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 ウェブニュースより

 幻の歌麿の肉筆画「深川の雪」、66年ぶり一般公開へ ―― 江戸時代後期の浮世絵師・喜多川歌麿(1753頃~1806年)の肉筆画で、60年以上所在不明だった「深川の雪」がこのほど見つかり、神奈川県箱根町の岡田美術館で66年ぶりに一般公開される。/作品は、縦約2メートル×横約3.5メートル。雪の中庭を望む深川の料亭の2階で、遊女や芸者たちが火鉢を囲むなどしてくつろぐ姿が、細やかな筆遣いで描かれている。もともとは、現在、米国の美術館が所蔵する「品川の月」「吉原の花」と共に〈雪月花〉の3部作として制作されたという。/歌麿の研究で知られる浅野秀剛・大和文華館館長は「大画面に27人の人物を巧みに配置した構成力は、特筆すべきだ。この発見で、晩年の再評価がさらに進むと思う」と話す。/岡田美術館によると、1948年に東京で開かれた展覧会に出品された後、所在が分からなくなっていたが、2012年2月に東京の古美術商が発見。鑑定、修復を終え、4月4日から6月30日まで、神奈川県箱根町小涌谷の岡田美術館で公開されることになった。 (朝日新聞デジタル 2014322007分)

 


 かつて栃木に滞在したといわれる浮世絵師・喜多川歌麿の肉筆画大作「深川の雪」・「品川の月」・「吉原の花」(「雪月花」)は、栃木の豪商、善野伊兵衛(17571824年、初代釜伊)の依頼で制作され、明治12年(1879)栃木の定願寺に三幅そろって展示されたといいます。現在「月」と「花」はアメリカの美術館に所蔵され、「雪」は行方が分かっていませんでした。

 栃木には古くから、歌麿が栃木に滞在していた、または変名して隠棲していたという伝承がありました。近江国守山出身の釜屋喜兵衛は、小間物問屋の行商から身を起こし、栃木で金貸しや醤油問屋で財を築きました。

 若い頃から絵を描いていた喜兵衛は、江戸で鳥山石燕(17121788年、妖怪が得意であったと言う)に絵を学び、そこで女性と知り合ったといいます。二人の間にできた子が歌麿で、喜兵衛にはすでに栃木に妻子がいるため、事情を知っている石燕が母親の死後に歌麿を引き取ったのではないかいう推論があるそうです。

 釜屋という屋号を持つ善野家が栃木には三家あります。

 1)豪商・釜屋喜兵衛(釜喜)/ 2)釜喜の分家で、飢饉のときに米を放出して庶民を救済し、今も「釜佐おたすけ蔵」としてその名が残る釜屋佐兵衛(釜佐)/ 3)釜喜の分家で、釜屋伊兵衛(釜伊)

  このうち釜伊は、明治期に歌麿作の肉筆『雪月花』三幅対を所有していました。これは歌麿が有名になってからのものであり、少なくとも三度、歌麿が釜屋に逗留して製作したことを示しており、歌麿と釜屋の深い繋がりを示唆するものであります。
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