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 ジャガイモ(馬鈴薯〈ばれいしょ〉、英: potato)は、ナス科ナス属の多年草の植物で、デンプンが多く蓄えられている地下茎を食品として利用します。
 ジャガイモの原産は南米アンデス山脈の高地といわれ、16世紀には、スペイン人によりヨーロッパにもたらされました。この時、運搬中の船内で芽が出たものを食べて、毒にあたったため「悪魔の植物」と呼ばれたといいます。

 日本へは諸説ありますが、オランダ人やオランダ造船によって1598年に持ち込まれたとの説があります。オランダ領ジャワ島の現ジャカルタ(当時、ジャカトラ(Jacatra))を経由して伝来したため、ジャガタライモと呼称されたといいます。江戸時代後期の18世紀末にはロシア人の影響で北海道・東北地方に移入され、飢饉対策として栽培されたといいます。蘭学者の高野長英はジャガイモ栽培を奨励しているといいます。また、江戸後期には甲斐国の代官であった中井清太夫がジャガイモ栽培を奨励したとされ、享和元年(1801年)には小野蘭山が甲斐国黒平村(甲府市)においてジャガイモの栽培を記録しています(『甲駿豆相採薬記』)。また、アイヌの人々もジャガイモを栽培していたといいます。

 本格的に導入されたのは明治維新後で、北海道の開拓に利用された。当初は西洋料理の素材としての需要であったが、洋食の普及とともに、徐々に日本の家庭料理にも取り入れられるようになっていった。
 北海道が最大の生産地で、春に植え付けて夏の終わりから秋にかけて収穫されます。北海道に次ぐ大産地である九州の長崎では、秋に植え付けて冬に収穫するのに加えて、冬に植え付けて春に収穫する二期作が行われています。
 「ジャガイモ」という呼び名は、これが16世紀末、オランダ人によって日本にもたらされた当時のジャカルタが「ジャガタラ」と呼ばれていたため、「ジャガタライモ」と呼ばれたことに起因する。これが変化して現在のジャガイモという呼び名になった。その他の説としてはジャワ島の芋の意味のジャワイモが変化した、天保の大飢饉で、ジャガイモのおかげで餓死を免れた事から呼称された「御助芋」が転じたものなど諸説があります。

 「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名もよく用いられますが、これは中国での呼び名のひとつと漢字が同じで、中国語で読むとマーリンシュー(ピン音 mǎlíngshǔ)となります。18世紀に日本人の小野蘭山が命名したといわれていますが、中国名をそのまま輸入したものなのか、新しく付けた名前がたまたま中国名と同じだったのか、それとも小野蘭山の命名が中国に伝わったのかは明らかではありません。一説には、ジャガイモの形が馬につける鈴に似ているという事からこの名前になったといいます。また、「マレーの芋」という意味からこの名前が付けられたという説もあります。なお、中国ではほかに「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などの呼び方もあります。
※最後に原寸大の図解があります。
 地方名として、「きんかいも」とも呼ばれます(「きんか」とは金柑転じて禿げのこと)。また、1年に2~3回収穫できることから「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」とも呼ばれます。「南京イモ」「ごしょいも」と呼ばれる事もあります。
 痩せた土壌でも栽培しやすく、ビタミンやデンプンが豊富に含まれている上に、茹でる等の簡単な調理で食べられ、加熱してもビタミンが壊れにくいジャガイモは、江戸時代に幾度となく発生した飢饉の際に、サツマイモと同じく主食である米等の穀物の代用品として食べられ、ジャガイモによって飢餓から救われたという記録が残っています。このために「お助けイモ」と呼ばれた事があります。また、飢饉の際にジャガイモ活用を勧めた代官の名を取って、「善太夫芋」「清太夫芋」と呼んだ地方もありました。


 このジャガイモがヨーロッパ大陸に伝えられたのは、インカ帝国の時代、15世紀から16世紀頃とされています。当初、インカ帝国の食の基盤はトウモロコシではないかと伝えられていましたが、ワマン・ポマ(1550?~ 1616年?、インカ帝国出身のインディオ)が1615年に残した記録やマチュ・ピチュ(15世紀のインカ帝国の遺跡)の段々畑の史跡研究、気象地理条件、食生活の解析など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、近年見直しが図られているということです。しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、スペイン人がジャガイモを本国に持ち帰ったのは1570年頃で、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士たちによってもたらされたものであろうと推測付けられています。さらに1600年頃になるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播しますが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していません。

 いずれにせよ16世紀末から17世紀にかけては植物学者による菜園栽培が主であり、ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが普及するのは、さらに時を待たねばなりませんでした。普及は、プロイセン王国で三十年戦争により荒廃し、飢饉が頻発した際に作付け(栽培)が国王の勅命により強制、奨励されたことや、踏み荒らされると収穫が著しく減少するムギに代わり、地下に実るため踏み荒らしの影響を受け難い作物として、農民に容易に受け入れられた結果であるとされています。さらにジャガイモは18世紀には、アイルランド移民の手により北アメリカへ渡り、アメリカ独立戦争における兵士たちの胃袋を満たす貴重な食料源となりました。


 

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