雷門(かみなりもん)は、浅草寺の山門です。川柳に「風の神雷門に居候」とありますが、正式名称は風雷神門(ふうらいじんもん)であり、「雷門」と書かれた提灯の逆側には「風雷神門」と書かれています。門に向かって、右側に風神、左側に雷神が配される、朱塗りの山門です。門の中央には、重さ約700Kgの提灯が吊りさげられており、浅草のランドマークとなっています。
雷門の呼称は、江戸時代の川柳に初めて登場しますが、それ以前のいつの段階から呼ばれるようになったかは不明てす。知名度に関しては、雷門の名が書かれた提灯が1795年に初めて奉納されており、浮世絵の題材に用いられたことから、以降、日本各地へ浸透したものと考えられます。
山門はしばしば火災により消失しており、江戸時代だけでも2度も建て替えられています。最後の火災は1866年(慶応元年12月14日であり、以後、100年近く恒久的な建築物としての山門は姿を消したそうです。明治年間から太平洋戦争後にかけては、さまざまな形態の仮設の雷門が登場したと伝えられています。いずれも博覧会の開催や戦勝記念など、その時々のイベント的な要素が強く、素材は鉄骨やコンクリートなどの構造もあったほか、大きさもさまざまであったといいます。1904年の日露戦争終結時には、凱旋門として雷門が建てられています。
1960年、松下電器産業(現パナソニック)の創設者、松下幸之助が病気だったころに浅草寺に拝んだところ、治ったためそのお礼として門及び大提灯を寄進し、現在の雷門が成立したといいます。風神・雷神像は、江戸時代の頭部(火災により焼け残ったもの)に、明治時代に造られた胴体をつなげた物を引き続き使っているそうです。
雷門にかかる大提灯は浅草のシンボルとなっています。本体は丹波産の竹の骨組みに福井県産のコウゾ100%の和紙約300枚を貼り合せたもので上下の張り輪には金属製の化粧輪が取り付けられているそうです。1971年から京都市下京区の高橋提燈が制作しており約10年ごとに新調されているそうです。なお、2008年に松下電器はパナソニックに社名変更しましたが、大提灯の銘板は松下電器のままだそうです。2003年に江戸開府400年を記念して改めて新調された際、提灯は従来の物より一回り大きくなり、直径3.3m、高さ3.9m、重さ700kgとなりました(従来の物は670kgでした)。2013年に新調された大提灯で5基目となります。三社祭の際には、神輿が下を通るため提灯が持ち上げられて畳まれます。また、台風接近時や強風時にも破損を防ぐために畳まれます。
ところで、自然界の強大な威力を感じさせる「かみなり」、文字通り天の神が鳴らす音と受け止めた言葉です。現代ではあまり使われなくなりましたが、「いかずち」ということもあります。こちらはイカ(厳)、つ(「の」に当たる助詞)、チ(霊)で、やはり雷に猛烈な威力を感じての表現です。いかずちの「いか」は、「たけだけしい」「荒々しい」「立派」などを意味する形容詞「厳し(いかし)」の語幹で、「ず(づ)」は助詞の「つ(「の」にあたる助詞)」、いかずちの「ち」は、「みずち(水霊)」や「おろち(大蛇)」の「ち」と同じ、霊的な力を持つものを表す言葉で、「厳(いか)つ霊(ち)」が語源だといいます。いかずちは鬼や蛇、恐ろしい神などを表す言葉であったのですが、自然現象の中でも特に恐ろしく、神と関わりが深いと考えられていた「雷」を意味するようになったのだといいます。雷に猛烈な威力を感じての表現なのです。菅原道真の神号としておなじみの天神様も雷神です。不当に左遷された無念の思いが、いまもなお空を暴れ続けているのでしょうか。
清涼殿落雷事件(せいりょうでんらくらいじけん)は、平安時代の延長8年6月26日(ユリウス暦930年7月24日)に、内裏の清涼殿に落雷した事件です。この年、平安京周辺は干害に見舞われており、6月26日に雨乞の実施の是非について醍醐天皇がいる清涼殿において太政官の会議が開かれることとなりました。ところが、午後1時頃より愛宕山上空から黒雲が垂れ込めて平安京を覆いつくして雷雨が降り注ぎ、それから凡そ1時間半後に清涼殿の南西の第一柱に落雷が直撃しました。この時、周辺にいた公卿・官人らが巻き込まれ、公卿では大納言民部卿の藤原清貫が衣服に引火した上に胸を焼かれて即死、右中弁内蔵頭の平希世も顔を焼かれて瀕死状態となります。清貫は陽明門から、希世は修明門から車で秘かに外に運び出されましたが、希世も程なく死亡します。落雷は隣の紫宸殿にも走り、右兵衛佐美努忠包が髪を、同じく紀蔭連が腹を、安曇宗仁が膝を焼かれて死亡、更に警備の近衛も2名死亡します。
清涼殿にいて難を逃れた公卿たちは大混乱に陥り、醍醐天皇も急遽清涼殿から常寧殿に避難します。だが、惨状を目の当たりにして体調を崩し、3か月後に崩御することとなります。天皇の居所に落雷したということも衝撃的でしたが、死亡した藤原清貫がかつて大宰府に左遷された菅原道真の動向監視を藤原時平に命じられていたこともあり、清貫は道真の怨霊に殺されたという噂が広まります。また、道真の怨霊が雷神となり雷を操った、道真の怨霊が配下の雷神を使い落雷事件を起こした、などの伝説が流布する契機にもなったのだといいます。
いやなことを避けるために言う「くわばらくわばら」という語は、元々落雷を除ける呪いの言葉でした。激しい雷の時に蚊帳のなかににげこんでこの語を唱える図も古くなりました。由来として伝えられている説は死して雷となった菅原道真の領地「桑原」には古来落雷した例がないという言い伝えによるものです。なお、「桑原」の所在は福岡説、大阪説、京都説などがあります。大阪の和泉市の西福寺には「桑原」に由来する雷井戸があるそうです。
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