瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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692e8fd1.jpg 朝食後、東白鬚公園を抜けて千住汐入大橋をわたり、荒川区・台東区の隅田川沿いの遊歩道を通って帰宅した。天気は好いし、体調もまあまあで、ちょっと足を伸ばしたので、12797歩、8.3㎞の徘徊となった。

4f44669b.JPG 隅田川の名前は地域によって、時代によってそれぞれに名前がつけられ呼ばれていたようだ。細かく言うときりがないくらい呼び方があったようであるが、要約すると古くは「宮古川」「住田河」、あるいは「澄」「墨」「角」の字が当てられたりした。江戸時代ころには吾妻橋近辺までの下流は「大川」、浅草近辺は「浅草川」、「隅田川」、上流は「荒川」「宮古川」というのが大まかな経過のようである。明治43年の水害を機に荒川放水路が造られ、後昭和40年放水路の方を荒川、岩淵水門から下流東京湾までを隅田川という名称にしたものである。永井荷風の代表作に「濹東綺譚」があるが、墨東は隅田川中流の東岸地帯をさし、綺譚は艶(あや)のある面白い話という意味である。荷風自身が「向島寺島町に在る遊里の見聞記をつくって、わたしは之を濹東綺譚と命名した。濹の字は林述斉が隅田川を言現すために濫(みだり)に作ったもので、その詩集には濹上漁唱と題せられたものがある。」というように「濹」は永井荷風が、江戸時代後期の儒学者で漢詩人である林述斎(はやしじゅっさい、1798~1841年)の造字して、「濹上漁唱」という書物を著したものを発掘して使った漢字で、隅田川(墨田川)を指しているというのである。

98daf632.JPG 今朝の朝日新聞4面に「小沢流徹底」なる記事が出ていた。彼はテレビやラジオにはあまり出演しないしむしろ寡黙な人の印象を受け、どだい如何なる人物なのか釈然としないのである。小沢一郎に対する評価は極端に分かれる。
肯定する人たちは、しっかりとした「国家観」を持っている唯一の政治家としてそれに期待を寄せる。この点については小沢を否定する人たちの多くも認めるところであろう。さらに誠実な人柄に感銘を覚えるというひともいれば、他方で小沢を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌う人々も多い。その人たちは彼の強引な手法、その人の思想による好悪の感情が露(あらわ)で取り付くしまがない態度を指摘する。また自分勝手で約束を平然と反故(ほご)にする身勝手な人間であるとも言う。
自民党の中枢にいながら、政治家としての頂点、総理大臣の座を手中にしながらの決意はまさしく己の栄華よりも日本の改革を優先した判断であるとも取れる。小沢は自民党政権の中枢にいながら自民党政治の欠陥を読みきっていたのだろうか? 今になっても、小沢の経歴の中に自民党の中枢にいたことをあげつらう人がいるが、政治家として、また本当に有能な人間が自然とその組織の中で有用な地位についた事に何故不審を抱くのだろうか。自民党の中で何も出来ない優柔不断の大人しい人間が国家の変革を目指せるとでも言いたいのだろうか。能力のある小沢だからこそ、何処でも力量を発揮し、かつ自民党を飛び出ることも出来たのではないだろうか?
 まあ、いずれにしても、今の政治家の中では一番の遣り手で、彼なくしては今の民主党はなかったことは確かである。
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