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 桜餅(さくらもち)は、桜にちなんだ和菓子で、桜の葉で餅菓子を包んだものです。雛菓子の一でもあり、春の季語にもなっています。
 関東風桜餅:関東で作られている桜餅。関東以外では長命寺餅とも呼ばれることもあります。関東では関東風の桜餅のことを長命寺と呼ぶことは少なく、「長命寺の桜餅」と称した場合、向島の「長命寺桜もち」製の桜餅を意味します。また、関西風の桜餅のことを道明寺と呼びます。
 関西風桜餅:関西以西で作られている桜餅はふつう道明寺餅と呼ばれています。江戸で長命寺桜もちが文化文政年間に流行したことより、関東風桜餅が広く桜餅と呼ばれるようになり、他方の物を道明寺という名前で呼び分けています。関西では、関東風の桜餅のことを長命寺と呼ぶそうです。また、関西風の桜餅のことは道明寺と呼びます。

 現在の桜餅だけでなく古文書などにも桜餅の名前が見えます。
 桔梗屋菓子目録:南方熊楠によれば、桜餅の知られている出現は天和三年(1683年)であります。太田南畝の著「一話一言」に登場する京菓子司、桔梗屋の河内大掾が菓子目録に載せたといいます。天和三年には桔梗屋菓子目録が出版され、また京菓子司・桔梗屋の河内大掾が江戸に店舗を構えました。これは蒸菓子であり、後の世の物とは別の物のようです。昔の作り方では餅を桜の葉で包み、蒸籠で蒸すやり方があます。
 男重宝記:男重宝記(元禄六年、1693年)に「桜餅」とあるところに桜の五弁の花びらを模した桜餅の図が載っていて、その傍らに「中へあん入れる」と記されています。

 茶湯献立指南(元禄九年、1696年):「秋の野」「伊勢桜」など風流な名称の菓子が見られます。

長命寺の桜餅は享保二年(1717年)に、元々は寺の門番であった山本新六が門前で山本屋を創業し売り出したのがはじまりとされます。隅田川の桜の落ち葉を醤油樽で塩漬けにし、餅に巻いたとされます。もとは墓参の人をもてなした手製の菓子であったといわれ、桜餅の葉は落ち葉掃除で出た桜の葉を用いることを思い至ったからだといいます。はじめは桜の葉のしょうゆ漬けだったともいわれます。山本新六は下総国銚子の人で元禄四年(1691年)から長命寺の門番をしていました。将軍吉宗の台命により享保二年(1717年)同じ年に側傍の隅田川沿いに北から南へ桜木の植栽が行われ、これを機に花見時に賑わい発展しました。記録に文政のころ(1818-1830年)の桜餅屋のことが上がっています。曲亭馬琴他編の『兎園小説』の中で屋代弘賢が書いている内容からは盛況ぶりがうかがえます。
 「去年甲申一年の仕込高、桜葉漬込卅壱樽、但し一樽に凡そ二万五千枚程入、葉数〆七拾七万五千枚なり、但し餅一に葉弐枚宛なり、此餅数〆卅八万七千五百、一つの価四文宛、此代〆壱千五百五拾貫文なり、金に直して二百廿ヒ両壱分弐朱と四百五拾文、但六貫八百文の相場、此内五拾両砂糖代を引き、年中平均して一日の売高四貫三百五文三分宛なり」屋代弘賢、兎園小説(文政八年、1825年)
 桜餅一つの売値四文は現在の価値に直すと、推定で米の価格から換算した場合は約63円、大工の賃金から換算した場合は約322円。喜多村信節著文政十三年(1830年)自序の『嬉遊笑覧』には内容を変えて作られていることが記されています。
 「近年隅田川長命寺の内にて櫻の葉を貯へ置て櫻餅とて柏餅のやうに葛粉にて作るはしめハ粳米にて製りしがやがてかくかへたり」『嬉遊笑覧巻十上 飲食』(文政十三年、1830年)
 三田村鳶魚著の『桜餅』には「不忍の新土手は文政三年の築造であるから、それより前に、長命寺の桜餅があったのである。」とあり、文政三年(1820年)より前に長命寺の桜餅はあったと推察しています。
 桜餅はさまざまな絵画や詩文にも登場します。 『東都歳時記』(天保九年、1838年)長谷川雪旦画「桜餅屋」は、「隅田川名物 さくらもち」の店の絵の図である。
 歌川国芳の「諸鳥やすうりづくし」(天保十三年頃、1842年頃)には、隅田川名物櫻もちを作る2羽の都鳥が描かれている。この桜餅は現代のものとは異なり、餡を使っていません。
 歌川広重二代画・喜翁(歌川豊国)三代筆「江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅」(元治元年、1864年)には、桜咲く墨堤を背景に、二人の女性が桜餅の袋を提げた竿の両端を持って歩いてゆく姿が描かれています。
 明治二十一年の夏に正岡子規が長命寺境内の山本屋の二階に泊まっていた際に、七草集にある「花の香を若葉にこめてかぐはしき桜の餅(もちひ)家づとにせよ」(明治二十一年、1888年)という歌を詠んでいます。

 道明寺(どうみょうじ)は、道明寺粉を用い、桜の葉で包む桜餅。京都の茶店や和菓子店でよく見られるとして京風桜餅とも呼ばれるものです。伝統で典型的なものの一つになっています。大阪府藤井寺市に材料の道明寺粉の由来にもなったという同名の寺があります。

 もち米で出来た昔からの餅の姿が、古くから伝わる和菓子の流れに合っていて各地に通じて広まっている。東京製菓学校では、長命寺がもとと考えているが、根拠は挙げていません。同じように道明寺粉で作った餅を葉で挟む椿餅があります。


 


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