瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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3192ab27.jpg 桜橋を渡ると、墨堤通りから東白鬚公園を抜けて千住曙町イニシアのテラスに出る。眼前に旧綾瀬川の出口鐘ヶ淵近辺の風景が開ける。墨水はこの辺りで大きく西から東への流れを北から南の流れに変えて大きく折れ曲がる。雨こそ降らぬが、空は雲に覆われていて、川風が肌に寒い。幕末の漢詩人の「墨水秋夕」という詩を見たことがある。黄ばんだ葦に老往くわが身を写したような詩であったような気がする。作者も詩の一節すら思い出せない。
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ab882d82.jpg 千住汐入大橋を渡り、昨日と同じ道を歩いて帰路につく。今年は何だか足早に秋が過ぎ去っていくようである。夏場には全く見られなくなっていたが、白鬚橋近くでは、早やユリカモメの群れが、川辺で寒さに体を膨らませている。今日は土曜日――山谷堀水門の広場でS家のダブルKちゃん親子がキャッチボールをしていた。12270歩、7.9kmの徘徊であった。

63e58127.JPG 墨水秋夕(ぼくすいしゅうせき)/ <安積艮齋(あさかごんさい)>//霜落ちて滄江(そうこう)秋水清し/酔餘(すいよ)杖に扶(たす)けられて吟情(ぎんじょう)を寄す/黄蘆(おうろ)半ば老いて風に力無く/白雁高く飛んで 月に聲有り/松下の燈光 孤廟(こびょう)静かなり/煙中(えんちゅう)の人語(じんご)一船(いっせん)行く/雲山(うんざん)未だ遂げず平生(へいぜい)の志/此の處聊(いささ)か應(まさ)に 我が纓(えい)を濯(あろ)うべし
「霜が降りて、青く広い隅田川の秋の水は清く澄んでおり、そこに酒酔い気分で杖を手にでかけると、詩情がわいてきた。/黄ばんだ芦は半ば老いているので、吹く風にもなんとなく力が無く、白雁が空高く飛んでいくと、月が何か語りかけているようである。/松並木のもとには灯火の光がほのかに見え、孤廟が静かなたたずまいを見せ、靄の立ちこめる中に人の声が響いていて一船の行くのがわかる/(こうして澄んだ光景を見るにつけ)平生雲山深い所で清廉に生きたいという思いもまだ遂げることもできないので、せめてこの隅田川の水に自分の汚れている冠の紐(俗世で汚れた心)でも濯(あら)い清めたいものである。」
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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