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 ニラ(韮、韭)はネギ属に属する多年草で、緑黄色野菜です。

 韮(ニラ)は3000年以上の長い歴史を持つ野菜です。原産地は東アジアの地域で、中国西部、ベトナム、インドなどで紀元前から栽培されていました。
 日本へは弥生時代に中国から伝わってきたといわれています。
 『古事記』では加美良(かみら)、『万葉集』では久々美良(くくみら)、『正倉院文書』には彌良(みら)として記載があります。このように、古代においては「みら」と呼ばれていたが、院政期頃から不規則な転訛形「にら」が出現し、「みら」を駆逐して現在に至っているといいます。
 
 近世の女房言葉に葱(き)を「一文字」というのに対して、韮(にら)のことを「二文字(ふたもじ)」と呼んだと言います。


玉葱
 タマネギ(玉葱、学名:Allium cepa)は、ネギ属の多年草です。球根(鱗茎)は野菜として食用とされます。 cepa はラテン語で「タマネギ」の意味ですが、さらに「頭」を意味するケルト語に由来するとも言われており、戦前の日本では「葱頭」が正式な和名でした。色、形状、大きさは様々です。
 原産は中央アジアとされるが、野生種は発見されていません。栽培の歴史は古く、紀元前のエジプト王朝時代には、ニンニク等と共に労働者に配給されていたといいます。ヨーロッパの地中海沿岸に伝わったタマネギは、東ヨーロッパ(バルカン半島諸国やルーマニア)では辛味の強い辛タマネギ群、南ヨーロッパ(イタリア、フランス、スペイン)では辛味の少ない甘タマネギ群が作られました。これらの両系統は16世紀にアメリカに伝えられ、さまざまな品種が作られました。
 その一方、原産地から東のアジアには伝わりませんでした。日本では江戸時代に長崎に伝わりましたが、観賞用にとどまりました。食用としては、1871年(明治4年)に札幌で試験栽培されたのが最初とされ、1878年(明治11年)、札幌農学校教官のブルックスにより本格的な栽培が始まりました。その後の1880年(明治13年)に、札幌の中村磯吉が農家として初めて栽培を行いました。

 品種の系統としては、アメリカから導入された春まき栽培用の「イエロー・グローブ・ダンバース(Yellow globe danvers)」という品種が「札幌黄」という品種に、秋まき栽培用は1885年(明治18年)、大阪に「イエロー・ダンバース(Yellow danvers)」という品種が導入され「泉州黄」に、フランス系の「ブラン・アチーフ・ド・パリ」が「愛知白」に名を変えて、それぞれ地域に定着化しました。さらに農家や農協単位で自家採種・選抜を行い、農家や地域ごとに特徴のある品種が作られました。


 


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