瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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5bc3abde.jpg  朝起き抜けに、江戸通りを下り駒形橋を渡る。駒形橋東で清澄通りはくの字型に曲がり、此処からもう1本道路が通っているが、この辺は東駒形1丁目、東方向に建設中の東京スカイツリーがみえる。駒形1丁目界隈をあちこちと徘徊してみた。


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66a9702f.jpg 船江神社というのがあり、昔は朝日神明社と称していたらしい。黒地に赤文字の由緒書きがあったが、よく読めない。「お伊勢参りが一生の念願であったその頃は、このお社に参拝すれば、同じ神徳が授かると厚い信仰を受けていた。明治の頃になると、土地の人が船江神社と称していたので、これに倣って神名を改めた」云う様なことが書かれている。
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e2f68103.jpg 船江神社の南の何処かの個人の家の庭と見紛う程の狭い空き地に玉林稲荷大明神というのがあった。由緒書きなどは見当たらないので、帰宅後ネットで調べてみたが、由緒などは知る由もない。ただ、この稲荷大明神の南にあるO建という建設会社では、この稲荷が守護神とかで恒例的に直会(なおらい)を行っているという記事があった。
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5fdd11cf.jpg 玉林稲荷を後に今来た道をそのまま東に進むと三つ目通りに出た。三つ目通りを横断してジグザクに京成橋方向に進んでいると四つ目通りの手前で押上天祖神社というのがあった。天祖神社とは天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮を総本社とする神社のことで、神明神社(神明社)、皇大神宮等とも呼ばれ、通称として「お伊勢さん」と呼ばれることが多い(淺草通りをこのまま東進して江東区にはいるとここにも亀有天祖神社がある)。
ここ押上天祖神社は戦災で壊滅したが、戦後地元民の努力で復旧下らしい。本殿に並んで境内社の三峰神社が祀られている。
8402968d.jpg 四つ目通りに出ると、京成橋を渡り、桜橋通りを西進して帰宅した。今日は早朝の出発であったが、澄み切った秋空はここ数日では珍しく、気持ちのいい朝であった。記録は、9326歩、6.0㎞。



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