瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
因みに、姓は違っても名は同じく甚内と称した高名高い賊が江戸市中を徘徊した記録が残っている。日本、支那、朝鮮に輩出した巨盗大賊の伝記『緑林黒白』に曰く、「庄司甚内というは同じ盗賊ながら日本を回国し、孝子孝女を探し、堂宮の廃れたるを起こし、剣鎗に一流を極め、忍術に妙を得、力量三十人に倍し、日に四十里を歩し、昼夜ねぶらざるに倦む事なし。/飛沢甚内というは同列の盗賊にして、剣術、柔術は不鍛錬なれど、早業に一流を極め、幅十間の荒沢を飛び越える事は鳥獣よりも身軽く、ゆえに自ら飛沢と号す。/勾坂甚内の生長は…(以下、前述事項と重複のため略)」 庄司甚内(1575~1644年)は詳細は定かではない(父の又左衛門は北条家臣であったという)が、1617(元和3)年、自ら発起人となって幕府に遊郭の設置を要望し、幕府の許可が下りたという。自らは江戸日本橋に遊郭を開設し、一代で財を成したという。1644(正保元)年に70歳で没したが、その後も「甚右衛門」の名跡は庄司家に代々受け継がれていったらしい。飛沢甚内は元は小田原浪人で江戸で盗賊宿を営んでいたが、後に盗品があれば届け出ることを条件に幕府より古着の専売権を得た。その仲間たちも古着商を営み、その一帯は日本橋鳶沢町(富沢町)となったのだという。
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目高 拙痴无
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93
誕生日:
1932/02/04
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sechin@nethome.ne.jp です。
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