ウェブニュースより
ノーベル賞辞退、過去に6人=ボブ・ディラン氏、沈黙続く ―― 13日に今年のノーベル文学賞授与が決まった米シンガー・ソングライター、ボブ・ディラン氏(75)の沈黙が続いている。ステージには立っており、決して雲隠れしているわけではないが、受賞するのかしないのか、はっきりしない。ただ、受賞を辞退しても、ノーベル賞の歴史では初めてではない。ノーベル賞の公式サイトによると、辞退者は過去に6人存在する。
最も新しい例は1973年の平和賞で、当時のキッシンジャー米大統領補佐官と共同授賞が決まった北ベトナムの労働党政治局員レ・ドク・トが拒否している。68年からのパリ和平交渉の舞台裏で秘密協議を重ね、73年1月のパリ協定調印を実現した。協定に従い米軍の大半は3月、ベトナムから撤退。ノルウェーのノーベル賞委員会は「足かけ4年に及ぶ交渉の末、停戦に結び付けた」と両者を称賛していた。
しかし、ベトナムの戦火は完全には消えていなかった。公式サイトによると、北ベトナムからは「米国が停戦違反を繰り返している」ことを理由に受賞拒否が伝えられた。委員会は「ベトナムの状況が許せば翌74年10月1日まで受賞は可能」と待ち続けた。ベトナムは75年、サイゴン陥落を迎え南北統一を果たす。もう一人は、64年の文学賞を拒否したフランスの哲学者サルトルで、授与決定後、仏紙フィガロに「選ばないでくれと手紙を送った。(選考機関の)スウェーデン・アカデミーを侮辱したのではない。賞は全て辞退している」と理由を説明していた。アカデミーは選考から50年を経過した後、関連する資料を公開しており、当時のサルトルの手紙も昨年公開されている。郵便事情が悪くて間に合わず、ストックホルムに届いたのは授与発表の後だったことが確認された。
文学賞は58年、旧ソ連の作家パステルナークも辞退に追い込まれている。小説「ドクトル・ジバゴ」の内容が反ロシア革命的と見なされ、ソ連共産党から強い圧力を受けていた。
同様に第2次大戦前に辞退したのはいずれもドイツまたはオーストリアの学者で、39年化学賞のブーテナント、同年医学生理学賞のドーマク、38年化学賞のクーンの3人。いずれもナチス政権の圧力で受賞できなかった。
このため自分の意思で辞退したのは、6人のうちレ・ドク・トとサルトルの2人だけということになる。ただ、公式サイトによると、ロシアの文豪トルストイも1910年の死去まで繰り返し推薦を受け候補となったが「本人が望まず、授与が決まっても辞退すると述べた」と付記されている。 (jiji.com 2016/10/18-14:28)
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