瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[399] [398] [397] [396] [395] [394] [393] [392] [391] [390] [389]

2c3f50e5.JPG 昨日は午後からは本降りになり、とうとう徘徊は止めにした。本日もまた雨。今日で歯の治療が終る。歯医者から帰宅し、久し振りに出来るだけくまなく新聞に目を通してみた。今朝の朝日の社説を見ながら、どうした訳か。論語における孔子の管仲観を思い出して、本棚の片隅から論語を引き出し、拾い読みをしてみた。
 子(し)曰(いわ)く、管仲(かんちゅう)の器(うつわ)や小なるかな。或るひと曰く、管仲は倹(けん)なるか。曰く、管氏に三帰(さんき)あり、官事(かんじ)は摂(せっ)せず、いずくんぞ倹(けん)なるを得ん。しからばすなわち管仲は礼を知るか。曰く、邦君(ほうくん)は樹(じゅ)もて門を塞(ふさ)ぐ、管氏もまた樹もて門を塞ぐ。邦君が両君の好(よし)みをなすには反坫(はんてん)あり、管氏もまた反坫(はんてん)あり。管氏にして礼を知らば、たれか礼を知(し)らざらんや。《孔子が言う。「管仲の人物は小さな」。ある人が訊ねた。「管仲が倹約家であったからですか?」。答えて、「管仲の家では三帰の高台を作ったし、仕事はそれぞれ専門の係りにやらせておった。とても倹約家などとは申せん。」重ねて訊ねた。「それでは管仲が法の遵法者であったからですか?」答えて、「樹で門の目隠しをすることは諸侯のみに許されていることなのだが、管中の家でも樹で門を塞いだ。また、諸侯どうしの親睦の会合には献酬の杯を置く反坫(はんてん)という台を用いるのがしきたりなのだが、(大夫でありながら)管仲の家出も反坫を設けていた。このような振舞いがありながら、礼の遵法者というのなら、世の中にれいを知らぬ者などいないだろう。」》 (論語 八佾第三より)
c0c3c73b.JPG
ac4ba215.JPG 子貢(しこう)曰く、管仲(かんちゅう)は非仁なる者か。桓公(かんこう)、公子糾(こうしきゅう)を殺したるに、死するあたわず。またこれに相(しょう)たり。子(し)曰(いわ)く、管仲は桓公を相(しょう)とし、諸侯に覇(は)たらしめ、天下を一匡(いっきょう)す。民、今に到(いた)るまで、その賜(し)を受く。管仲微(なか)りせば、われそれ髪(はつ)を被(こうむ)り、衽(えり)を左にせん。あに匹夫(ひっぷ)匹婦(ひっぷ)の諒(まこと)をなし、みずから溝瀆(こうとく)に経(くび)れてこれを知るなきがごとくせんや。《子貢が言うに、「管仲は仁者とは申せませんね。桓公が(兄弟の)公子糾(きゅう)を殺した時、(糾の傅役でありながら)死ぬことも出来ず、そのうえ(桓公に仕えて)大臣にまでなりました。」孔子が言う。「管仲は桓公を補佐して諸侯の覇者たらしめ、周の天子の下に天下は統一されることになった。中国の人民は今に至るまでそのお蔭を蒙っているのである。もし管仲がいなかったら、我々は〔今頃蕃人の侵略を受けて〕ひょっとしたら髪も結わず、左前に着物を着ることになっていたかもしれないのだ。世間の男女が小さな義理立てのために田圃の溝で頸をくくり、誰からも認められずに終るのなどとはわけがちがうのである。」》 (論語 憲問第十四より)

 

この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[EugenePum 04/29]
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
[松村育将 11/09]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/