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 サツマイモ(薩摩芋)は、ヒルガオ科サツマイモ属の植物です。あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根)をいいます。別名に、甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも、とういも)、琉球薯(りゅうきゅういも)、とん、はぬす等があります。近縁の植物に、アサガオやヨウサイ(アサガオ菜)があります。

 原産地は南アメリカ大陸、ペルー熱帯地方とされます。大航海時代にコロンブスが1498年にベネズエラを訪れて以降、1519年にはポルトガルのマゼランがスペイン船隊を率いて南端のマゼラン海峡を発見し、16世紀に頻繁に南アメリカ大陸にやってきたスペイン人或いはポルトガル人により東南アジアに導入され、ルソン島(フィリピン)から中国を経て1597年に宮古島へ伝わり、17世紀の初め頃に琉球、九州、その後八丈島、本州と伝わった。アジアにおいては外来植物である。中国(唐)から伝来した由来により、特に九州では唐芋とも呼ばれる場合が多い。

 サツマイモがフィリピンから中国に伝来したのは1594年です。同年、宮古島の村役人、長真氏旨屋(砂川親雲上旨屋)が首里王府への帰途に逆風で中国に漂着し、1597年に中国を出発したが今度は九州に流れ着き、それからようやく帰島しました。この時に宮古島へ苗を持ち帰ったのが日本最初の伝来となります。旨屋は栽培の普及に努め、島では主食となるほどに広まりました。死後はンーヌ主(芋の神様)として御獄に祀られています。ただし伝承の考察から、実際には1618年ではないかという推測もあります。宮古島から沖縄本島へは伝播しなかった。沖縄では1612年の与那国島、1694年の石垣島など、それぞれの島ごとに中国から、本島とは関係なくばらばらに伝来し、その島内では急速に普及が図られるものの、他の島へ伝えるのは消極的でした。2013年現在、宮古島の大座御嶽にて甘藷(イモ)の神を祭っています。

 1604年、当時の琉球王国(現在の沖縄県)沖縄本島に伝わります。明への進貢船の事務職長(総管)であった野國総管(与那覇 松)という人物が明(今日の中国福建省付近とされる)からの帰途、苗を鉢植えにして北谷間切野国村(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町)に持ち帰り、儀間村の地頭・儀間真常が総管から苗を分けてもらい栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まりました。種子島や本土に伝来したのはこちらの系統であるといいます。

 1698年(元禄11年)3月、種子島に伝わります。領主種子島久基(種子島氏第19代当主、栖林〈せいりん〉公)は救荒作物として甘藷に関心を寄せ、琉球の尚貞王より甘藷一籠の寄贈を受けて家臣西村時乗に栽培法の研修を命じました。これを大瀬休左衛門が下石寺において試作し、栽培に成功したといいます。西之表市下石寺神社下に「日本甘藷栽培初地之碑」が建っています。

 1705年(1709年とするものもあり)、薩摩山川の前田利右衛門は、船乗りとして琉球を訪れ、甘藷を持ち帰り、「カライモ」と呼び、やがて薩摩藩で栽培されるようになりました。前田利右衛門を祀る徳光神社には「さつまいも発祥の地」とする碑が建てられています。
 1711年、薩摩を訪れた下見吉十郎が薩摩藩領内からの持ち出し禁止とされていたサツマイモを持ち出し、故郷の伊予国瀬戸内海の大三島での栽培を開始しました。1732年、享保の大飢饉により瀬戸内海を中心に西日本が大凶作に見舞われ深刻な食料不足に陥る中、大三島の周辺では餓死者がまったく出ず、これによりサツマイモの有用性を天下に知らしめることとなりました。

 八代将軍・徳川吉宗の当時、儒学者として知られていた青木昆陽が、その才能を買っていた八丁堀の与力加藤枝直により町奉行・大岡忠相に推挙され、幕府の書物を自由に閲覧できるようになりました。昆陽は同じ伊藤東涯門下の先輩である松岡成章の著書『番藷録』や中国の文献を参考にして、サツマイモの効用を説いた「蕃藷考」を著し、吉宗に献上しました。

 1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ、「薩摩芋」を江戸小石川植物園、下総の馬加村(現千葉市花見川区幕張町)、上総の九十九里浜の不動堂村(現:九十九里町)において試験栽培し、1735年栽培を確認。これ以後、東日本にも広く普及するようになります。ただしサツマイモの普及イコール甘藷先生(青木昆陽)の手柄、とするには異説もありますが、昆陽が同時代に既に薩摩芋を代名詞とする名声を得ていたことは事実です。


 


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