瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 朝食後、小松通りから金美館通りを通って根岸3丁目に出る。人々はみんな忙しそうに爺を追い越して、せかせかと先を急いでいる。まあ、いいだろう跨者不行(かしゃふこう=大またで歩くものは遠くへは行けない)というではないか。
 日暮里方向に北上すると荒川区との境にある不動院の境内に御行の松がある。初代の御行の松は、「江戸名所図会」や「広重の錦絵」にも描かれた有名な松であったで、大正15年(昭和元年)に天然記念物の指定を受けが、昭和3年に枯れてしまい、昭和5年に伐採されたそうで、正岡子規の句碑がそれを物語っている。今ある松は3代目とか…  もと来た道を引き返し、言問通りを西に進んで帰宅する。8940歩、5.8㎞を記録す。
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  帰宅後、徘徊途上で突然思い出した4字熟語「跨者不行」の出典を調べてみた。「企者(きしゃ)は立たず、跨者(かしゃ)は行かず。/自ら見(あら)わす者は明らかならず、自ら是(ぜ)とする者は彰(あきら)かならず。/自ら伐(き)る者は功(こう)無く、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。/其の道に在るや、餘食贅行(よしょくぜいこう)という。/物(もの)之(これ)を悪(にく)むことあり。/故に有道(ゆうどう)の者は處(お)らず。《訳:つま先立ちする者は、長く立っていられない。大股で歩く者は、長くは歩けない。/自分を見せびらかせる者は、他人からは認められない。/自分を正しいと正当化する者は、正しさを認めてもらえない。自分の功を自慢する者は、本当の功労者ではなく、自分の才能を誇りにする者は、その才能も長つづきしない。/道の立場からすると、これらの行ないは、余計な行ないという。/万物は、これを斥けるであろう。/故に、道を体得した者はこんなことはしない。》(老子第二十四)
 まもなく、秋の叙勲が行われる。日本では戦後しばらくの間、文化勲章を除いて生きてるうちに勲章を贈ることが禁じられていた。そのため勲章は死後に授与されるものだったのだが、昭和39年から生存者に対する叙勲が復活した。当時まだ40代だった中曽根康弘は、生存者への叙勲には反対の姿勢をとっていた。「戦前の勲章の復活などは、いまの憲法にふさわしくない。第一、いまどき勲章をもらったって、いつ、どんな服につけるのかね」と皮肉たっぷりだった。この風見鶏先生が80歳を目前にして、大勲位菊花大綬賞という上から2番目に偉い勲章をお貰いになっている。人間の名誉欲ほど浅ましきものはない。国会議員に限らず、大学の先生方勲章欲しさにその椅子にしがみ付いていらっしゃる方の多いことよ。
9ccaf313.JPG 叙勲者のほとんどが元議員、元公務員などというこの制度は、春秋の年2回もあるのだ、特に特典は無いということだが、これだけの数の勲章の費用はどこから出るのじゃろう? 受章者は省庁からの推薦がほとんどだということなので、お手盛りで天下りの後は勲章を順番でもらうと言う事なのだろうか? 実に身勝手でそれとは無縁な瘋癲爺にとっては、実にもったいない話ではあると存ずるが如何。


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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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