早朝徘徊は2日続けてお休みしたので、今朝は蔵前橋まで足を伸ばしました。携帯の万歩計の記録は、14137歩9.7㎞とありました。
Mīnōs(ミーノース)王はMīnōtauros(ミーノータウロス)の食料としてAthēnai(アテーナイ)から9年毎に7人の少年、7人の少女を送らせることとしたのです。その事を知って強い憤りを感じたThēseus(テーセウス)は、Krētē(クレーテー)島に乗り込んでミーノータウロスを退治するため、父王Aigeus(アイゲウス)の反対を押し切り、自ら進んで生贄の一人となるのです。ミーノース王の娘Ariadnē(アリアドネー)がテーセウスに恋慕してしまい、テーセウスを助けるため、彼に赤い麻糸の鞠と短剣をこっそり手渡したのです。アリアドーネは無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えたのです。3度目の生贄を運ぶ船も、国民たちの悲しみを表す印として黒い帆が張られていました。テーセウスは他の生贄たちと共にその船に乗り込み、クレーテー島へ向かいました。
※ Herbert Draper(ハーバート・ドレイパー):ロンドン生まれのラファエル前派の画家です。
テーセウスはlabyrinthos(ラビュリントス、迷宮)に侵入しアリアドネーからもらった毬の麻糸の端を入口の扉に結び付け、糸を少しずつ伸ばしながら、他の生贄たちと共に迷宮の奥へと進んでいきました。そして一行はついにミーノータウロスと遭遇できたのです。皆がその恐ろしい姿を見て震える中、テーセウスはひとり勇敢にミーノータウロスと対峙し、迷宮の一番端にいたミーノータウロスを見つけ、アリアドネーからもらった短剣で見事ミーノータウロスを討ち果たしたのです。脱出不可能と言われたラビュリントスからはミーノース王の娘アリアドネーからもらった糸玉によって脱出できたのです。糸玉からの糸を伝って無事、迷宮から脱出することができたのです。そして、アリアドネーは彼とともにクレーテー島を脱出したのです。
ミーノータウロスはDante(ダンテ、1265~1321年、イタリア都市国家Firenze〈フィレンツェ〉出身の詩人、哲学者、政治家)の『神曲』では「地獄篇」に登場し、地獄の第六圏である異端者の地獄においてあらゆる異端者を痛めつける役割を持つものと記述されています。
この怪物の起源はかつてクレーテー島で行われた祭りに起源を求めるとする説があり、その祭りの内容は牛の仮面を被った祭司が舞い踊り、何頭もの牛が辺り一帯を駆け巡るというもので、中でもその牛達の上を少年少女達が飛び越えるというイベントが人気であったそうです。また、古代のクレーテー島では実際に人間と牛が交わるという儀式があったとされています。
しかし、彼は帰路の途中、Naxos(ナクソス)島(エーゲ海中部・Kyklades〈キクラデス〉諸島に属するギリシャ領の島)に寄った際に、アリアドネーと離別してしまいます。これは、アリアドネーに一目惚れしたDionȳsos(ディオニューソス)が彼女をLímnos(レームノス)島(エーゲ海北部にある島)に攫ってしまったために、行方が分からなくなり、止むを得ず船を出港させたとも、薄情なテーセウスがアリアドネーに飽きたため、彼女を置き去りにしたとも言われています。
テーセウスは生贄の一人としてクレーテー島へ向かう時、無事クレーテー島から脱出できた場合には喜びを表す印として船に白い帆を掲げて帰還すると父王アイゲウスに約束していました。しかし、テーセウスはこの約束を忘れてしまい、出航時の黒い帆のまま帰還したのです。これを見たアイゲウスは、テーセウスがミーノータウロスに殺されたものと勘違いし、絶望のあまり海へ身を投げて死んでしまいます。その後、アイゲウスが身を投げた海は、彼の名にちなんでEgéo(エーゲ)海と呼ばれるようになったといいます。
sechin@nethome.ne.jp です。
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