瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
江戸通りを南下、JR浅草橋駅のすぐ近くにある銀杏岡八幡神社に立ち寄る。その名の通り、何本かの大きな銀杏の木があるが、そんなに広い境内ではない。由緒書きにある江戸時代に台風で折れ、その後大火で焼けたという大銀杏の木が果たして義家が挿木したものかどうかは怪しい。
狛犬というのは大抵2つで対になっているものなのだが、鳥居の傍の1対の新しい狛犬と清め水との間に1つだけ寂しく取り残された狛犬が鎮座ましましている。本殿の前に立つと左手に由緒説明が掲示してあった。東京近辺の八幡様は、どこも頼義・義家父子との所縁があるようであるが、真偽はともかく源氏が関東一円に勢力を伸ばした証しでもあろう。
境内社の此葉稲荷神社については、何の説明板もなければ、由緒書きもない。江戸時代に、ここ銀杏岡八幡の境内に「福井稲荷」という稲荷神社があったという記録がある。当地の旧町名が福井町なので、ここからきた神号なのだろう。江戸時代後期,平戸藩主松浦静山(まつらせいざん、1760~1841年)の随筆『甲子夜話三篇』巻26-3「福井稲荷の由来並びに像の写し」にこの小祠のことが書かれている。曰く、「智(銀杏《岡》八幡の別当、修験)曰く。浅草御門の外、茅町の西方は、昔者越前福井候の藩邸なりしを、享保の初年に町家となり、其跡三町四方程ありて、今は福井町と呼ぶ。その第二丁目、小字を奥山と云所の、西北隅の町家の裡に稲荷祠あり。福井稲荷と唱ふ。」此葉稲荷神社と福井稲荷神社が同じものなのか、またそうでなければ福井稲荷はどうなったのかは知る由もない。
銀杏岡八幡神社を跡にすると、総武線に沿って左衛門橋通りに出ると、これを言問通りまで北上。言問い通りを東へ進んで帰宅した。今日の記録は12020歩、7.8㎞とあった。
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