昨日、日曜日から大相撲秋場所が始まりました。初日の結びで白鵬が隠岐の海に敗れるという番狂わせがありました。
ウェブニュースより
白鵬 まさかの黒星スタート ――「大相撲秋場所・初日」(13日、両国国技館)
史上最多36度目の優勝を狙う白鵬が、小結隠岐の島に寄り切りで敗れ、波乱のスタートとなった。隠岐の島は13度目の対戦で初めて“大横綱”に勝った。/横綱鶴竜は小結栃ノ心を寄り切って、白星発進。大関陣は照ノ富士、稀勢の里、琴奨菊、豪栄道の4人がすべて勝った。/今場所は特に人気が高く、初日から「札止め」を記録。現在、前売り券は5、6日目に少し残っているだけで「満員御礼」が続きそうだ。 (ディリー スポーツ 2015年9月13日)
昨日のブログでPerseus(ペルセウス)のお話は終わりましたので、今日からは天馬ペーガソスに乗って怪獣キマイラを退治したことで知られる英雄Bellerophōn(ベレロポーン)のお話に移ります。
Bellerophōn(ベレロポーン)は本名ではなく、もとはHipponoosu(ヒッポノオス)といいました。ヒッポノオスはKorinthos(コリントス)王Glaukos(グラウコス)の子で、Sīsyphos(シーシュポス)の孫にあたるといいます。しかし本当の父親はPoseidō(ポセイドーン)だったとされます。
※ Sīsyphos(シーシュポス):ギリシア神話に登場する人物で徒労を意味する「シーシュポスの岩」で知られます。
彼の家系は代代馬好きな家系で、特に彼の父親グラウコスは馬使いの名人として名を馳せていました。グラウコスは馬を強く育てようとするあまり、馬に人間の肉を食わせて育てたといいます。おかげで馬はたくましく成長しましたが、同時に信じられないほど気が荒くなってしまったのです。そしてついにはグラウコスを背から振り落とし、彼を引き裂いて食ってしまったということです。
このような不幸な前例があるにもかかわらず、息子のヒッポノオスもまた馬に対して異常な熱情を抱くようになります。ポセイドーンは彼にPēgasos(ペーガソス)を与えますが、彼はその馬を乗りこなすことができませんでした。そこで、女神Athēnā(アテーナー)が彼に黄金の手綱を与えたので、ようやく彼は天馬ペーガソスを乗りこなせるようになったといいます。
一説には、女神アテーナーがベレロポーンに黄金の轡を与え、これを使って、ペーガソスを捕まえたといいます。
ヒッポノオスはあるとき誤って兄弟のBelleros(ベレロス)を殺してしまったことから、ベレロポーン(ベレロスを殺した者)と呼ばれるようになったといいます。ベレロポーンはその罪で彼はコリントスを追放されてしまい、Árgo(アルゴス)のTiryns(ティーリュンス)王Proitos(プロイトス)のもとに身を寄せ、王によって罪の清めを受けるのでした。
※ Tiryns(ティーリュンス)王Proitos(プロイトス):Akrisos(アクリシオス)と双子の兄弟。2人は生まれる前から母の胎内で争い、成長すると王位をめぐって戦ったといいます。
このとき、プロイトスの妃Stheneboia(ステネボイア、Anteia〈アンテイア〉ともいいます)がベレロポーンを恋してしまったのです。ステネボイアはあれこれ手を使って彼を誘惑するのですが、ベレロポーンはこれを厳しくはねつけ、相手にしなかったことから妃の恨みを買うことになったのです。ステネボイアは可愛さ余って憎さ百倍、ベレロポーンを憎悪するようになり、夫のプロイトスに向かって、ベレロポンが自分を犯しそうになったと濡れ衣を着せ、讒言したのです。プロイトス王はベレロポーンを殺そうかとも思いましたが、当時の習慣として、一度客人として宴会を共にした友人を殺すことは大罪とされていましたので、直接ベレロポーンを殺すことは憚られたのです。そこで彼は、ベレロポーンを小アジアのLycia(リュキア)王のもとに送り、そこで彼を殺してもらおうと考えたのでした。
プロイトスはベレロポーンに手紙を持たせてリュキア王Iobatēs(イオバテース)のもとに送ったのです(ちなみに、この逸話から「自分の窮地をもたらす状況を自分で作る事」を「ベレロポーンの手紙」と言う事があります)。
sechin@nethome.ne.jp です。
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