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今朝も雨、早朝徘徊はお休みです。

 神話によるとMīnōs王(ミーノース王、Krētē〈クレーテー〉島の王)は後で返すという約束でPoseidōn(ポセイドーン)に願って海から美しい白い雄牛(一説では黄金)を得ます。しかし、雄牛の美しさに夢中になった王は、ポセイドーンとの約束を違え、白い雄牛を生け贄に捧げず、代わりの雄牛を生け贄として捧げ、白い雄牛を自分の物にしてしまいます。これに激怒したポセイドーンはPāsiphaë(パーシパエー、ミーノースの妻)に呪いをかけ、后は白い雄牛に性的な欲望を抱くようになります。Daidalos(ダイダロス、ギリシア神話に登場する有名な大工、工匠、職人、発明家です。「聡明な働き手」という意)に命じて雌牛の模型を作らせた彼女は、自ら模型の中へと入り雄牛の身近へと訪れるのでした。結果、パーシパエーはMīnōtauros(ミーノータウロス)を産むこととなったといいます。星、雷光を意味するAsterios(アステリオス)と名づけらますが、「ミーノース王の牛」を意味するMīnōtauros(ミーノータウロス)と呼ばれました。


 


ミーノータウロスは成長するにしたがい乱暴になり、手におえなくなったミーノース王はダイダロスに命じてlabyrinthos(ラビュリントス、迷宮)を建造させ、そこに彼を閉じ込めてしまいます。


 Apollodoros(アポロドーロス、ギリシャの著作家で、『Biblioteke〈ビブリオテーケー、ギリシア神話〉』の編纂者として知られます。1世紀から2世紀頃の人物と推定されています)によると、Androgeōs(アンドロゲオース、ミーノース王の子)はアテーナイを訪れて、Panathēnaia(パンアテーナイア)祭(全アテーナイの祭り)の競技で全ての参加者に勝利しました。そこでアテーナイの王Aigeus(アイゲウス)はアンドロゲオースにMarathn(マラトーン)の牡牛(クレーテーの牡牛、ポセイドーンがクレーテー島の王ミーノースの王権を保証するために海中から送った牡牛で、アッティカのマラトーンに行って暴れ、人々を苦しめました。)の退治を依頼しましたが、アンドロゲオースは牡牛に殺されてしまいます。あるいはThēbai(テーバイ)の競技に参加する途中、他の参加者に嫉妬されて殺されたといいます。


アンドロゲオースの死を知ったミーノース王はAthēnai(アテーナイ)と戦争を始め、さらにアイゲウスの兄弟のNisosz(ニーソス)が支配するMégara(メガラー)を攻め落としましたが、アテーナイを攻め落とすことができませんでした。ミーノース王はアテーナイに罰が下ることをZeus(ゼウス)に願います。するとアテーナイでは飢饉や疫病といった災いが起こり、アテーナイ人はこの災いから逃れる術を見い出せなかったので、神託に従ってアンドロゲオースの死に対するミーノースの要求を受け入れることになりました。そしてミーノースはアテーナイ人に、ミーノータウロスの生贄をKrētē〈クレーテー〉島に送ることを要求したといわれます。



画家Pablo Picasso(パブロ・ピカソ)は、1933年頃から作品のモチーフに好んでミーノータウロスを取り上げています。男を嬲り殺し、女を陵辱し快楽の限りを貪るこの怪物に、ピカソは共犯者意識を持ちつつも、倒されねばならぬ絶対悪の役割を与えました。自分の辿った総ての道を集約するなら、それはミーノータウロスに繋がるとの趣旨の言葉すら残しているのです。


 


※ 画家Pablo Picasso(パブロ・ピカソ):スペインのMálaga(マラガ、地中海に面し、スペイン第6位の都市)に生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。正式な妻以外にも何人かの愛人を作りました。生涯に2回結婚し、3人の女性との間に4人の子供を作ります。1927年、ピカソは17歳のMarie-Thérèse Walter(マリー・テレーズ・ワルテル)と出会い、密会を始めます。ピカソは妻のOlga(オルガ)と離婚しようとしますが、資産の半分を渡さねばならないことがわかり中止します。ピカソとオルガの結婚は、1955年にオルガが亡くなるまで続きました。ピカソはマリー・テレーズと密会を続け、1935年に娘Maia(マイア)が生まれます。1977年、ピカソがMougins(ムージャン、地中海から6㎞離れた、フランス南部の都市)で亡くなった4年後に、69歳のマリーは自殺をとげています。娘のマイアは「母は父の面倒をみなければならないと思い込んでいました。死んだあとまでも――。母は父が独りで寂しそうにしているのが耐えられなかったのです」と語っています。

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