瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 午前5時、外はまだまだ暗い。久し振りに北回りの徘徊コースを取る。墨堤通りから、東白鬚公園にかかる頃東の空から白み始める。水神大橋の上に立って大川を見おろしながら考えた。
2a2fa77f.jpg 政権交代ができて、自民党から民主党に政権が移ったが、まあ、十年一日のごとく何の変哲もなくゆったりと流れるこの大川のように、世の中そんなに大きく変わるものでもあるまい。それに大きく期待してそれが裏切られたとするよりも、期待しないでうまくいけば結構だし、うまくいかないで当たり前だと考えたほうが、気が楽だ。世の中結構づくめで通る訳でもあるまい。
 老子(第六十六)にいう、「江海(こうかい)のよく百谷(ひゃっこく)の王たるゆえんは、その善くこれに下るをもってなり。故によく百谷(ひゃっこく)の王たり。ここをもって聖人は、民に上(うえ)たらんと欲すれば、必ず言(げん)をもってこれに下(くだ)り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身をもってこれに後(おく)る。ここをもって聖人は、上に処(お)るも民は重しとせず、前に処(お)るも民は害とせず。ここをもって天下推(お)すことを楽しみて厭(いと)わず。その争(あらそ)わざるをもっての故に、天下よくこれと争(あらそ)うことなし。」と。
 「江や海が幾百もの谷川の王となって《その水を集めて》いられる理由は、それらがうまく謙(ヘリくだ)って《低い所に》いるからである。だからこそ幾百もの谷川の王となっておれるのである。だからこそ《統治者として》人民の上に立ちたいと望むなら、必ずそのことばによってかれらに謙り、人民の先頭に立ちたいと望むなら、必ずその身《のこと》をかれらより後回しにすることである。それゆえに聖人は、《統治者として》上の地位にいても人民はそれを重荷とせず、前面にいても人民はそれを邪魔だとは思わない。それゆえ、世界中が喜んでかれを支持して、厭わない。かれは《自分を立てて他人と》争うことをしない。だから、世界中にかれと争うことのできるものがいないのである。」ということなのであろう。
 オバマさんや鳩山さん、今は世界中から注目されているとマスコミは伝えるが、数千年昔のこの老子爺さんの言葉を聞いていただいて肝に銘じて貰いたいものである。
 白鬚橋まで南下、橋場のマンション群の裏手の隅田川遊歩道を通って、6時30分帰宅。9706歩、6.3㎞の徘徊であった。
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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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