が1550年に書いた本の中で論じているから、相当古くからあることがわかるが、中国との関係はよくわからない。その後イギリスのJohn Wallis(ジョン・ウォリス、1616~1703年、数学者)も論じている。注目すべきは、1872年にフランスのM .L.グロ(詳細不明)が二進法を利用してこの問題を巧みに解明したことであるという。
二進法は、2になるごとにケタが上がり、数字は0と1しか用いない。われわれが普通使っている十進法の数を2進法に直すには、左の図のように、どんどん2でわっていき、割り切れたときには0、余ったときには1と右側に書く。この書き留めた数を下のほうから順に並べると、二進法の数になる。つまり、十進法の26は 二進法であらわすと、 11010 となるのである。
反対に二進法の数を十進法に直すには、二進法のn位は2ⁿ⁻¹ を単位としているわけであるから、11010 は、 2⁴+2³+0+2¹+0=16+8+2=26 が十進法で表わした数となる。
チャイニーズ・リングを少しいじってみると分かるが、3月14日のブログでも述べたように、一番右端の環は自由にはずせる。また二番目の環もはずすことができる。しかし、3番目から先は簡単にはいかない。一般にn番目の環は、(n-2)番目の環までは全部はずれていて、(n-1)番目の環がはまっているときに限ってはずすことができるのである。
ここでM .L.グロのやり方を簡単に説明してみよう。まず横線を一本引いて、竿にはまっている環はその上部に、はずれている環はその下部に○印で表すことにする。この記載法で4連のものをはずす手順を図に示すと、左図の「4連のものを外す手順」の中央のような図になる。なお、この図は一番端の、自由にはずせる環のある方を右に置いている。
ところで、
(a) 横線より上にある○には、左から1、0、1、0、・・・と、交互に1と0をつける。
(b) 横線より下にある○には、それより左側にはまっている環がなければ全部0、あればそれと同じ数字をつける。
という約束にすると、今の4連のものを解く過程は、左図の「4連のものを外す手順」の各右側に示すようように表せることになる。
ここで、この数を二進法の数と考えてみよう。M.L.グロはChinese ringの環を1個嵌めたり外したりする度に、必ずこの数が1だけ変わることに注目したのである。4連の場合は、全部嵌っている状態 1010 から、全部外れた状態 0000 にするには、その差だけの手数が必要ということになる。二進法の1010は十進法では
2³+0+2+0=8+2=10 であるから、最低10手が必要なわけである。
環の数が奇数個の場合、すなわち、1個の場合は二進法で1回、3個の場合は二進法では101回、5個の場合は二進法で10101回の手数がかかることになり、これを十進法に直すとそれぞれ1、5、21となる。
環の数が偶数この場合、すなわち、2個の場合は二進法で10回、4個の場合は二進法で1010回、6個の場合は二進法で101010回の手数がかかることになり、これを十進法に直すとそれぞれ2、10、42となる。
一般に環の数がn個の時の最少手数は、nが奇数の場合と偶数の場合に分けて、左の式で求めることが出来る。
二進法は、2になるごとにケタが上がり、数字は0と1しか用いない。われわれが普通使っている十進法の数を2進法に直すには、左の図のように、どんどん2でわっていき、割り切れたときには0、余ったときには1と右側に書く。この書き留めた数を下のほうから順に並べると、二進法の数になる。つまり、十進法の26は 二進法であらわすと、 11010 となるのである。
反対に二進法の数を十進法に直すには、二進法のn位は2ⁿ⁻¹ を単位としているわけであるから、11010 は、 2⁴+2³+0+2¹+0=16+8+2=26 が十進法で表わした数となる。
チャイニーズ・リングを少しいじってみると分かるが、3月14日のブログでも述べたように、一番右端の環は自由にはずせる。また二番目の環もはずすことができる。しかし、3番目から先は簡単にはいかない。一般にn番目の環は、(n-2)番目の環までは全部はずれていて、(n-1)番目の環がはまっているときに限ってはずすことができるのである。
ところで、
(a) 横線より上にある○には、左から1、0、1、0、・・・と、交互に1と0をつける。
(b) 横線より下にある○には、それより左側にはまっている環がなければ全部0、あればそれと同じ数字をつける。
という約束にすると、今の4連のものを解く過程は、左図の「4連のものを外す手順」の各右側に示すようように表せることになる。
ここで、この数を二進法の数と考えてみよう。M.L.グロはChinese ringの環を1個嵌めたり外したりする度に、必ずこの数が1だけ変わることに注目したのである。4連の場合は、全部嵌っている状態 1010 から、全部外れた状態 0000 にするには、その差だけの手数が必要ということになる。二進法の1010は十進法では
2³+0+2+0=8+2=10 であるから、最低10手が必要なわけである。
環の数が奇数個の場合、すなわち、1個の場合は二進法で1回、3個の場合は二進法では101回、5個の場合は二進法で10101回の手数がかかることになり、これを十進法に直すとそれぞれ1、5、21となる。
環の数が偶数この場合、すなわち、2個の場合は二進法で10回、4個の場合は二進法で1010回、6個の場合は二進法で101010回の手数がかかることになり、これを十進法に直すとそれぞれ2、10、42となる。
中国には、古くから輪が九個のものがあり、九連環と呼ばれていた。材質は鉄か銅であったが、そのもとのものに石で作られた知恵の輪があった。中国の古い歴史の本『戦国策』の中に出てくる玉連環がそれだと言われている。話はこうである。
戦国時代(BC403 ~ 221年)のことである。大国秦の始皇帝の使者が斉にやってきた。当時、斉では襄王が亡くなって、その后の君王后が政治を行っていた。使者は君王后に玉連環を献上してこう言った。
「斉には知恵者が多いと聞きました。ぜひこの環をはずしてみて下さい。」
君王后は家臣の者に玉連環を渡したが、だれもはずすことができなかった。すると后は槌を取り寄せると、玉連環を打ち壊し、秦の使者にこう言った。
「謹んではずしましたよ」 (3月12日のブログ「君王后」を参照)
一方では九連環は、「諸葛亮(181~234年)が、妻の無聊(ぶりょう)の退屈を慰めるために考案した」という伝説もある。孔明が開発したものには諸葛菜・銅弩機・木牛・流馬・紙芝居・諸葛錦・饅頭などなど、沢山ののものがあるが、そのなかでも孔明が開発したといわれる玩具に孔明鎖とこの九連環があるというのである。
九連環は、17世紀後半には、日本でもよく知られたパズルになっている。結構人気のあったことは、紋章に知恵の輪の紋(左図参照)まであることでも知られよう。また、『大坂独吟集(1675《延宝3年》刊、編者未詳)』の中にある「智恵の輪や 四条通に ぬけぬらん」という鶴永(井原西鶴、1642~1693年)の句などから窺うことができる。
杉田玄白(1733~1817年)の『蘭学事始』の中には「明和6(1769)年、長崎のオランダ商館長(カピタン)Jan Crans(ヤン・クランス)が江戸の長崎屋に滞在した時、酒宴の席で平賀源内(1728~1780年)が金袋の口に取り付けられていた智恵の輪を苦も無くあけてしまったという記事が書かれている。(3月13日のブログ「カランスと源内」を参照)
大数学者で、関孝和に対抗して最上(もがみ)流という一派を立てた会田安明(あいだやすあき、1747~1817年)は、数え年九歳(1755年)のとき、人から九連環をもらった。父親に見せると、昔やったことがあると言って、三つ四つ輪をはずしたが、それ以上はできなかった。これだけはずせるのなら、理詰めで全部はずせるはずだと安明が言うと、父親は「では考えてみなさい」と言った。それから安明は一晩寝ないで考え、とうとう知恵の輪の原理を解明した。彼はこれで自信を得て、数学の道へ進む決心をしたという。
偉人のエピソードというものは後年の創作が多いが、この話は安明自身自叙伝の冒頭に書いているので、信用してもよいだろう。
戦国時代(BC403 ~ 221年)のことである。大国秦の始皇帝の使者が斉にやってきた。当時、斉では襄王が亡くなって、その后の君王后が政治を行っていた。使者は君王后に玉連環を献上してこう言った。
「斉には知恵者が多いと聞きました。ぜひこの環をはずしてみて下さい。」
君王后は家臣の者に玉連環を渡したが、だれもはずすことができなかった。すると后は槌を取り寄せると、玉連環を打ち壊し、秦の使者にこう言った。
「謹んではずしましたよ」 (3月12日のブログ「君王后」を参照)
一方では九連環は、「諸葛亮(181~234年)が、妻の無聊(ぶりょう)の退屈を慰めるために考案した」という伝説もある。孔明が開発したものには諸葛菜・銅弩機・木牛・流馬・紙芝居・諸葛錦・饅頭などなど、沢山ののものがあるが、そのなかでも孔明が開発したといわれる玩具に孔明鎖とこの九連環があるというのである。
杉田玄白(1733~1817年)の『蘭学事始』の中には「明和6(1769)年、長崎のオランダ商館長(カピタン)Jan Crans(ヤン・クランス)が江戸の長崎屋に滞在した時、酒宴の席で平賀源内(1728~1780年)が金袋の口に取り付けられていた智恵の輪を苦も無くあけてしまったという記事が書かれている。(3月13日のブログ「カランスと源内」を参照)
大数学者で、関孝和に対抗して最上(もがみ)流という一派を立てた会田安明(あいだやすあき、1747~1817年)は、数え年九歳(1755年)のとき、人から九連環をもらった。父親に見せると、昔やったことがあると言って、三つ四つ輪をはずしたが、それ以上はできなかった。これだけはずせるのなら、理詰めで全部はずせるはずだと安明が言うと、父親は「では考えてみなさい」と言った。それから安明は一晩寝ないで考え、とうとう知恵の輪の原理を解明した。彼はこれで自信を得て、数学の道へ進む決心をしたという。
偉人のエピソードというものは後年の創作が多いが、この話は安明自身自叙伝の冒頭に書いているので、信用してもよいだろう。
環が奇数の場合は (2ⁿ⁺¹-1)/3回、
環が偶数の場合は (2ⁿ⁺¹-2)/3回 である。 (左表参照)
戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に編集し、まとめ上げた書物として前漢の劉向(BC77年~BC6年)が33篇の一つの書にまとめた「戦国策」の『斉策』に次のような件(くだり)がある。
齊閔王之遇殺、其子法章變姓名、為莒太史家庸夫。太史敫女、奇法章之狀貌、以為非常人、憐而常竊衣食之、與私焉。莒中及齊亡臣相聚、求閔王子、欲立之。法章乃自言於莒。共立法章為襄王。襄王立、以太史氏女為王后、生子建。太史敫曰:「女無謀而嫁者、非吾種也、汙吾世矣。」終身不睹。君王后賢、不以不睹之故、失人子之禮也。襄王卒、子建立為齊王。君王后事秦謹、與諸侯信、以故建立四十有餘年不受兵。秦始皇嘗使使者遺君王后玉連環、曰:「齊多知、而解此環不?」君王后以示群臣、群臣不知解。君王后引椎椎破之、謝秦使曰:「謹以解矣。」及君王后病且卒、誡建曰:「群臣之可用者某」。建曰:「請書之。」君王后曰:「善。」取筆牘受言。君王后曰:「老婦已亡矣!」君王后死、後后勝相齊、多受秦間金玉、使賓客入秦、皆為變辭、勸王朝秦、不脩攻戰之備。
〔訳〕斉の閔王が殺されるや、その子法章は、姓名を変えて、莒(きょ)の太史の家の雇い人になった。太史敫(きょう)の娘は、法章の容貌風姿を奇(く)しと見、只者ではないであろうと、同情して、始終こっそり衣食を恵み、情交を通じた。やがて、莒をはじめ斉(首都臨淄)の姿をくらましていた臣下達が相寄って、王に立てようと、閔王の子を探しにかかった。そこで、法章は莒で自分から名乗り、臣下達はともどもに法章を立てて襄王とした(BC273年)。襄王は即位すると、太史の娘を王后に立て、子建(けん)を生んだ。太史敫(きょう)は、
「仲立ちなしに嫁いだ娘は、わたしの眷族ではない。わたしの生涯に泥をぬりおった」
と言い、終生あわなかった。が君王后はよく出来た婦人で、会ってくれぬからと、子としての礼を欠くことはなかった。
襄王が卒し、子建が立って斉王となった。君王后は、秦に仕えて恭謹、諸侯とは信義をもって交わった。そのため、建が立って四十余年というもの、侵攻を蒙らなかったのである。
秦の始皇帝が、使者を遣り、こういって君王后に玉連環(玉を組合わせた智恵の輪)を贈らせたことがあった。
「斉には知恵者が大勢おいでだが、この環をお解けかな?」
君王后が群臣に見せたところ、誰にも解き方が判らない。すると君王后は椎(つち)を引き寄せて打ち砕き、秦の使者に謝して言った、
「つつしんで、お解きいたしました」
君王后は、病んでいまわの際に及び、建を戒めて、
「君臣の中で、お用いになるべきは某」
と言った。建が、
「書き取らせてください」
と言うと、君王后は、
「いいよ」
と言ったが、いざ、書きものと書きしるす板とを持って待ち受けると、君王后は言った。
「おいぼれめが、はや忘れてしまいました」
君王后がみまかると、后勝〔こうしょう、未詳〕が斉の宰相となり、秦の間諜からしこたま金玉を貰いうけ、賓客たちを秦に送り込んだ。賓客達はいずれもおためごかしを言い、秦に入朝するように王に勧めて、戦の具えを怠らせたのであった。
齊閔王之遇殺、其子法章變姓名、為莒太史家庸夫。太史敫女、奇法章之狀貌、以為非常人、憐而常竊衣食之、與私焉。莒中及齊亡臣相聚、求閔王子、欲立之。法章乃自言於莒。共立法章為襄王。襄王立、以太史氏女為王后、生子建。太史敫曰:「女無謀而嫁者、非吾種也、汙吾世矣。」終身不睹。君王后賢、不以不睹之故、失人子之禮也。襄王卒、子建立為齊王。君王后事秦謹、與諸侯信、以故建立四十有餘年不受兵。秦始皇嘗使使者遺君王后玉連環、曰:「齊多知、而解此環不?」君王后以示群臣、群臣不知解。君王后引椎椎破之、謝秦使曰:「謹以解矣。」及君王后病且卒、誡建曰:「群臣之可用者某」。建曰:「請書之。」君王后曰:「善。」取筆牘受言。君王后曰:「老婦已亡矣!」君王后死、後后勝相齊、多受秦間金玉、使賓客入秦、皆為變辭、勸王朝秦、不脩攻戰之備。
〔訳〕斉の閔王が殺されるや、その子法章は、姓名を変えて、莒(きょ)の太史の家の雇い人になった。太史敫(きょう)の娘は、法章の容貌風姿を奇(く)しと見、只者ではないであろうと、同情して、始終こっそり衣食を恵み、情交を通じた。やがて、莒をはじめ斉(首都臨淄)の姿をくらましていた臣下達が相寄って、王に立てようと、閔王の子を探しにかかった。そこで、法章は莒で自分から名乗り、臣下達はともどもに法章を立てて襄王とした(BC273年)。襄王は即位すると、太史の娘を王后に立て、子建(けん)を生んだ。太史敫(きょう)は、
「仲立ちなしに嫁いだ娘は、わたしの眷族ではない。わたしの生涯に泥をぬりおった」
と言い、終生あわなかった。が君王后はよく出来た婦人で、会ってくれぬからと、子としての礼を欠くことはなかった。
襄王が卒し、子建が立って斉王となった。君王后は、秦に仕えて恭謹、諸侯とは信義をもって交わった。そのため、建が立って四十余年というもの、侵攻を蒙らなかったのである。
「斉には知恵者が大勢おいでだが、この環をお解けかな?」
君王后が群臣に見せたところ、誰にも解き方が判らない。すると君王后は椎(つち)を引き寄せて打ち砕き、秦の使者に謝して言った、
「つつしんで、お解きいたしました」
君王后は、病んでいまわの際に及び、建を戒めて、
「君臣の中で、お用いになるべきは某」
と言った。建が、
「書き取らせてください」
と言うと、君王后は、
「いいよ」
と言ったが、いざ、書きものと書きしるす板とを持って待ち受けると、君王后は言った。
「おいぼれめが、はや忘れてしまいました」
君王后がみまかると、后勝〔こうしょう、未詳〕が斉の宰相となり、秦の間諜からしこたま金玉を貰いうけ、賓客たちを秦に送り込んだ。賓客達はいずれもおためごかしを言い、秦に入朝するように王に勧めて、戦の具えを怠らせたのであった。
本日のウェブニュースより、桜開花予想。
2013年桜開花予想(第3回)~春の兆し到来 開花と満開は平年並みか早め~
一般財団法人日本気象協会(本社:東京都豊島区、会長:繩野克彦)は、2013年3月6日(水)に日本全国90地点の桜(ソメイヨシノほか)の開花予想(第3回)を発表します。今回の発表から満開日の予想も発表します。
(1) 概況
2013年の桜(ソメイヨシノほか)の開花日と満開日は、九州・四国地方は平年より2~6日早く、中国から関東地方は平年と同じか1~4日早いでしょう。九州から関東にかけては3月最後の週末にお花見の楽しめるところが多くなりそうです。甲信・北陸地方から北海道の開花日と満開日は平年とほぼ同じでしょう。
(2) 本文
2013年3月は、春一番でスタートし、その後、北海道で猛吹雪になるなど、寒暖の変動が大きくなっています。この先、明日(3月7日)から来週にかけて、九州から関東地方は気温がかなり高く、初夏のような陽気の日もあるでしょう。このため、九州から関東地方の桜のつぼみは順調に生長し、開花と満開は平年並みか平年より早くなるでしょう。その後、寒暖の変動を繰り返しながら5月にかけて、気温は概ね平年並みに経過する見込みです。このため、甲信・北陸地方から北海道の桜の開花と満開は平年並みでしょう。桜前線は3月17日に高知県を出発して九州地方へ進み、3月下旬には中国、近畿、東海、関東地方からも桜の便りが届くでしょう。
3月5日(火)に「水門会のお花見通知(左図)」を発送。一応、関東地域に在住の会員34名に通知したが、はてさて、今年は何名が参加することやら。

隅田公園花川戸の大寒桜が綻び始めた。テラス沿いに北上。白鬚橋手前で折り返し、今戸神社前を通って帰宅した。今戸神社の河津桜が7分咲き。
大野勝 発 3月1日12時10分消印
♪春は名のみの風の寒さや……♪ /その後お変わりないことと存じます。/この度は『八十路の「水門」』
立派な冊子にしたてていただいてありがとう! /良い憶い出の一つとして残しておきましょう。/これからの余生、さほどもない筈、ならば今のうち、ぜひぜひおはなみかいよろしく。/お礼旁々厚顔詩意お願いまで 草々
2013年桜開花予想(第3回)~春の兆し到来 開花と満開は平年並みか早め~
一般財団法人日本気象協会(本社:東京都豊島区、会長:繩野克彦)は、2013年3月6日(水)に日本全国90地点の桜(ソメイヨシノほか)の開花予想(第3回)を発表します。今回の発表から満開日の予想も発表します。
(1) 概況
2013年の桜(ソメイヨシノほか)の開花日と満開日は、九州・四国地方は平年より2~6日早く、中国から関東地方は平年と同じか1~4日早いでしょう。九州から関東にかけては3月最後の週末にお花見の楽しめるところが多くなりそうです。甲信・北陸地方から北海道の開花日と満開日は平年とほぼ同じでしょう。
(2) 本文
大野勝 発 3月1日12時10分消印
♪春は名のみの風の寒さや……♪ /その後お変わりないことと存じます。/この度は『八十路の「水門」』
立派な冊子にしたてていただいてありがとう! /良い憶い出の一つとして残しておきましょう。/これからの余生、さほどもない筈、ならば今のうち、ぜひぜひおはなみかいよろしく。/お礼旁々厚顔詩意お願いまで 草々
逆にする並べ替えが出来たら、でたらめに並べたものを番号順に並べなおしてみよう。やってみると、どうしてもうまくゆかない場合がある。例えば、 12354-- のように、二つだけ入れ替えたものはどうしてもどうしても元に戻すことが出来ない。
番号順に並べ替えができるのは「偶順列」の場合だけである。偶順列とは大きさ順の転倒が偶数個ある順列のことである。例えば、 25413-- では、1の前には自分より大きい数字が3個(2・5・4)、3の前には2個(5・4)、4の前には1個(5)で合計 3+2+1=6 で合計6個あるから、「順列の転倒は偶数個、つまり偶順列」というのである。隣り合った石を2個一緒に動かせば、順序の転倒は必ず偶数個(0も含めて)増減するから、何回動かしても偶順列ばかりが出来るわけである。
しかし、「偶順列ならすべて順序通りに並べ替えが出来ることの証明」はやや難しいので、ここでは省略する。
中根彦循が『勘者御伽双紙』に「鴛鴦(えんおう、おしどり)の遊び」を書いて、140年ほど経った1884年に「Taitの問題」が書かれている。
昨日のブログで示したように、「鴛鴦の遊び(黒白3個ずつ)」では3手で並べ替えが完了し、「Taitの問題(黒白4個ずつ)」では4手で並べ替えが完了する。
黒白がそれぞれ5個、6個、7個の場合は、左図の通り、番号順に動かすと、目先が開けてくるだろう。
黒白がそれぞれ8個ずつの場合も、左図のように出来る。まず、両端付近で細工をしてから、中央の部分を4個ずつの場合の手順で並べ替えて、最後に両端を処理するのである。9個ずつの場合も同じように、5個ずつの場合の手順を使えばうまく行くであろう。こうして、いくらでも石の数を増やすことが出来、黒白の石がそれぞれn個ずつのばあい、n手で並べ替えが完了出来るのである。
黒白3個ずつの場合、4手で左の図のように、元の場所に並べなおすことが出来る。
手数に拘らなければ、2図のようにして、黒白が幾つずつでも元の場所に並べなおせるのである。
このような問題を解く場合、最初はどうしてよいか見当もつかないから、適当に色々動かしてみて、失敗を繰りかしているうちに、いつか思いがけもなく解けてしまうものである。しかしながら、一度成功したぐらいでは、どの道を通って来たのか全く思い出せないことが多く、さらに何回も繰り返してから手順発見に至るようである。これがパズルの楽しみなのであるが、見つけた解が果たして最少の手数のものであるかどうか、他にもやり方があるのではないかと気になるものである。完全に確かめるには、組織的に“しらみつぶし”に試してみるか、理論的な証明を考えなければならない。
黒白がそれぞれ5個、6個、7個の場合は、左図の通り、番号順に動かすと、目先が開けてくるだろう。
手数に拘らなければ、2図のようにして、黒白が幾つずつでも元の場所に並べなおせるのである。
鴛鴦(えんおう、おしどり)の遊びというのは、白石n個、黒石n個を交互に並べたものを鴛鴦(おしどり)が番(つが)いで並んでいる姿に見立てて、これを雌雄別々に並ぶようにする遊びである。ただし、石を動かすには、隣合った二つの石を同時に動かさねばならない。

この問題は中根彦循の『勘者御伽双紙』(1743年)にnが3の場合が載っている。原文には解答が「四五を取り七八へ」というように文章で書かれているが、見やすいように図で示すと、左図のようになる。つまり、アンダーラインの引いてある石を順に右の方へ移していけばよい。
西洋では、この問題をテートの問題と呼んでいるが、それはイギリスの物理学者P.G.Tait(テート、1831~1901年)が1884年に論文を発表したことによる。テートは金貨と銀貨各4枚を交互に並べたものを別々にする形にしている。
一般にn個(n≧4)の場合、隣に空所が2個分あれば、n回の移動で並べ替えることが可能である。nが3の場合だけは、もし隣に2個分の空所しかなければ、4回移動させる必要がある。nが4の場合のやり方を左にに示した。
鴛鴦の遊びは入れ替え問題の古典であるが、入れ替え問題は非常に数が多く、カエルの入れ替え、汽車の入れ替え、自動車の入れ替え、将棋の入れ替え等、枚挙にいとまがない。
ここではもう一つ、カエルの入れ替え問題をご紹介しよう。
1から4までの番号のついた4匹のカエルが左の「カエルの入れ替え問題」の上図ようにはすの葉の上に左から番号順に並んでいる。これらのカエルは、隣の葉が空いていればそこに移ることができる。また、隣の葉にカエルがいて、その向う側の葉が空いている場合、隣のカエルを飛び越して、空いている葉にうつることが可能である。
それでは、このカエルを今並んでいるのと逆の順序、つまり4321と並ぶようにするには、どうしたらよいだろうか。ただし、2匹以上のカエルを1度に飛び越えたり、同じ葉の上に2匹のカエルが乗ることは許されない。
この問題を解くには、このままで考えるより、下図のAのようなカエルの移動が可能な路線図を作ってみる方がよい。これからBのようなルート図ができるので、あとはこのサイクルを回転していけばよい。解は、3、1、2、4、3、1、2、4、3、1(10手)。
西洋では、この問題をテートの問題と呼んでいるが、それはイギリスの物理学者P.G.Tait(テート、1831~1901年)が1884年に論文を発表したことによる。テートは金貨と銀貨各4枚を交互に並べたものを別々にする形にしている。
鴛鴦の遊びは入れ替え問題の古典であるが、入れ替え問題は非常に数が多く、カエルの入れ替え、汽車の入れ替え、自動車の入れ替え、将棋の入れ替え等、枚挙にいとまがない。
ここではもう一つ、カエルの入れ替え問題をご紹介しよう。
それでは、このカエルを今並んでいるのと逆の順序、つまり4321と並ぶようにするには、どうしたらよいだろうか。ただし、2匹以上のカエルを1度に飛び越えたり、同じ葉の上に2匹のカエルが乗ることは許されない。
この問題を解くには、このままで考えるより、下図のAのようなカエルの移動が可能な路線図を作ってみる方がよい。これからBのようなルート図ができるので、あとはこのサイクルを回転していけばよい。解は、3、1、2、4、3、1、2、4、3、1(10手)。
今朝のウェブニュースより
関東に春一番 ―― 首都圏では1日、暖かい南風が強まり、気象庁は「関東地方に春一番が吹いた」と発表した。東京都心(北の丸公園)では最大瞬間風速16.8メートルの南南西の風を観測。気温も都心(大手町)で午前中に16.3度まで上がり、曇りで日差しはないものの、4月上旬並みの陽気となった。/春一番は、立春の後に吹く最初の南寄りの強風。10分間の平均風速8メートル以上で、気温も上がった場合に春一番とされる。昨年は、春分の日までに条件を満たす風が吹かなかったため「観測なし」だった。 (東京新聞 2013年3月1日 夕刊)
何人かの人から関東地域新年会の冊子「八十路の『水門』」が着いたとの電話があった。メール・手紙を送ってくれた人は次の通り。
野崎逸郎発 2月23日(土)13:39 発信
日高 節夫 様/只今(13:07)一階の集合ポストに、掲題記念冊子、拝受。お手数ありがとうございました。/当地区は、外の神奈川県地区と違って、最後に分割された区のせいか、それとも集合住宅のせいなのか、ここ数年、郵便と宅配便の配達がとても遅くなったのです。/きのう、海老名の鈴木君から、掲題冊子の到着電話をもらったのですが、我が家は結局、きのうの最終便では着きませんでした。/君にお礼を言うのをさぼっていたわけではなく、正直、先刻、到着いたしましたので、すぐさまパソコンに向かってお礼を記しているのです。/身体に無理して作ってくれた冊子ですから、いち早くお礼を申しあげる積りでいましたが、遅くなって申訳ありません。/さて花見の日程ですが、3月下旬は、すべて水門会の花見最優先で、空けてあります。外の大勢の皆さんの日程に従います。/まずは御礼、依って件の如し。急々如律令。江藤君のいんどう(犬童?)のおじさんを思い出すね。
山本幹男発 2月23日(土) 22:50 発信
日高 様/本日、”八十路の「水門」”拝受しました。いつものことながら貴兄には水門会のことでは一方ならぬご尽力をいただき、感謝あるのみです。/今回は又、「八十路の水門」の編集・製本では格別立派な冊子となり誠に有難く思います。水門会のメンバーがこの齢になっても皆集まって旧交を温め合う機会が持てるのもこのような冊子の存在があるからと思います。/なかなか暖かくなりませんが桜の開花予想は例年とあまり差がないようですね。隅田川の花見会ではまた貴兄に何かと面倒をかけることになると思いますが楽しみにしています。/とりあえず冊子受領の報告とお礼を申し上げます。/ 朝晩の冷え込みが厳しいようです。くれぐれもお体にはご自愛ください。
大塚節雄 2月25日(月) 12:18 消印
いつもながらの素晴しいお便りありがとうございます。/皆様お元気の様子何よりです。私、日々進行するボケと仲良く付き合っております。/先日、田代、床田益通両君のご家族より相談を受け、すぐの入院加療を助言し、病院にも面会に行きましたが、主治医に会えませんでしたのでくわしいデーターその他わかりませんが、かなり悪いなとの印象をうけました。しかし、その後特に知らせがないところをみると元気にやっているかと思っております。/久保君も先日来院、相談を受け、腸の腫瘍かと思われる所見が見つかりましたので、入院、精査、手術をすすめ近くその予定です。/皆トシです。何かあっても不思議ではないと思いますが……/仕方ありません。行きつくまで頑張りましょう。/近く恒例の花見をやろうと気運が高まっています。 大塚
何人かの人から関東地域新年会の冊子「八十路の『水門』」が着いたとの電話があった。メール・手紙を送ってくれた人は次の通り。
野崎逸郎発 2月23日(土)13:39 発信
日高 節夫 様/只今(13:07)一階の集合ポストに、掲題記念冊子、拝受。お手数ありがとうございました。/当地区は、外の神奈川県地区と違って、最後に分割された区のせいか、それとも集合住宅のせいなのか、ここ数年、郵便と宅配便の配達がとても遅くなったのです。/きのう、海老名の鈴木君から、掲題冊子の到着電話をもらったのですが、我が家は結局、きのうの最終便では着きませんでした。/君にお礼を言うのをさぼっていたわけではなく、正直、先刻、到着いたしましたので、すぐさまパソコンに向かってお礼を記しているのです。/身体に無理して作ってくれた冊子ですから、いち早くお礼を申しあげる積りでいましたが、遅くなって申訳ありません。/さて花見の日程ですが、3月下旬は、すべて水門会の花見最優先で、空けてあります。外の大勢の皆さんの日程に従います。/まずは御礼、依って件の如し。急々如律令。江藤君のいんどう(犬童?)のおじさんを思い出すね。
山本幹男発 2月23日(土) 22:50 発信
日高 様/本日、”八十路の「水門」”拝受しました。いつものことながら貴兄には水門会のことでは一方ならぬご尽力をいただき、感謝あるのみです。/今回は又、「八十路の水門」の編集・製本では格別立派な冊子となり誠に有難く思います。水門会のメンバーがこの齢になっても皆集まって旧交を温め合う機会が持てるのもこのような冊子の存在があるからと思います。/なかなか暖かくなりませんが桜の開花予想は例年とあまり差がないようですね。隅田川の花見会ではまた貴兄に何かと面倒をかけることになると思いますが楽しみにしています。/とりあえず冊子受領の報告とお礼を申し上げます。/ 朝晩の冷え込みが厳しいようです。くれぐれもお体にはご自愛ください。
大塚節雄 2月25日(月) 12:18 消印
いつもながらの素晴しいお便りありがとうございます。/皆様お元気の様子何よりです。私、日々進行するボケと仲良く付き合っております。/先日、田代、床田益通両君のご家族より相談を受け、すぐの入院加療を助言し、病院にも面会に行きましたが、主治医に会えませんでしたのでくわしいデーターその他わかりませんが、かなり悪いなとの印象をうけました。しかし、その後特に知らせがないところをみると元気にやっているかと思っております。/久保君も先日来院、相談を受け、腸の腫瘍かと思われる所見が見つかりましたので、入院、精査、手術をすすめ近くその予定です。/皆トシです。何かあっても不思議ではないと思いますが……/仕方ありません。行きつくまで頑張りましょう。/近く恒例の花見をやろうと気運が高まっています。 大塚
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目高 拙痴无
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93
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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