瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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2017年8月7日 19:32着信  題 残暑お見舞い申し上げます
 台風5号が西日本を過ぎつつありますが、関東にも影響をおよぼしそうですね。
 外出などお気をつけください。
 さて、ブログの「大地の歌」について以前作曲家のインタビューをファイルしてました。
 途中、大木惇夫の思いでなどもあるので以下コピペ。

 佐藤 眞 歌い継がれる名曲「大地讃頌」の魅力に迫る!
 聞き手:横田純子(東京都狛江市立第四中学校教諭)
■カンタータ『土の歌』の中,唯一改訂されていない『大地讃頌』
■混声合唱はすばらしい!
■大きな手から生まれたピアノ版!?
■愛すべき詩人,大木惇夫氏
■代表作は,これから作曲します
■吹奏楽版について
■小学校4年生で作曲家を志す!
■先生は限りない情熱をもって!
■インタヴューを終えて
■プロフィール

■カンタータ『土の歌』の中,唯一改訂されていない『大地讃頌』
横田:中学校現場では,先生の作曲された「大地讃頌」は,なくてはならない存在となっています。この曲がこれほど広く長く歌われ続けると思っていらっしゃいましたか?
佐藤:まったく想像もつきませんでしたね。作った本人が一番驚いています。
横田:実はいつも気になっているのですが,いきおい,混声合唱を仕上げることだけが目的になってしまい,この曲のもつ奥深さだとか,作曲者や詩人の意図などが語られないで授業が終わってしまうような傾向があるんですけど—。
佐藤:「大地讃頌」は独立した曲として演奏できるようになっているので,そういう取り上げ方をされてももちろん構わないのですが,ご存じのように,これは7曲から構成されるカンタータ「土の歌」の最終楽章でもあります。「地上の祈り」が「ジャーン」と終わって,この曲の前奏が「サワサワ」と鳴り出すわけですね。
横田:あのオーケストラの入り方は,なんとも言えませんね。
佐藤:あの「サワサワ」といった感じは,ピアノでは出せないので,ピアノ版では全然違う形にしたのです。できればオーケストラ版も聴いていただいて,そういうところにこの曲は位置するんだなぁと,7曲全体の中での意味や役割を少しでも知っていただければうれしいですね。
横田:初めのレコードは確かNHK交響楽団と東京混声合唱団ですよね。小澤征爾氏が指揮することになっていたとか。
佐藤:そうだったんですが,ちょうどその頃彼とN響とが不仲になり,岩城宏之氏が代わって指揮することになったのです。
横田:カンタータ「土の歌」のピアノ版なんですが,これは何度か改訂されているようですね。これはなぜなのでしょうか。
佐藤:作曲家にはいろいろなタイプがあって,一度書いてしまったものは,「もうこれでいい」と絶対に直さない人もいます。僕はそれとは逆で,いつまでも思い切りが悪く,直すタイプなんです。ストラヴィンスキーなんかも「春の祭典」などで分かるように,何度も改訂してますよね。そしてまだ直そうとしているうちにとうとう亡くなってしまった—。「土の歌」はビクターの依頼で,オーケストラと混声合唱のために1962年に作曲しました。その後,『合唱界』という雑誌の付録にこの組曲を少しずつピアノ伴奏に直して発表していきました。「大地讃頌」も元はDes-durでした。ところがそれでは上の高いBの音があり,これは初演した東混にとっては問題なくても,アマチュアではおそらく困るでしょう。C-dur に下げるのが順当かもしれませんが,もうちょっと高貴な感じを求めてH-durに直したんです。吹奏楽関係の方からはB-durだったらもっと演奏しやすくて良かったのにと言われますが,それだとやはりどうしても平凡な響きになってしまう。
横田:なるほど。
佐藤:ピアノ伴奏版はまず東京音楽社から出して,次に音楽之友社で出すときに改訂して,カワイ出版で出すときにさらに改訂して,2000年にまたまた改訂と,計5回くらい変えてます。
横田:「大地讃頌」もそうなんですか?
佐藤:いや,「大地讃頌」だけは一度も変えてないんです。


横田:何か特別な理由があるのでしょうか?
佐藤:別にそんなに直す必要がないと思いまして。この曲はこれでよいのではないかと思います。「天地の怒り」などのオーケストレーションは,ピアノに置き換えるのが大変なんです。手を広げたトレモロの連続で,特に手の小さい女性には弾きにくいでしょう。それでピアニストの女房に「こんなの苦しいわよ!」なんて言われて—。
横田:弾きやすくなった版の裏にはそんなご苦労もあるのですね(笑)。 
佐藤:これからもし全曲版をお使いになるのだったら,最新版である2000年改訂版をお勧めいたします。

■混声合唱はすばらしい!
横田:「大地讃頌」は男子のパートに低い音があるので,変声が完全に終わった3年生あたりから歌い出すことが多いですし,実際に合唱コンクールの3年生の課題曲として圧倒的に支持されています。変声前の男子をソプラノやアルトに振ったりして,全学年で取り組むケースもあります。ちょうどこれから卒業式や入学式シーズンですが,式歌としても「大地讃頌」はよく歌われているんですよ。
佐藤:横田先生のおっしゃる通り,中学校の混声合唱は,特に男子の声変わりなどがあって,なかなか大変ですよね。あの曲は低い音やオクターヴの跳躍もありますし,またそこが重要だったりする。取り組まれるのはご苦労も多いと思いますね。
横田:現場ではバスの低い部分を1オクターヴ上げちゃったりしてしまいます。それから,生徒たちの顔を見てますとね,「人の子ら〜」が重なっていくあたりが楽しいって感じているようなんです。純粋に美しいハーモニーの歌い出しの部分も魅力ですが,この重なり出していくところにも大きな魅力が隠されている気がします。
佐藤:少し難しく言うと,階梯導入の部分ですね。あたかも階段を上るようにして重なっていく。同じ音形を,声部が違って重なっていくときは,同じような歌い方を心がけないときれいに聴こえないという難しさがある部分です。
横田:フィナーレに向って半音ずつ上がっていくような部分も,生徒には難しいのではと思っていましたが,好きになってよく練習してますね。意外と早く音を取ってしまうんですよ。ハモったときに気持ちいいからだと思いますが。
佐藤:ピアノの伴奏に音が隠れてますしね。ア・カペラだと大変かもしれない。
横田:ア・カペラでやったらいかがでしょう,「大地讃頌」。
佐藤:いや,実際そういう話もあるんですよ。会合で皆で歌いたいときにピアノがない場合もあると。また,カラオケ版を作ったらどうだ,ですとかね。
横田:どうなんですか,それで? 
佐藤:いやぁ,やってないですけどね。それはさておき,混声合唱の話に戻りますとね,合唱コンクールなどで同声は声が揃っていて,一応きれいに聴こえたりします。審査の点も取りやすいかもしれない。しかしよくトレーニングされた混声合唱だと,中学生の演奏でも本当に聴き応えがあります。男声が入ることによって,女声も美しく引き立つものなんですね。
横田:そうなんです。だから混声合唱を続けたいというのが,自分のポリシーになってしまうんです。
佐藤:ご苦労は多いでしょうけれどね。
横田:倍の労力がかかりますものね。
佐藤:いや,倍以上かもしれませんよ。でも仕上がったときは,本当にすばらしいと思います。弦楽合奏だとかブラスバンドも音のまとまりのある,美しい音楽表現ですが,弦・管・打楽器で構成されるオーケストラの響きはさらに多彩で豊かな音の世界を表出する。それと同じかもしれません。

■大きな手から生まれたピアノ版!?
横田:シャープが5つあるH-durにされた理由は先ほど伺いました。読譜上の難しい印象とは逆に,生徒たちは実によく頑張って伴奏を弾こうとするんですよ。
佐藤:いやぁ,うれしいですねぇ。
横田:この調と,黒鍵を使う魅力にはまっているようです。伴奏を一生懸命弾こうとする生徒たちに演奏上のアドヴァイスは何かありますでしょうか。特に間奏に対する思いですとか。
佐藤:間奏は堂々と弾いてほしいところですよね。左手がオクターヴになっているので手の小さい方にはたっぷりとした音を出すには大変かもしれません。
横田:最後の両手のトレモロの部分などはいかがですか。
佐藤:こういう部分は一度和音にまとめてバンと弾いてから,トレモロにするとより演奏効果がありますね。弦楽器では音を持続させられますが,ピアノだと減衰してしまうでしょう。それから最後に切るときはまた和音にまとめて,パッと指揮に合わせて切るといいと思います。
横田:なるほど,それはいいお話を聞きました。それにしても,右手の和音をつかむ練習も大変です。
佐藤:そう,僕はね,手が大きいんですよ。
横田:あら,ほんとに大きいですね。
佐藤:ドからオクターヴを越してファまで届きます。
横田:だからこういう伴奏を書かれてしまうんですね(笑)。
佐藤:それで女房に「こんなの苦しい!」って言われるんです。僕にとっては何でもないことなんですが(笑)。

■愛すべき詩人,大木惇夫氏
横田:「土の歌」の詩との出会いについてお話を聞かせていただけますか。
佐藤:大木惇夫さんという方はおもしろい人でね。話してる最中,意見が合うとものすごく喜んで,抱きついてくるんですよ。それで人の顔を犬みたくペロペロなめるんです。もう何回なめられたか分からない。それからは意見が合いそうになると察知して逃げるのですが,でもそれ以上のものすごいスピードで抱きついてくる(笑)。喜びが我慢できないんですね。録音のプロデューサーもみんなそういう目に遭った。意見が合うと。僕の作曲の先生もなめられたそうで,大木先生と仕事をした日本の作曲家はみんななめられたと思います(笑)。
横田:この話,載せていいんでしょうか(笑)。
佐藤:それで大木さんの名誉やすばらしさは少しも失われるものじゃないですから。だからね,コンサートでこの作品を厳かに,こう背筋伸ばして指揮している最中に,ふとペロペロなめられたこととかを思い出して,指揮をしながらおかしさがこみ上げてくることがあります。
横田:(笑いが止まらない)。
佐藤:でもね。大木先生は大変朗読が上手でしたね。詩が出来上がってくるとご自身で読んでくださるのですが,これは見事なものでした。「恩寵」とか「おお,神よ」「時計台が崩れる」などといった言葉を大木先生が読むと,実に重厚で独特な雰囲気と迫力がありました。我々が読むと平凡で平坦な感じになってしまうのですが。あの朗読の重みは印象に強く残っていますね。

■代表作は,これから作曲します
横田:「土の歌」全体について,何かご苦労した点などございますか?
佐藤:何せもう40年も前に書いたものですので,あまり記憶に残っていません。忘れてしまいました。
横田:あはは。笑っていいのでしょうか。
佐藤:作曲家がこう言ったなどということは,演奏する上であまり問題にすることもないと思いますよ。楽譜をきちんと,本当にしっかりと読むことが演奏するうえで最も大事なことです。
横田:なるほど。
佐藤:また昔作曲した作品のエピソードを,などとときおり質問をされますが,こう言ってしまってはなんですが,あまり昔の曲の話をするのは好きではないですね。今,作曲家としてまだ書き続けていて,勝負しているのです。例えば,大工さんは昔作った建物を懐かしむのが仕事ではなく,これから作ることそれ自体が仕事なわけですよね。それと同じことが言えると思います。自分にとって代表作といえるものはまだないと思っています。これからそうした作品を作曲したいと思っています。

■吹奏楽版について
横田:「大地讃頌」のお話に戻って,ぜひお聞きしたいことがあります。吹奏楽の伴奏は,ご自身で編曲されていらっしゃいますでしょうか。
佐藤:BMGジャパンからCDのレコーディングのために編曲を依頼され,その楽譜がブロード出版というところから出ていますが,CDと一緒にしか入手できないという話です。
横田:その他のものは。
佐藤:私が承認していない編曲なので,使ってほしくないですね。著作権に関してきちんとした認識をすることが大切です。

■小学校4年生で作曲家を志す!
横田:佐藤先生ご自身のお話をお聞きしたいと思います。ちょっと月並みなのですが,作曲家になろうと志したきっかけを教えてください。
佐藤:これはね,小学校の音楽の先生の影響なんです。もうそれがすべての始まりと言っていいでしょう。小学校4年生のときに,当時代用教員と言われる方で,20歳くらいの若い先生が音楽の授業を担当していました。その人が今で言う熱血教師でね,校長先生や教育委員会ともガンガン言い合いをするような人でした。その先生が音楽の授業も全身全霊を傾けてやってくれたんです。
横田:どういう授業だったのか知りたいですね。
佐藤:授業のスタイルうんぬんというより,とにかく,音楽というものに惚れこんでいて,熱いんですよ(笑)。その先生が夢中になって投げかけてくれる音楽のおもしろさに,本当に夢中になりましたね。何か細かなことを通してと言うよりは,その先生の音楽に対する姿勢,情熱が好きだったとも言えるかもしれません。
横田:その4年生のときに,すでに作曲家になるんだという夢を?
佐藤:そうなんです。
横田:楽器はそれから始められたのですか?
佐藤:いえ,幸い家にはピアノがありまして,それまでに習ったりはしていたのです。男三人兄弟の真ん中で育ち,特に僕がピアノを好きでしたね。当時ピアノがある家は珍しく,近所には佐藤という名字が多かったものですから,出前の人なんか「ピアノの佐藤さん」なんて言っていましたね(笑)。音楽で進学すると言ったとき(佐藤氏は東京芸大附属高等学校の1期生),父親は反対しませんでしたが,周囲に芸術関係の仕事をしている人間がだれもいなかったので,大変心配な様子でした。父は物理学者でしたので,もし音楽をやるならヘルムホルツのような音響物理学者になれ,作曲は趣味でやればよいではないか—などと言ったものです。

■先生は限りない情熱をもって!
横田:佐藤先生は作曲家であると同時に,東京芸術大学の教授でもあり,また芸大音楽学部附属高校の校長先生でもいらっしゃいます。最後に音楽の先生方へのメッセージなどは何かありますでしょうか。
佐藤:音楽の先生に限らず,まず教師に求められるものは,その道の本格的なものといつも向き合い,情熱を燃やしていることです。本物は奥が深く,興味が尽きないものです。本気でやれば本当におもしろいし,やりがいがある。先生が本気で打ち込んでいるから子どもも本気を出すのではないでしょうか。子どもは先生ばかりでなく,大人のことをよく見ていますよ。自分が音楽の道に歩んだのも,小学校の先生の影響ですが,その意味で小学校・中学校の先生の役割は絶大だと思いますね。ちょっと大げさかもしれませんが,自分が教える児童や生徒を,すべて音楽家にしたいぐらいの野心をもって取り組んでいただきたいですね。特に中学生の時期はいちばん伸びるときでしょう。自分のその頃を振り返ってみても,内面的に大きく深く成長していった時期でした。

■インタヴューを終えて:横田純子
 お会いする前は,怖い先生だったらどうしようなどと思っていましたが,実際にお話しすると,時間がたつのを忘れるくらい,楽しいひと時でした。お好きなご旅行のお話,名ピアニストのホロヴィッツ氏とおしゃべりした思い出など,紙面でご紹介できないのが残念です。
「大地讃頌」の指導に改めて力が入りそうです。また,授業の一時間一時間を本当に情熱を傾けて頑張らなくては,と背筋がピンと伸びた思いです。
■プロフィール




 https://www.youtube.com/watch?v=lKr6NS8sedI




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