瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日は、淺草神社境内の南の区画の石碑もデジカメに収めた。南の区画は鳥居によって西側と東側に分かれ、西側には「友情はいつも宝物」というコミック漫画の碑と、「初代市川猿翁句碑」の2つの石碑があり、東側には「粧(よそおい)太夫碑」・「久保田万太郎句碑」・「川口松太郎句碑」と3つの石碑が建つ。
f64260ef.jpg 「友情はいつも宝物」の碑文は大変読みづらい。『碑文抜粋: 一九七六年に「週刊少年ジャンプ」で連載を開始して以来、多くの人々に愛されてきた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。物語の舞台となるここ浅草は主人公である両津勘吉を育み、また多くの感動を生み出してきました。この碑は、両津勘吉の少年時代の友情を描いた「浅草物語」にちなみ。人を思いやる気持ちの大切さ、そして子供たちが夢や遊び心を忘れず、健全に成長してくれるように願いを込めて建てられました。 平成十七年八月六日 建立/「浅草物語」概略 ある日、浅草で一緒に遊んだ同級生が偶然再会。かつての悪ガキ両津勘吉は警察官に、かつての優等生は逃亡犯になっていました。両津は、子供の頃にここ浅草神社(三社様)の神木、槐(えんじゅ)の木の下に一緒に埋めたベーゴマの話を持ち出して二人の友情を確かめ合いました。そして逃亡犯は自首することになったのです。/ジャンプ・コミックス「こちら葛飾区亀有公園前派出所」五七巻「浅草物語」より』おおよそ、こんなことが記されている。
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a5bd46f2.jpg 「初代市川猿翁句碑」の傍に案内板が立っていてカメラに収めたが、よく読めない。凡そ『初代 市川猿翁句碑/「翁の文字まだ身にそはず衣がえ」 猿翁/建碑 昭和42年5月17日/撰文 市川猿翁/孫団子に三代目猿之助を譲り、自らは猿翁を襲名。/昭和38年5月、歌舞伎座に於いて襲名興業。/(浅草寺の襲名お練りは4月16日)/「猿翁」(昭和39年6月東京書房刊)には、「翁の文字まだ身にそはず 衣がへ 猿翁 昭和37年5月猿翁襲名のとき」とある。/明治21年5月10日、浅草千束町2丁目に生れる。/父、喜熨斗亀次郎(初代市川猿之助-段四郎)、母古登の長男。(弟妹は10人)兵役を終えたのち明治43年10月(22才)で二代目市川猿之助を襲名。/昭和38年6月聖路加病院(心不全)にて死去。/享年75才。/昭和36年3月28日浅草3丁目39番地に生家に因みて「猿之助横丁碑」を建てる。/浅草観光連盟』と読める。
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cf1affbc.jpg 碑文は「保農々々登明石能浦廼旦霧爾 四摩伽久礼行不念遠之所思 蕋雲女史文鴦書」とある。流暢な草書体で刻まれたこの碑、一見よく萬葉歌と誤解される。白文で書かれたためか、歌が萬葉調なるためか、或は人麻呂作と考えられてか、「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島かくれゆく舟をしぞ思ふ」、世俗に有名な歌で能の「草子洗小町」(そうしあらいこまち、歌合を舞台に小野小町が、大友黒主の姦策を機知によって退ける様を描く)にも出てくる。出典は『古今集』巻9―416で、よみ人しらずの歌。ただしこの歌の左注に「この歌は、ある人の曰く、柿本人麿が歌なり」とある。また、『今昔物語集』巻第24(巻45)にも載っていて、ここでは「小野篁が隠岐に流さるる時」明石で読んだと記されている。しかし、『人麻呂集』にも入っていて、一般的には柿本人麻呂作と了解されて来た。文化13(1816)年の建立で筆者の蕋雲女史とは案内板にもあるように吉原平松楼の妓女・粧太夫で、文鴦とも号し、和歌・書をよくし、書を中井董堂に学び、董堂が碑陰に撰文を記している。
1083ffbd.jpg 久保田万太郎(1889~1963年):昭和38年5月6日歿。73歳(顕功院殿緑窓傘雨大居士)本郷・喜福寺に眠る。明治の浅草に生まれ、浅草を愛し、浅草を書いた作家、久保田万太郎は浅草が全ての文学生涯であった。府立第三中学の後輩、芥川龍之介は「久保田君と君の主人公とは、撓めんと欲すれば撓むることを得れども、折ることは必しも容易ならざるもの、---たとへば、雪に伏せたる竹と趣を一にすと云ふを得べし」と評しているが、この粘り強い意志の人も、昭和38年5月梅原龍三郎画伯邸での会食中、赤貝を喉に詰めて窒息、絶命したという。
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82af60ba.jpg 川口松太郎(1899~1985年)昭和60年6月9日歿 85歳 雑司ヶ谷霊園に眠る。川口松太郎は多彩な遍歴を持つ作家である。小学校卒業後、洋服屋や質屋の小僧、古本露天商、警察署給仕、電信局勤務、講釈師許に住込み口述筆記手伝い、編集者等を経ての作家人生であった。妻であり女優の三益愛子を看取ってから3年後の昭和60年6月、86歳、東京女子医大で肺炎により死去。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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