瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨日と同様、言問通りから馬道、淺草神社横の路地に入り、神社の北側の道を歩いてみた。おやおや、前に被官稲荷は工事中と書いたと思うが、惚けも惚けたり、古びた被官稲荷はそのまま。間違ったのは、三社の本殿の右隣に社務所・会館が新築されるための防禦塀が設けられていたものであった。被官稲荷神社を暫し拝観、神社の北側にある4つの石碑をカメラに収め、仲見世の北側裏道りを南下した。新仲見世にかかる角に仲見世会館があるが、その前に河竹黙阿弥住居跡の碑がある。その傍に河竹黙阿弥の血筋を引く歌舞伎研究家の河竹登志夫氏の書かれた案内板がある。並木通りを南下していると、どうやら小雨模様で本降りになりそうだ。駒形橋を渡るのは止めて、江戸通りを北上、吾妻橋まで来ると墨田区役所とアサヒビール本社ビルの間に東京スカイツリーが見える。隅田公園にはいり、土手の遊歩道を桜橋まで来ると、いつの間にか雨は止んでいる。折角だからと桜橋を渡り、川沿いに北上白鬚橋まで来ると、ワンさんと出会った。5・6分立ち話をして、白鬚橋を渡り、落書き遊歩道を南下して帰宅した。9681歩、6.2㎞と記録されている。
案内板にあるように被官稲荷は新門辰五郎が勧請した稲荷である。辰五郎について調べていると、徳川慶喜に勧められて撮ったという写真にぶち当たった。この写真の持ち主杉下仁一氏は新門辰五郎の7代目ということになっていて、イベントの多い淺草ではよく姿をはいけんする。ごく親しい人たちの間では「ジンさん」と愛称でよばれて慕われている。
竹本津賀太夫(?~1837年)は義太夫節の太夫で、碑には「大江戸のつよきひいきの力にぞ、かゝる千曳のいぶみはたつ」と刻まれ、台石には百数十名の門下の名前が列記されている。
菅沼定敬の歌碑には「敷島のみちにはせきもあらなくに、なとてこころのとほらざる覧」と刻まれている。嘉永3(1827)年の建立というから、おそらくその頃の歌人であろうが、今のところ、いかなる人物なのか不明である。誰かご存知の方があれば、お教え願いたい。
初代並木五瓶の句碑の横に台東区教育委員会の説明板が立つが、露出不足でカメラに旨く収まらなかった。説明板には凡そ曰く『碑面には、正面に「月花のたわみこころや雪の竹」右手側面に「なにはづの五瓶、東武に狂言を出して、あまねく貴賤の眼目を驚かし、金竜の山中に雪月花の碑を築て、永く繁栄を仰ぐ、つづくらん130里雪の人普子堂大虎」、左手側面に「寛政8年丙たつ2月10日建之 庭柏子書、印」裏面に「篠山金二迂造」と刻んである。/「なにはづの五瓶」は初代並木五瓶のこと。五瓶は大坂に生まれ、歌舞伎狂言作者として活躍した。生存年代は延享4(1747)年から文化5(1808)年まで。はじめ五八、のち吾八・呉八、呉兵衛と改め、ついで五瓶という。寛政6(1794)年江戸へ出て、非凡な才能をみせ、初代桜田治助とともに、江戸の二大作者といわれた。時代物・世話物に優れた作品を遺し、4代市川団蔵、4代松本幸四郎らによって演じられた。作品には、「金門五山桐」「隅田春奴七容性」「富岡恋山開」「幡随院長兵衛」などがある。』
山東京伝机塚の碑:「書案之紀/明和六年といふとしの二月ばかり齢九歳といふに師のかとにいりたちていろはもし習ひそめし時親のたまはりしふつくえなむ此つくえにはありけるされはつくりさまもおろそかにてみやひたるかたは□なけれとはならし拾すとし頃のたのもし人にてかたはらをさらすひとり愛つゝ了ありへしとしは五十にちかく何くれとつくれる冊子は百部をこ えたり今はおのかこゝろたましひも□れゝし□まなこもかすみゆくにいつしかこれもたしろきかちにうちゆかみなとしてもろお□に老しらへるさまなるはあはれいかゝはせむ 耳もそこねあしもくしけてもろともに/世にふる机なれも老たり/山東庵京伝/文化十四年丁丑春二月」と刻まれる。碑の傍に立つ台東区教育委員会の碑に曰く、『 山東京伝机塚の碑(台東区有形文化財)/台東区浅草2丁目3番1号 浅草寺/山東京伝(1761~1816)は、浅草や吉原を題材とする戯作を多く著わし、北尾誠演の画号で浮世絵もよくした人物。/この碑は,京伝の弟京山が文化14(1817)年に亡兄を偲んで建立。表面には晩年の京伝撰「書案之紀」を刻む。書案とは机のことで「九歳の時に寺子屋に入った際、親の買ってくれた机を生涯愛用し、この机で百部を越える戯作を書いた。しかし50年近くも使ったので、ゆがみ、老い込んださまは哀れである」という意味の文と、「耳もそこね あし(足)もくしけてもろともに 世にふる机なれも老いたり」の歌が記されている。また、裏面には、京伝と親交のあった戯作者太田南畝(おおたなんぽ)の撰による京伝の経歴を刻む。/京伝の生涯や人間性を伝える貴重な資料で、平成2年に台東区有形文化財として搭載。/平成6年3月/台東区教育委員会』
先だって墨田区の北斎通りから区役所通りへ少し入ったところに河竹黙阿弥終焉の地の標柱を見たが、この案内板を見る限り、どうやらここ淺草が、黙阿弥の仕事の本拠地であったらしい。
案内板にあるように被官稲荷は新門辰五郎が勧請した稲荷である。辰五郎について調べていると、徳川慶喜に勧められて撮ったという写真にぶち当たった。この写真の持ち主杉下仁一氏は新門辰五郎の7代目ということになっていて、イベントの多い淺草ではよく姿をはいけんする。ごく親しい人たちの間では「ジンさん」と愛称でよばれて慕われている。
竹本津賀太夫(?~1837年)は義太夫節の太夫で、碑には「大江戸のつよきひいきの力にぞ、かゝる千曳のいぶみはたつ」と刻まれ、台石には百数十名の門下の名前が列記されている。
菅沼定敬の歌碑には「敷島のみちにはせきもあらなくに、なとてこころのとほらざる覧」と刻まれている。嘉永3(1827)年の建立というから、おそらくその頃の歌人であろうが、今のところ、いかなる人物なのか不明である。誰かご存知の方があれば、お教え願いたい。
初代並木五瓶の句碑の横に台東区教育委員会の説明板が立つが、露出不足でカメラに旨く収まらなかった。説明板には凡そ曰く『碑面には、正面に「月花のたわみこころや雪の竹」右手側面に「なにはづの五瓶、東武に狂言を出して、あまねく貴賤の眼目を驚かし、金竜の山中に雪月花の碑を築て、永く繁栄を仰ぐ、つづくらん130里雪の人普子堂大虎」、左手側面に「寛政8年丙たつ2月10日建之 庭柏子書、印」裏面に「篠山金二迂造」と刻んである。/「なにはづの五瓶」は初代並木五瓶のこと。五瓶は大坂に生まれ、歌舞伎狂言作者として活躍した。生存年代は延享4(1747)年から文化5(1808)年まで。はじめ五八、のち吾八・呉八、呉兵衛と改め、ついで五瓶という。寛政6(1794)年江戸へ出て、非凡な才能をみせ、初代桜田治助とともに、江戸の二大作者といわれた。時代物・世話物に優れた作品を遺し、4代市川団蔵、4代松本幸四郎らによって演じられた。作品には、「金門五山桐」「隅田春奴七容性」「富岡恋山開」「幡随院長兵衛」などがある。』
山東京伝机塚の碑:「書案之紀/明和六年といふとしの二月ばかり齢九歳といふに師のかとにいりたちていろはもし習ひそめし時親のたまはりしふつくえなむ此つくえにはありけるされはつくりさまもおろそかにてみやひたるかたは□なけれとはならし拾すとし頃のたのもし人にてかたはらをさらすひとり愛つゝ了ありへしとしは五十にちかく何くれとつくれる冊子は百部をこ えたり今はおのかこゝろたましひも□れゝし□まなこもかすみゆくにいつしかこれもたしろきかちにうちゆかみなとしてもろお□に老しらへるさまなるはあはれいかゝはせむ 耳もそこねあしもくしけてもろともに/世にふる机なれも老たり/山東庵京伝/文化十四年丁丑春二月」と刻まれる。碑の傍に立つ台東区教育委員会の碑に曰く、『 山東京伝机塚の碑(台東区有形文化財)/台東区浅草2丁目3番1号 浅草寺/山東京伝(1761~1816)は、浅草や吉原を題材とする戯作を多く著わし、北尾誠演の画号で浮世絵もよくした人物。/この碑は,京伝の弟京山が文化14(1817)年に亡兄を偲んで建立。表面には晩年の京伝撰「書案之紀」を刻む。書案とは机のことで「九歳の時に寺子屋に入った際、親の買ってくれた机を生涯愛用し、この机で百部を越える戯作を書いた。しかし50年近くも使ったので、ゆがみ、老い込んださまは哀れである」という意味の文と、「耳もそこね あし(足)もくしけてもろともに 世にふる机なれも老いたり」の歌が記されている。また、裏面には、京伝と親交のあった戯作者太田南畝(おおたなんぽ)の撰による京伝の経歴を刻む。/京伝の生涯や人間性を伝える貴重な資料で、平成2年に台東区有形文化財として搭載。/平成6年3月/台東区教育委員会』
先だって墨田区の北斎通りから区役所通りへ少し入ったところに河竹黙阿弥終焉の地の標柱を見たが、この案内板を見る限り、どうやらここ淺草が、黙阿弥の仕事の本拠地であったらしい。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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