瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
飲酒其五 結廬在人境/而無車馬喧/問君何能爾/心遠地自偏/採菊東籬下/悠然見南山/山氣日夕佳/飛鳥相與還/此中有眞意/欲辨已忘言《読み:廬(いおり)を結んで人境(じんきょう)に在り/而(しか)も車馬(しゃば)の喧(かまびす)しき無し/君(きみ)に問(と)ふ何ぞ能(よ)く爾(しか)るやと/心(こころ)遠(とお)ければ地(ち)自(おの)ずから偏(へん)なり/菊(きく)を採(と)る東籬(とうり)の下(もと)/悠然(ゆうぜん)として南山(なんざん)を見る/山氣(さんき)日夕(にっせき)に佳(よ)し/飛鳥(ひちょう)相(あい)與(とも)に還(かえ)る/此(こ)の中に眞意(しんい)有(あ)り/辨(べん)ぜんと欲(ほっ)して已(すで)に言(げん)を忘る》
訳:「人里に庵を構えているが、役人どもの車馬の音に煩わされることはない。「どうしてそんなことがあり得るのだ」とおたずねか。なあに、心が世俗から遠く離れているため、ここも自然と僻地に変わってしまったのだ。/東側の垣根のもとに咲いている菊の花を手折りつつ、ゆったりとした気持ちで、ふと頭をもたげると、南方はるかに廬山のゆったりとした姿が目に入る。山のたたずまいは夕方が特別すばらしく、鳥たちが連れ立って山のねぐらに帰ってゆく。この自然のなかにこそ、人間のありうべき真の姿があるように思われる。しかし、それを説明しようとしたとたん、言葉などもうわすれてしまった。」
陶淵明(365~427年)の作品の中で最も有名なものの一つである。煩わしい役人生活を辞め、自然を相手に悠々自適の生活を送る。別に人里近くにあっても、心持次第では、僻遠の地にあるような心境になれるのだ。この悠々たる境地に遊ぶことができたならば、言葉などどうでもよい。そんな気持ちが伝わってくる。陶潜はこよなく菊を愛(め)で、「飲酒其七」でも菊を主題に詠っている。他に「九日閑居」なども菊を扱っている。
この記事にコメントする
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
カレンダー
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
最新コメント
[enken 02/23]
[中村東樹 02/04]
[m、m 02/04]
[爺の姪 01/13]
[レンマ学(メタ数学) 01/02]
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター