瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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d76169cc.jpg 今日は日本橋は寶田神社の恵比寿講で、日本橋本町では昨日からべったら市が開かれているという。朝食後、江戸通りを南下、何時もだと両国橋を渡るところなのだが、べったら市を見てみようと小伝馬町に出た。江戸通りから南東に伸びる人形町通りに入って、2つ目の路地が寶田神社の参道となっている。参道と言ったって神社自体がビルの間に納まっている感じで、拝殿の前は道路で、参詣者は道路から手を合わせている。
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064f2dd2.jpg 「べったら市の高張ばかり更けしかな」 長谷川かな女(1887~1969年) 町内には「高張提灯」が軒を埋めて、麹の匂いが町に充満する。この祭りが終われば晩秋から冬に近づくのである。作者のかな女は日本橋の生まれである。東京日本橋の大伝馬町から小伝馬町への通りで開かれる江戸の風物詩「べったら市」は「べったら(干し大根を麹で浅漬けしたもの)」を売る店や多くの夜店が出て、大勢の人出で賑わう。『若者が浅漬大根(べったら)を混雑を利用し、参詣の婦人に「べったらだー べったらだー」と呼びながら着物の袖につけ婦人たちをからかったことから、べったらの呼名になった』(べったら市保存会 パンプより)という。「べったら市」は宝田神社・恵比寿講(20日)の前夜に開かれる市なのだそうだ。べったら漬を買った「にいたか屋」という店で、若い女子店員が「小父さん、写真撮ってあげる」と、爺の手からカメラを受け取って、シャッターを押してくれた。宝田神社は、徳川家康が入府の時三河から随行してきた馬込勘解由が、徳川家繁榮祈念の恵比寿様を賜り、慶長11(1606) 年ここに御神体として安置したのが由来である。宝田恵比寿神は商売繁盛、家族繁榮、火防の守護神として今でも多くの崇敬者を集めているという。
 昭和通りを横切って、三越前から東京メトロ銀座線に乗って帰宅した。徘徊記録は8971歩、5.8㎞であった。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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