瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 戦後日本は、戦争の惨禍を踏まえ、戦争放棄を掲げた憲法のもと、平和国家としての歩みを重ねてきました。それから70年目の今、安倍政権は数の力をかりて、日本を戦争する国に変えようとしています。安倍首相は国内合意よりもアメリカに対する約束を優先し、国民の強い反対や懸念を無視・黙殺して暴走をつづけ、アメリカの戦争に日本が世界中で加担することを可能にする安全保障関連法案を強行的に“成立”させてしまいました。こんな無理押しいつまで続くのでしょうね。国民を馬鹿にするにもほどがあります。

 史記(秦始皇本紀)に次のような記述があります。

 八月己亥。趙高欲為亂。恐群臣不聽。乃先設驗。持鹿獻於二世曰。馬也。二世笑曰。丞相誤邪。謂鹿為馬。問左右。左右或默。或言馬。以阿順趙高。或言鹿者。高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高。
(書き下し文)
 八月己亥(きがい)、趙高、乱を為さんと欲し、群臣の聴かざるを恐る。
 乃ち先づ験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、馬なり、と。
 二世笑ひて曰く、丞相誤れるか。鹿を謂ひて馬と為す、と。 左右に問ふ。
 左右或ひは黙し、或ひは馬と言ひ、以て趙高に阿(おもね)り順(したが)ふ。 或ひは鹿と言ふ、高因りて諸(もろもろ)の鹿と言ひし者を法を以て陰(ひそ)かに中(あ)つ。後、群臣皆な高を畏る。
(訳)
 八月己亥(きがい)の日、趙高は悪化する形勢が皇帝に露見してしまうことを恐れ、謀反を起こそうと考えた。群臣が自分に従うか心配した趙高は、一計を案じ、鹿を引いて二世皇帝に献じて言った。 馬です、と。
 皇帝は笑って言った。丞相は何を言っているのだ。鹿を指して馬と為している、と。 そして左右に尋ねた。
 ある者は黙して答えず、ある者は同調して馬といい、趙高を恐れて曲従した。中には鹿と答えた者も居たが、趙高はこれを法に引っかけて罪に陥れた。これより後、群臣の誰もが趙高に恐怖した。

 この故事から「鹿を指して馬と為す」とは「人を威圧により無理強いさせること。また、間違いを押し通し、人を欺くこと。」をいうようになりました。
 なお、馬鹿は、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味する「baka」「moha」の音写「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じたとされています。日本では、鎌倉時代末期頃から「ばか」の用例があり、室町中期の「文明本説用集」には、馬鹿の異表記として「母娘」「馬娘」「破家」をあげ、「とんでもない」の意味で「狼藉之義也」と説明しているそうです。以上のことから、「ばか」を「馬鹿」と書くのは、当て字と考えられます。

 馬鹿の語源の俗説には、上記の『史記(秦始皇本紀)』の故事「鹿をさして馬となす」からというものがあります。この故事よりより、自分の権勢をよいことに矛盾したことを押し通す意味として「馬鹿」と言うようになったというものです。しかし、「鹿」を「か」と読むのは大和言葉で、漢文では「ばろく」と読むため、この故事が「ばか」の語源とは考え難く、「ばか」に「馬鹿」の字が当てられた由来として考慮するにとどまります。その他、「おこがましい」の語源となる「をこ」を語源とする説もありますが、「をこ」から「ばか」という音変化は考え難いようです。


 


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