瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
朝食後、東武浅草駅の北口前にある理髪店で散髪。吾妻橋を渡り、淺草通りを西進、業平橋東から秋の陽光に照らされた東京スカイツリーのカメラに収める。押上→ 桜橋通り→ 曳舟通り→ 東武曳舟駅→ 明治通り→ 白鬚橋→ 台東区川の隅田川遊歩道を通って帰宅する。本日の記録11039歩、7.1km。
此処のところ、こと参議院補選については民主党の勢いは留まるところを知らないようである。民主党よ「驕れるもの久しからず」を胸に刻めよ。「歳寒くして松柏(しょうはく)の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る」と言うではないか。人は苦難に面して志操の善し悪しが現れるものなのである。
唐宋八大家の一人で宋代では蘇軾(そしょく、1036~1101年)と並ぶ文章家で政治家あった欧陽修(おうようしゅう、1007~72年)が38歳で天子に諫言(かんげん)忠告することを職務とする知諫院(ちかんいん)にあった時の作「朋黨論(ほうとうろん)」に曰く、『臣聞朋黨之説自古有之惟幸人君辨其君子小人而已大凡君子與君子以同道爲朋小人與小人以同利爲朋此自然之理也然臣謂小人無朋惟君子則有之其故何哉小人所好者禄利也所貪者財貨也當其同利之時暫相黨引以爲朋者僞也及其見利而爭先或利盡而交疎則反相賊害雖其兄弟親戚不能相保故臣謂小人無朋其暫爲朋者僞也君子則不然所守者道義所行者忠信所惜者名節以之修身則同道而相益以之事國則同心而共濟終始如一此君子之朋也故爲人君者但當退小人之僞朋用君子之眞朋則天下治矣《私はこのように聞いている。朋党については古くから言われて来たことであるが、これは人の上に立つものが君子と小人の違いを見極められるかどうかに懸かっている。そもそも君子と君子は道を同じくすべく朋党となり、小人と小人は利益を同じくすべく朋党となるが、これが自然の道理なのである。しかし私の考えでは小人に朋党はなく、ただ君子にのみ朋党はある。なぜかと申すに、小人が好むものは利録(りろく)であり、求めるものは財貨である。小人どうし利益を同じくするときには、しばらく助け合って朋党となるが、これは見せかけのものにすぎない。彼等は利を見ては先を争い、利がなくなり情が薄くなれば、却って争い合うばかりか、兄弟や親戚ですら助け合えないのである。だから私は,小人に朋党はなく、あたかも朋党のように振る舞のは、見せかけのものだと申し上げるのである。しかし君子は違う。君子の守るものは道義であり、行うものは忠信であり、惜しむものは名節なのである。これによって身を修めれば、道を同じくして助け合い、これによって国に当たれば、心を同じくして助け合い、始めから終わりまで、まるで一人の如く振る舞うのである。これが君子の朋党というものである。故に、人の上に立つものが、ただ小人のかりそめの朋党を退け、君子のまことの朋党を用いることさえできるならば、天下は治まるのである。(中国古典文学大系 平凡社 による》』
この1000年近くの昔の考えは今にも通じるものがあって、今の日本の政党を形づくる人々にも是非考えてもらいたいものである。
なお、欧陽修は詩人でもあり、多くの詩を残しているが、今の季節に因んで「秋懐」を掲げよう。
此処のところ、こと参議院補選については民主党の勢いは留まるところを知らないようである。民主党よ「驕れるもの久しからず」を胸に刻めよ。「歳寒くして松柏(しょうはく)の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る」と言うではないか。人は苦難に面して志操の善し悪しが現れるものなのである。
唐宋八大家の一人で宋代では蘇軾(そしょく、1036~1101年)と並ぶ文章家で政治家あった欧陽修(おうようしゅう、1007~72年)が38歳で天子に諫言(かんげん)忠告することを職務とする知諫院(ちかんいん)にあった時の作「朋黨論(ほうとうろん)」に曰く、『臣聞朋黨之説自古有之惟幸人君辨其君子小人而已大凡君子與君子以同道爲朋小人與小人以同利爲朋此自然之理也然臣謂小人無朋惟君子則有之其故何哉小人所好者禄利也所貪者財貨也當其同利之時暫相黨引以爲朋者僞也及其見利而爭先或利盡而交疎則反相賊害雖其兄弟親戚不能相保故臣謂小人無朋其暫爲朋者僞也君子則不然所守者道義所行者忠信所惜者名節以之修身則同道而相益以之事國則同心而共濟終始如一此君子之朋也故爲人君者但當退小人之僞朋用君子之眞朋則天下治矣《私はこのように聞いている。朋党については古くから言われて来たことであるが、これは人の上に立つものが君子と小人の違いを見極められるかどうかに懸かっている。そもそも君子と君子は道を同じくすべく朋党となり、小人と小人は利益を同じくすべく朋党となるが、これが自然の道理なのである。しかし私の考えでは小人に朋党はなく、ただ君子にのみ朋党はある。なぜかと申すに、小人が好むものは利録(りろく)であり、求めるものは財貨である。小人どうし利益を同じくするときには、しばらく助け合って朋党となるが、これは見せかけのものにすぎない。彼等は利を見ては先を争い、利がなくなり情が薄くなれば、却って争い合うばかりか、兄弟や親戚ですら助け合えないのである。だから私は,小人に朋党はなく、あたかも朋党のように振る舞のは、見せかけのものだと申し上げるのである。しかし君子は違う。君子の守るものは道義であり、行うものは忠信であり、惜しむものは名節なのである。これによって身を修めれば、道を同じくして助け合い、これによって国に当たれば、心を同じくして助け合い、始めから終わりまで、まるで一人の如く振る舞うのである。これが君子の朋党というものである。故に、人の上に立つものが、ただ小人のかりそめの朋党を退け、君子のまことの朋党を用いることさえできるならば、天下は治まるのである。(中国古典文学大系 平凡社 による》』
この1000年近くの昔の考えは今にも通じるものがあって、今の日本の政党を形づくる人々にも是非考えてもらいたいものである。
なお、欧陽修は詩人でもあり、多くの詩を残しているが、今の季節に因んで「秋懐」を掲げよう。
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プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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