早朝徘徊は足を伸ばして、桜橋~厩橋間を一回りして帰宅しました。万歩計の記録は12523歩、8.6㎞でした。
ギリシア神話の英雄伝は昨日でMeleagros(メレアグロス)を一応終わりましたので、次はMīnōtauros(ミーノータウロス)退治で有名なThēseus(テーセウス)について調べてみようと思います。
Thēseus(テーセウス)はAthēnai(アテーナイ、ギリシャ共和国の首都アテネの古名)の王Aigeus(アイゲウス)とTroizḗn(トロイゼーン、ペロポネソス半島北東部の古代ギリシアの都市国家)の王女Aithrā(アイトラー)の子とされます。海神Poseidō(ポセイドーン)とアイトラーとの間に生まれた子であるという伝説もあります。
アイゲウスは二人の妃を娶りましたがどちらも子がなく、このままでは次の王位継承者を得ることが出来ず、困っていました。そこでアイゲウスは、Delphoi(デルポイ)に赴き、神託に頼りました。神託は「この地からアテーナイに帰るまで、汝が所持する酒袋の口を決して開けるてない」というものでした。アイゲウスはその意味がよく呑み込めず不思議に思ったものの、神託に従ってデルポイからアテーナイに帰ることにしました。
※ Delphoi(デルポイ): 古代ギリシアのPhocis(ポーキス)地方にあった都市国家。Parnassus(パルナッソス)山のふもとにあるこの地は、古代ギリシア世界においては世界のへそと信じられており、Phoibos Apollōn(ポイボス・アポローン、ポイボスはアポローンの別名で、Homerus〈ホメーロス〉では作品ではこの形で記述されることが多い)を祀る神殿で下される「デルポイの神託」で知られていました。
その途中、アイゲウスはTroizḗn(トロイゼン、ペロポネソス半島北東部に位置する歴史的なArgolis〈アルゴリス〉地方にあった都市国家)に滞在しましたが、トロイゼン王Pittheus(ピッテウス)はアイゲウスを大変歓待しました。そして例の神託の話をアイゲウスから聞くと、ピッテウスはその意味をすぐに理解したのです。そこで、まずピッテウスはアイゲウスに大量の酒を飲ませ、ぐでんぐでんに酔わせました。彼が人事不省になって寝室で横になっている所へ、ピッテウスは娘のAithrā(アイトラ)を向かわせます。そして、アイトラは見事懐妊したのです。
しかし、アイゲウスはもうアテーナイに帰らなくてはなりません。アイゲウスは甥のPallas(パラース)の息子たちが自分を快く思っていないことを知っていたので、Mīnōs(ミーノース)がAndrogeōs(アンドロゲオース、ミーノースの子)を通じて彼らを援助し、自分の王権を奪わせるかもしれないと考えていました。彼は、パラースの息子たちを恐れて、テーセウスをアテーナイに呼ぼうとしませんでした。そこで身重のアイトラーに、言葉を残します。「生まれてくる子が息子であったならば、父の名を明かさずに育てて欲しい。そして、大岩の下に隠した剣と靴をその子が自力で取り出すことができたら、その時こそ父の名を明かし、アテーナイへ来るように言って欲しい」と。
やがて月満ちて、テセウスが誕生するのでありました。そのままテーセウスはトロイゼーンで育てられ、すくすくと育ちました。そして16歳になった時、母アイトラはテセウスに父の名を明かします。そして大岩を自力でどけて、剣と靴を手に入れ、アテーナイへ行くように命じたのです。テセウスは素手で大岩をどけて、アイゲウスの息子である証拠の剣と靴を手に入れ、アテーナイへの旅へと出立するのです。アゲウスに息子として認めさせるために、アテーナイに向かいます。アテーナイには安全な海路を取ることも可能でありましたが、テーセウスは敢て危険な陸路を選び、道中の山賊や怪物を討ち果たしたのです。
sechin@nethome.ne.jp です。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |