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 今朝は5日振りの朝の徘徊に出かけました。


 いやはや、降りも降ったり、栃木や茨城の被害は想像を絶するものがあるようです。


 ギリシア神話のペルセウスのお話を続けます。


 


Kassiopeia(カッシオペイア、Ethiopia〈エティオピア〉王Kēpheus〈ケーペウス〉の妃)は自分の美しさを鼻にかけ、Nērēïs(ネーレーイス、海に棲む女神たち、あるいはNymphē〈ニュムペー〉たち)よりも美しいと自慢しました。しかしこの言葉がネーレーイスたちの怒りをかい、ネーレーイスたちは海神Poseidō(ポセイドーン)に訴えたのです。そこでポセイドーンは海の怪物kētos(ケートス、鯨やイルカのような大きく膨れた胴体に犬の頭部を持ち、下半身は魚。尾鰭は扇形で二つに割れているといいます。Zeus (ゼウス)乃至ポセイドーンによって作られたといわれます)を送ってエティオピアを荒らさせました。このためケーペウスとカッシオペイアは娘を怪物の生贄に供さなければならなくなりましたが、娘Andromedā(アンドロメダー)は英雄Perseus(ペルセウス)によって救い出されたとされます。


 


Nikias(ニキーアス):前4世紀末,Alexandros(アレクサンドロス)大王の時代からDiádochos(ディアドコス、後継者)時代にかけて活躍したギリシアの大画家。有名なEuphranōr(エウフラノル、前4世紀のギリシアの画家,彫刻家)の孫弟子で、Attikē(アッチカ)派の最後を飾った。大彫刻家Praxitelēs(プラクシテレス、前4世紀中頃のアテネの彫刻家)の彫刻に彩色を施して栄誉を受けたともいわれます。


 


ちなみにHyginus(ヒュギーヌス、BC64AD17年、ラテン語の著作家〉はカッシオペイアが自慢したのは自分の美しさではなく、アンドロメダーの美しさであったとしています。


Medoūsa(メドゥーサ)の首を袋に入れて飛行中のPerseus(ペルセウス)は、母カッシオペイアのために海神ポセイドーンの怒りを買い、生贄とされかけていたエティオピアの王女アンドロメダーを見つけます。ペルセウスは彼女の父ケーペウスにアンドロメダーと結婚する許可を得ると、海の怪獣と戦って倒し、アンドロメダーを救ったのです。


ところがアンドロメダにはもともとPhīneus(ピーネウス)という婚約者がありまして、仲間を率いて婚礼の宴に現れ、ペルセウスを亡き者にしようとしたのです。宴は戦争のような混乱に包まれましたが、ペルセウスはピーネウスら一党にメドゥーサの首を見せて石と化してしまいます。


アンドロメダーと結婚したペルセウスはSeriphus(セリーポス)島に戻ると、Polydektēs(ポリュデクテース)に約束の首をつきつけて石にしてしまい、祭壇に逃れていた母Danaē(ダナエー)とDiktys(ディクテュス)を助け出した。そして恩義あるディクテュスを新たな王に就けたのです。

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