瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
先日よりコピー編集を始めた福岡在住の甥の娘Eちゃんのアフリカはスーダン滞在中のブログ集の冊子第1集(6月~9月)が何とか出来上がったので、姉・甥・姪に発送すべく、朝食後クロネコへ出掛けた。
今にも降り出しそうな天気ではあったが、厩橋まで南下し、春日通を東へ向って進む。三つ目通りまでくると、上から冷たいものが落ちてくるので、三つ目通りを北上、言問橋を渡って帰宅しようと、浅草通りまで来るとどうやら大したことはなさそうなので、淺草通りをさらに東に進んだ。業平橋西から見る東京スカイツリーは一段と高さを増し、目立つようになった。クレーンで資材を上へ吊り上げているのがよく見える。こうしてみていると巨大なプラモデルが組み立てられているような感じである。
旧約聖書に曰く、「全地は一つの言語(ことば)、一つの音(おん)のみなりき。ここに人衆(ひとびと)東に移りて、シナイの地に平野(ひらの)を得てそこに居住(すめ)り。彼ら互いに言いけるは、「いざ甎石(かわら)を作りこれを善く爇(や)かん」と。ついに石のかわりに甎石を獲、灰沙(しっくい)のかわりに石漆(ちゃん)を獲たり。また言いけるは、「いざ邑と塔とを建ててその塔の頂を天に至らしめん。かくして我ら名を揚げて全地の表面(おもて)に散ることを免れん」と。エホバ降臨(くだ)りてかの人衆の建つる邑と塔を観たまえり。エホバ言いたまえるけるは、「視よ、民は一つにして皆一つの言語を用う。今すでにこれをなし始めたり、さけばすべてそのなさんと図維(はか)ことは禁止(とど)めえられざるべし。いざ我ら降りかしこにて彼らの言語を淆(みだ)し、互いに言語を通じることを得ざらしめん」と。エホバついに彼らをかしこより全地の表面に散らしたまいければ、彼ら邑を建つることを罷めたり。このゆえにその名はバベル(淆乱《みだれ》)とよばる。こはエホバかしこにある全地の言語を淆したまいしによりてなり。かしこよりエホバ彼らを全地の表に散らしたまえり。」
言語の不統一で人の組織化を防ごうとした神の意図は空しく、今や飽く事を知らない人間の欲望は果てし無く広がっている。地球温暖化問題もそうだが、生命科学の分野においても、命の尊厳そのものが怪しくなってきている。このまま突き進んでゆけば、大きな混乱が必ず起きるだろう。科学技術的にはこれは出来るけれども、我々はこれは望まないという「分をわきまえる」知恵の必要を、社会の中に形成されるよう、働きかけることが必要なのである。その意味で、この「バベルの塔」は、単なる古代神話とすることなく、「分をわきまえる」現代的知恵を見出すべき寓話として、再解釈されてもよいのではないだろうか。
京成橋を渡り、桜橋通りから桜橋に出て帰宅した。9223歩、5.9kmを記録する。
今にも降り出しそうな天気ではあったが、厩橋まで南下し、春日通を東へ向って進む。三つ目通りまでくると、上から冷たいものが落ちてくるので、三つ目通りを北上、言問橋を渡って帰宅しようと、浅草通りまで来るとどうやら大したことはなさそうなので、淺草通りをさらに東に進んだ。業平橋西から見る東京スカイツリーは一段と高さを増し、目立つようになった。クレーンで資材を上へ吊り上げているのがよく見える。こうしてみていると巨大なプラモデルが組み立てられているような感じである。
旧約聖書に曰く、「全地は一つの言語(ことば)、一つの音(おん)のみなりき。ここに人衆(ひとびと)東に移りて、シナイの地に平野(ひらの)を得てそこに居住(すめ)り。彼ら互いに言いけるは、「いざ甎石(かわら)を作りこれを善く爇(や)かん」と。ついに石のかわりに甎石を獲、灰沙(しっくい)のかわりに石漆(ちゃん)を獲たり。また言いけるは、「いざ邑と塔とを建ててその塔の頂を天に至らしめん。かくして我ら名を揚げて全地の表面(おもて)に散ることを免れん」と。エホバ降臨(くだ)りてかの人衆の建つる邑と塔を観たまえり。エホバ言いたまえるけるは、「視よ、民は一つにして皆一つの言語を用う。今すでにこれをなし始めたり、さけばすべてそのなさんと図維(はか)ことは禁止(とど)めえられざるべし。いざ我ら降りかしこにて彼らの言語を淆(みだ)し、互いに言語を通じることを得ざらしめん」と。エホバついに彼らをかしこより全地の表面に散らしたまいければ、彼ら邑を建つることを罷めたり。このゆえにその名はバベル(淆乱《みだれ》)とよばる。こはエホバかしこにある全地の言語を淆したまいしによりてなり。かしこよりエホバ彼らを全地の表に散らしたまえり。」
言語の不統一で人の組織化を防ごうとした神の意図は空しく、今や飽く事を知らない人間の欲望は果てし無く広がっている。地球温暖化問題もそうだが、生命科学の分野においても、命の尊厳そのものが怪しくなってきている。このまま突き進んでゆけば、大きな混乱が必ず起きるだろう。科学技術的にはこれは出来るけれども、我々はこれは望まないという「分をわきまえる」知恵の必要を、社会の中に形成されるよう、働きかけることが必要なのである。その意味で、この「バベルの塔」は、単なる古代神話とすることなく、「分をわきまえる」現代的知恵を見出すべき寓話として、再解釈されてもよいのではないだろうか。
京成橋を渡り、桜橋通りから桜橋に出て帰宅した。9223歩、5.9kmを記録する。
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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