Hēsíodos(ヘーシオドス)の『Theogonia(テオゴニアー、神統記)』によると、Hyperīōn(ヒュペリーオーン、「高みを行く者」と言う意)はウーラノスとガイアの息子で、ティーターンの1柱で、姉妹に当たるTheiā(テイアー)を妻として、Hēlios(ヘーリオス、太陽の神)、Selēnē(セレーネー、月の女神)、Ēōs(エーオース、暁の女神)を設けます。一説にヒュペリーオーンの妻はAithrā(アイトラー)とも、Basileia(バシレイア)ともいわれています。シケリアのDiodooros(ディオドロス、BC1世紀頃の歴史学者)によると、ヒュペリーオーンは初めて天体の運行と季節の変化の関係を人々に教えたとされます。なおホメーロスの『Odysseia(オデュッセイア)』では、Hyperīōn(ヒュペリーオーン)という名は太陽神Hēlios(ヘーリオス)の呼称としても用いられており、このためヒュペリーオーンとは元来ヘーリオスの別名に過ぎなかったのではないかとも考えられています。
ギリシアでは太陽神はエジプトなどの東洋諸国と違って信仰の対象とされるのは稀でした。Rhodes(ロドス)島だけは例外で世界七不思議といわれる巨大な太陽神像が港口に置かれているように太陽信仰がおこなわれていたようです。太陽神を光明神Apollōn(アポローン)と同一視しようとする試みはBC5世紀以降の文学者達によって行われたと言いますが、一般的とはなりませんでした。此処では古代ローマ、「アウグストゥスの世紀」に生きた詩人Ovidius(オウィディウス、BC43~AD17年)の「Metamorphoses(メタモルポーセース、転身物語)」にあるPhaëthōnパエトーンの物語の概略をあげておきます。
Hēlios(ヘーリオス)の妹Selēnē(セレーネー)も神格としては特別な重要性を持たず、夜と関連して、屡何か魔術的な力を有する者と考えられました。彼女もまた通例太陽神と同じように手綱を取って車駕を御してゆきますが、概ねその馬は2頭で、時には牛のこともあり、馬または牛または驢馬にまたがって描かれることもあると言います。
Endymiōn(エンデュミオーン)は、Zeuse(ゼウス)の息子Aethlios(アエトリオス)とAeolu(アイオロス)の娘Kalyke(カリュケー)との息子、あるいはゼウスの息子とされますが、月の女神セレーネーとの悲話で知られています。ある日、山の頂で寝ていたEndymiōn(エンデュミオーン)を見たセレーネーは、恋に落ちてしまいます。自分とは違い、老いていくエンデュミオーンに耐えきれなくなった彼女は、ゼウスに彼を不老不死にするように頼みます。ゼウスはその願いを聞き入れ、彼を永遠の眠りにつかせたのです(一説によればセレーネー自身が行ったともされる)。以降、毎夜セレーネーは地上に降り、眠るエンデュミオーンのそばに寄り添っているというのです。エンデュミオーンが眠る場所は通常Pelopónnisos(ペロポネーソス)とされますが、一説によればCaria(カーリア)のLatmos(ラトモス)山とされます。そのため、エンデュミオーンの墓はĒlis(エーリス)とラトモスの両方にあったといいます。カーリアのHēraklēs(ヘーラクレース)山の人々は、彼のためにラトモス山に神殿を建てたといわれます。また、セレーネーとArtemis(アルテミス)が同一視されるようになってからは、恋の相手はアルテミスとされるようにもなりました。
曙の女神Ēōs(エーオス)もまた馬車を御して天界に上りますが、概ね2頭立てだといいます。
Tīthōnos(ティートーノス)はイーリオス王Lāomedōn(ラーオメドーン)の子で、トロイア戦争でエチオピア勢を率いて戦った英雄Memnōn(メムノーン)の父とされます。
sechin@nethome.ne.jp です。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |