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 芋(いも)とは、植物の根や地下茎といった地下部が肥大化して養分を蓄えた器官です。特にその中で食用を中心に利用されるものを指します。但し、通常はタマネギのような鱗茎は含めません。
 秋は、芋の季節でもあります。じゃがいも、さつまいも、里芋。そして少し時期が後になりますが、山芋など、それぞれに種類も豊富で、いろんな芋が店頭を賑わしています。

 ヤマノイモ(山の芋)は、ヤマノイモ科ヤマノイモ属のつる性多年草です。または、この植物の芋として発達した担根体(根でも茎でもない、ヤマノイモ属に特有の器官)のことです。古くは薯蕷(あるいは「暑預」)と書いてヤマノイモと読んだといいます。日本原産で、粘性が非常に高く、ジネンジョウ(自然生)、ジネンジョ(自然薯)、ヤマイモ(山芋)とも呼びます。

 山芋の歴史は米の歴史よりも古く、縄文時代から食べられていたそうです。歴史書(日本書紀など)や小説にも山芋の記述は多く書き残されています。有名な「平家物語」に平忠盛と白河院が零余子(むかご)を手に持ちながら、祇園女御の生んだ子について語る場面があります。江戸時代になると、儒学者で本草学者でもある貝原益軒(かいばらえきけん)の「益軒十訓」の一つ「養正訓」で、とろろで精力がつきすぎ、世の男女関係が乱れるのを心配したくだりがあるほか、井原西鶴(いはらさいかく)の「好色一代男」にも主人公の世之介が精力源としてとろろいもを利用した記述があります。

 茶色で縞模様があり、ひげがついている里芋。私たちが食べているのは、地下の茎の部分です。また、里芋の葉は、子どもが傘にしている絵が思い浮かぶくらいに大きく、特徴的な形をしています。茶色の皮を向くと、ぬめりがあり、白くなめらかな身が現れます。やわらかく、ねっとりした食感で、やさしく品のいい味わいです。

 里芋の原産地は、インド東部からインドシナ半島にかけてという説が有力です。少なくとも紀元前3000年ごろにはインドで栽培されていたようです。そこから、原始マライ民族の移動とともに、フィリピン・ミクロネシア・ポリネシア・オーストラリア・ニュージーランドに至る太平洋一帯に広がりました。現在でも「タロ(タロイモ)」として利用されており、多くの民族・地域で重要な主食となっています。1世紀ごろ、古代インドからアフリカ、ヨーロッパへも伝わっていきましたが、ヨーロッパではほとんど食用にされませんでした。

 日本への渡来については、紀元前に中国から渡来したという説と、南方から太平洋諸民族の渡来により伝えられたという説があります。渡来時期ははっきりしませんが、稲の渡来(縄文晩期)より古いとされています。日本で稲作が始まったのは弥生時代ですが、それ以前、縄文時代に焼き畑農業が行われており、その中心作物は里芋で、里芋は稲作以前の主食だったと考えられています。日本に定着した里芋は、タロイモ類の中で最も北方の風土に適した系統のものでした。

 里芋は、「ウモ」とか「イエツイモ」と呼ばれていました。ウモはイモの古語です。イエツイモは、以前から山野に自生していたヤマノイモに対して、家で栽培するイモという意味でつけられました。里芋の記録として最も古いものは『万葉集』にあります。

https://www.youtube.com/watch?v=2fG51w-yRWE

 コンニャク(蒟蒻、菎蒻)は、サトイモ科の植物、あるいはその球茎から製造される食品です。古くからコンニャクを食用としてきた主な地域は、日本、中国、ミャンマー、韓国などのアジア各国ですが、古くからコンニャクを食用としてきた地域の広がりとともに低カロリーの健康食品として欧米にも広がりつつあります。

 コンニャクの原料となるコンニャクイモの2007年度(平成19年度)の日本での収穫量は66,900t。主産地は群馬県 (89.5%) で、第2位栃木県 (4.1%) 、第3位茨城県 (1.7%) と続き、日本では約95%は北関東で生産されています。
 こんにゃく芋の原産はインドシナ半島といわれ、現地では芋の形状から「象の足」という異名があります。今でも東南アジアには数多くのこんにゃく芋の仲間が自生し、その種類は約130種といわれていますが、その多くは日本のこんにゃく芋と品種が違い、こんにゃくマンナンという食物繊維の含まれないこんにゃく芋で、加工しても固まらず、こんにゃく作りには適しませんでしたが、最近では中国をはじめ東南アジアの各国においても日本向けに食用として栽培している状況です。 こんにゃくは6世紀頃仏教とともに中国より伝わったとされていますが、はっきりとしたことはわかりません。
http://kan-etsu.com/knowledge/rekishi/


 


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