瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
本日も朝食後の徘徊。両国橋まで昨日と同じコース。本日は両国3丁目界隈を徘徊。
京葉道路の両国2丁目の信号を右に入り、3つ目の路地を左折するとこの路地を挟んで右に飯澄稲荷、左に赤穂義士遺蹟・吉良邸跡がある。飯澄稲荷には由緒らしき石碑も案内板もないので、よく判らないが、この辺り一帯が吉良邸であったことを考えれば、恐らく吉良邸内にあったものだろう。
吉良邸跡は何回か訪ねたことがあるが、現在吉良邸跡として残る本所松坂公園は29.5坪(98㎡)で当時の86分の1に過ぎない。この吉良家上屋敷は東西73間(約134m)、南北34間(約63m)という広大なもので、上野介がこの屋敷を拝領したのは元禄14(1701)年9月、義士の討入りがあって没収されたのが元禄16年2月と、前後1年半に満たない僅かの期間であった。
小さな潜戸から公園内部に入ると「松坂稲荷大明神」の鳥居がある。これと並んで吉良上野介追慕碑、吉良家家臣二十士碑があり、南東の片隅に首洗いの井戸がある。
松坂公園を後にして京葉道路に出ると清澄通りを北上、日大付属1高(1中)前、横網公園前を通り抜けて、墨田区役所前から枕橋、言問橋を渡って帰宅した。本日の記録は11242歩、7.3㎞とあった。
京葉道路の両国2丁目の信号を右に入り、3つ目の路地を左折するとこの路地を挟んで右に飯澄稲荷、左に赤穂義士遺蹟・吉良邸跡がある。飯澄稲荷には由緒らしき石碑も案内板もないので、よく判らないが、この辺り一帯が吉良邸であったことを考えれば、恐らく吉良邸内にあったものだろう。
吉良邸跡は何回か訪ねたことがあるが、現在吉良邸跡として残る本所松坂公園は29.5坪(98㎡)で当時の86分の1に過ぎない。この吉良家上屋敷は東西73間(約134m)、南北34間(約63m)という広大なもので、上野介がこの屋敷を拝領したのは元禄14(1701)年9月、義士の討入りがあって没収されたのが元禄16年2月と、前後1年半に満たない僅かの期間であった。
小さな潜戸から公園内部に入ると「松坂稲荷大明神」の鳥居がある。これと並んで吉良上野介追慕碑、吉良家家臣二十士碑があり、南東の片隅に首洗いの井戸がある。
松坂公園を後にして京葉道路に出ると清澄通りを北上、日大付属1高(1中)前、横網公園前を通り抜けて、墨田区役所前から枕橋、言問橋を渡って帰宅した。本日の記録は11242歩、7.3㎞とあった。
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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