瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
朝食後、国際通りから金美館通りを西進、金杉通りに出る。金杉通りを南下、言問い通りを横断し両大師橋の入口から、昭和通りに出ると、かっぱ橋本通り(商店街)を東進する。真正面に建設中の東京スカイツリーが建ちはだかっているように見える。国際通りから浅草寺境内に入ると、あちこちに明日から始まる菊花展の葭簾(よしず)張りの展示場が設けられている。
高校時代に習った晋の陶潜の詩に「菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る」というのがあったけ。諳(そら)んじて見ようと思ってもこの2句の他は遥か忘却の彼方。試しに「帰去来兮(かえりなんいざ) 田園将に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ帰らざる…」これもここまで。わが記憶力の貧弱さを嘆きつつ、隅田公園を抜けて帰宅した。8573歩、5.5kmの徘徊であった。
昼食後、本棚の隅から岩波文庫の陶淵明全集(上・下)2冊を取り出してきて「飲酒二十首」の中に「菊を採る東籬の下云々」の詩を見つけ出した。
飲酒其五 結廬在人境/而無車馬喧/問君何能爾/心遠地自偏/採菊東籬下/悠然見南山/山氣日夕佳/飛鳥相與還/此中有眞意/欲辨已忘言《読み:廬(いおり)を結んで人境(じんきょう)に在り/而(しか)も車馬(しゃば)の喧(かまびす)しき無し/君(きみ)に問(と)ふ何ぞ能(よ)く爾(しか)るやと/心(こころ)遠(とお)ければ地(ち)自(おの)ずから偏(へん)なり/菊(きく)を採(と)る東籬(とうり)の下(もと)/悠然(ゆうぜん)として南山(なんざん)を見る/山氣(さんき)日夕(にっせき)に佳(よ)し/飛鳥(ひちょう)相(あい)與(とも)に還(かえ)る/此(こ)の中に眞意(しんい)有(あ)り/辨(べん)ぜんと欲(ほっ)して已(すで)に言(げん)を忘る》
訳:「人里に庵を構えているが、役人どもの車馬の音に煩わされることはない。「どうしてそんなことがあり得るのだ」とおたずねか。なあに、心が世俗から遠く離れているため、ここも自然と僻地に変わってしまったのだ。/東側の垣根のもとに咲いている菊の花を手折りつつ、ゆったりとした気持ちで、ふと頭をもたげると、南方はるかに廬山のゆったりとした姿が目に入る。山のたたずまいは夕方が特別すばらしく、鳥たちが連れ立って山のねぐらに帰ってゆく。この自然のなかにこそ、人間のありうべき真の姿があるように思われる。しかし、それを説明しようとしたとたん、言葉などもうわすれてしまった。」
陶淵明(365~427年)の作品の中で最も有名なものの一つである。煩わしい役人生活を辞め、自然を相手に悠々自適の生活を送る。別に人里近くにあっても、心持次第では、僻遠の地にあるような心境になれるのだ。この悠々たる境地に遊ぶことができたならば、言葉などどうでもよい。そんな気持ちが伝わってくる。陶潜はこよなく菊を愛(め)で、「飲酒其七」でも菊を主題に詠っている。他に「九日閑居」なども菊を扱っている。
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目高 拙痴无
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92
誕生日:
1932/02/04
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