瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
台風18号で、本日も外出ならず。起き抜けにパソコンを開くと横浜のN氏よりメールが入っていた。先日甥から依頼されたEちゃんのブログ集の冊子作成の試作品を送った感想が届いていた。
「日高節夫様/先日は、君のブログ集Ⅶ、Ⅷと、博多の甥御さんのご長女の才媛のブログ集『この風景の中で』をお送りくださってありがとうございました。/昨夜、全部読了。/どれも力作でした。君のブログについては別の日に書きますが、今日は大叔父にあたる君が、甥御さんから依頼を受けてまとめた、JICAの才媛のブログについて書くことにします。/時代錯誤の表現ですが、「いやまあ、女だてらに、ようまあアフリカくんだりまで行くものよ」というのが、第一の感想です。そして、次の感想が、「日高家の系譜を引く女性のなんと強いことよ」です。/(中略)/私は、アフリカについては全くうといのです。/1985年3月から一ヶ月間、まだ大学5年生になる前の息子が、春休みにケニアに行った滞在所見しか聞いたことがないのです。もう20年も前の旅人ですから、かなり見当はずれの感想だろうと思いますが、それほどうといのです。/でも、そのケニアの北、エチオピアの西、青ナイルと白ナイルが合流する国くらいの知識は変わらないでしょうから、「えらいところに行ったもんだ」という感想は大半の日本人の爺婆が抱く感想でしょう。/だから、第一印象は、「女子の身でえらいもんだなあ」というものでした。/息子のケニアの印象は悪くはありませんでしたが、首都のナイロビは高地にあるから涼しくて、治安の悪さにさえ気をつければ大丈夫というものでしたが、その治安の悪さというのがすごい。/タクシーに乗ったら腕時計を嵌めている腕を窓から出していけない。腕時計欲しさに、鉈で腕を斬り落とされるから、車に乗ったら腕を窓から出すなというようなものでした。/ナイロビから列車で、インド洋の海岸のモンバサという町まで行ったのですがこのときがいちばん暑さがひどくて、復路は飛行機に乗ったといってました。/そんな国の北側にあるスーダンの南の町ジュバに滞在する大和撫子は、形の変わった日本国の国威発揚になるのでしょうね。/「ワウでイタリアのNGOが運営する職業訓練センターの中の様子」という説明のある写真を見て、“Don Bosco VTC Wau”の看板が気になりました。/どこかで、このドン・ボスコという名前を見た記憶があったのです。/あれこれ頭をひねった結果、近くの私立中学・高校のサレジオ学園の構内に、この人の胸像があったということです。/このサレジオ学園という私立中高は、15年くらい前までは田園都市線の鷺沼駅から歩いて程近い(大して近くもなかったが)ところに開設されていた学校でしたが、私たちが今のところに引っ越してきた頃に、わが家から徒歩10分くらいの距離に中高の校舎を移転してきました。学園祭のオープンキャンパスの時に見に行ったら大きな胸像があって、「この学校も、やっぱりカトリックの系統か」と思ったのですが、このブログ集を読んだ直後に調べてみたら、Don Giovanni Bosco(ドン・ジョバンニ・ボスコ)1815~88 とある。イタリアのカトリック司祭で、サレジオ会の創立者。北イタリアの貧しい農家に生まれ司祭となったとある。」
N氏の感想はまだ続く。曰く「スーダンも、日本も、ひとしくサレジオ会の教育機会に組み込まれるのかと、彼ら(イタリア人)の信仰心からくる活動の普及度に驚く。息子のアフリカとブラジル滞在中の感想で、「親父、ドイツは医療活動が世界の隅々まで行きわたっていてすごいぞ」といっておりましたが、ドイツだけではなくて、イタリア系(というよりローマ・カトリック系)の支援活動は日本の遠く及ばないところにあるのですね。/信仰から発し、カトリックの布教活動の一環としてある教育機関は日本でも珍しくありません。鹿児島のラサール高校も看板だけ見に行ったことがありますが、日本人は、これらキリスト教関係の学校を、東大突破のためのプロセスとのみ見て、まず改宗することはないでしょう。同じサレジオ会の教育活動でも、スーダンでのドン・ボスコ職業訓練校とサレジオ学園中学高校とは、だいぶ趣が違うようですね。/それにしても、運動場に大きなドン・ボスコの肖像画を張り出していて、やっぱりこれはキリスト教の普及活動の一環だよね。/JICAといえば、わたしが昔、勤務していた新宿三井ビル支店の上層階にオフイスがあって、外務省の最大の外郭団体でお得意さんだった。/いずれにせよ、女性の身で、このような悪疫瘴癘の地に、希望して赴任するとは若者の鑑です。/でもご両親、とくにお父上は心配で、心配でたまるまい。ちょうど関西のS君のように、女だてらにイラクに行ったりするのと同じ状況だから、神に祈りたくなる心境とお見受けする。幸い、割に頻繁に帰国できるようだから、精々ご帰国の節は、大叔父にあたる君は、ご馳走でもしてさしあげてください。/ブログ集を読んでちょっとと思った感想を、長々と書いてしまいました。お許しあれ。(以下略)」
先日本棚の隅から取り出してきて拾い読みした論語の子罕(しかん)第九に「後生(こうせい)畏(おそ)るべし。いずくんぞ来者(らいしゃ)の今に如(し)かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆるなきは、これまた畏(おそ)るるに足(た)らざるなり。」とある。まあ、Eちゃんの20年、30年後はどんなになっているんだろう。爺はその頃は娑婆ともおさらばしているだろうが、それまで黙って見守ってやるしかない。
10月6日(火)に北九州市門司区で爺の高校時代の同期生の集まりである「水門会(みなとかい)総会」があった。爺は欠席したが、東京からは6名が参加したらしい。午後MY氏からメールが入り、総会の写真と出席者の名簿(省略)が添付してあった。メールに曰く、「日高 様・野崎 様/関東地区からの出席者については岸本君の電話ですでにご承知のことと思いますが、出席者全員の名簿と記念写真を添付します。/例年のごとく約2時間賑やかに懇親が大いに盛り上がりました。その間数人のスピーチがありましたが、大塚君は医者の言うことや薬を信用しないで好きなように余生を送ること。ストレスが一番悪いから気をつけよと話があった。/この一年間で物故者は木村博幸君と園田和歌夫君の二人のみとのこと。/夫々、奥様からお酒が送られてきていた。/お終いは恒例の校歌斉唱(成富の指揮により)で幕を閉じた。/以上簡単ですが報告まで。」
ヤント君、どうもありがとう。
「日高節夫様/先日は、君のブログ集Ⅶ、Ⅷと、博多の甥御さんのご長女の才媛のブログ集『この風景の中で』をお送りくださってありがとうございました。/昨夜、全部読了。/どれも力作でした。君のブログについては別の日に書きますが、今日は大叔父にあたる君が、甥御さんから依頼を受けてまとめた、JICAの才媛のブログについて書くことにします。/時代錯誤の表現ですが、「いやまあ、女だてらに、ようまあアフリカくんだりまで行くものよ」というのが、第一の感想です。そして、次の感想が、「日高家の系譜を引く女性のなんと強いことよ」です。/(中略)/私は、アフリカについては全くうといのです。/1985年3月から一ヶ月間、まだ大学5年生になる前の息子が、春休みにケニアに行った滞在所見しか聞いたことがないのです。もう20年も前の旅人ですから、かなり見当はずれの感想だろうと思いますが、それほどうといのです。/でも、そのケニアの北、エチオピアの西、青ナイルと白ナイルが合流する国くらいの知識は変わらないでしょうから、「えらいところに行ったもんだ」という感想は大半の日本人の爺婆が抱く感想でしょう。/だから、第一印象は、「女子の身でえらいもんだなあ」というものでした。/息子のケニアの印象は悪くはありませんでしたが、首都のナイロビは高地にあるから涼しくて、治安の悪さにさえ気をつければ大丈夫というものでしたが、その治安の悪さというのがすごい。/タクシーに乗ったら腕時計を嵌めている腕を窓から出していけない。腕時計欲しさに、鉈で腕を斬り落とされるから、車に乗ったら腕を窓から出すなというようなものでした。/ナイロビから列車で、インド洋の海岸のモンバサという町まで行ったのですがこのときがいちばん暑さがひどくて、復路は飛行機に乗ったといってました。/そんな国の北側にあるスーダンの南の町ジュバに滞在する大和撫子は、形の変わった日本国の国威発揚になるのでしょうね。/「ワウでイタリアのNGOが運営する職業訓練センターの中の様子」という説明のある写真を見て、“Don Bosco VTC Wau”の看板が気になりました。/どこかで、このドン・ボスコという名前を見た記憶があったのです。/あれこれ頭をひねった結果、近くの私立中学・高校のサレジオ学園の構内に、この人の胸像があったということです。/このサレジオ学園という私立中高は、15年くらい前までは田園都市線の鷺沼駅から歩いて程近い(大して近くもなかったが)ところに開設されていた学校でしたが、私たちが今のところに引っ越してきた頃に、わが家から徒歩10分くらいの距離に中高の校舎を移転してきました。学園祭のオープンキャンパスの時に見に行ったら大きな胸像があって、「この学校も、やっぱりカトリックの系統か」と思ったのですが、このブログ集を読んだ直後に調べてみたら、Don Giovanni Bosco(ドン・ジョバンニ・ボスコ)1815~88 とある。イタリアのカトリック司祭で、サレジオ会の創立者。北イタリアの貧しい農家に生まれ司祭となったとある。」
先日本棚の隅から取り出してきて拾い読みした論語の子罕(しかん)第九に「後生(こうせい)畏(おそ)るべし。いずくんぞ来者(らいしゃ)の今に如(し)かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆるなきは、これまた畏(おそ)るるに足(た)らざるなり。」とある。まあ、Eちゃんの20年、30年後はどんなになっているんだろう。爺はその頃は娑婆ともおさらばしているだろうが、それまで黙って見守ってやるしかない。
ヤント君、どうもありがとう。
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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