瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨日は爺婆の日。福岡から甥のH君が上京、浅草寺の五重塔にご先祖詣りに行く。
来年の春には長男の結婚式を福岡で行うので、結納に上京したのだという。夕刻は高校時代の在京同期生の歓迎会かあるとかで、昼食を共にして別れた。
今朝は朝食後、言問橋を渡り、三つ目通りを南下。北斎通りを西進し、野見宿禰神社に立ち寄る。清澄通りから日大1高(1中)と東京江戸博物館の間の遊歩道を抜けて安田庭園前に出る。何時もは早朝と言うこともあって庭園は開いていないのであるが、今日は公園内を散策してみる。庭園内案内図を見ると駒止稲荷というのがあったので立ち寄ってみた。正面玄関から出て、安田庭園を後にすると、両国公会堂脇から隅田川のテラスに降りて、吾妻橋まで北上し、吾妻橋を渡って、隅田公園を抜けて帰宅した。吾妻橋の西袂では淺草水上バスステーションの新設工事が始った模様である。10268歩、6.6㎞を記録。
野見宿禰神社:日本書紀によれば、ここに祀られている野見宿禰(のみのすくね)は出雲の人で、その昔、垂仁天皇の命によって行われた御前試合(360年頃)の勝者だ。敗れた大和の當麻蹶速(たいまのけはや)は、野見宿禰の足技によって肋骨と腰の骨を砕かれて死んだと言うから凄まじい。この故事に由来して、相撲(角力)の神とされている。ちなみに、垂仁天皇の后が亡くなったとき、お付きのものなどを一緒に生き埋めにする殉死の風習をやめ、埴輪を埋葬することを提案したのも野見宿禰だそうだ。彼はこの功により「土師臣」の姓を名乗ることになったという。菅原道真がこの土師氏の系譜に連なることから、野見宿禰は天神様の祖ということにもなるわけ。境内には歴代の横綱の名前を彫った碑が建ち、大鵬、柏戸、千代の富士などの懐かしい名前を見ることができる。
駒止稲荷神社:当神社は徳川三代将軍家光公の時代、隅田川に大洪水があり、時の将軍家光公が深く江東の地の災害を憂慮され、現在の浅草柳橋の辺より旗本阿部豊後守に命じて、江東の地を見舞った。豊後守は名馬を駈って濁流渦巻く隅田川を乗り切り、つぶさに江東の地を視察し詳細にその報告した。将軍は篤くその功を賞し、即刻一万石を給り、以来豊後守は旗本より大名に昇進したという。その際名馬を止めて休憩した処が現在の旧安田庭園内の神社のところで、今なお駒止石・駒止井戸が史蹟としてある。当時横網の里に居住していた郷士加藤善右ヱ門と云う人がその徳を敬い、伏見稲荷大社より稲荷の御霊を移し、以来駒止稲荷様と称し、家運繁栄出世稲荷として数限りない崇敬者があったという。のち備前岡山の大名池田公の下屋敷となり、公の守護神として明治中頃まで同屋敷内に鎮座し、引き続き安田善次郎翁の厚く信仰するところとなった。大正12年の大震災後、翁は屋敷全部を東京都に寄贈、以来都の管理下に史蹟として残り、昭和43年に墨田区の管理となり現在に至る。
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目高 拙痴无
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92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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