瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 1027日のブログに続いて、「三無」の1つ「服のない喪」の基になった、詩経の『谷風』を取り上げます。

 詩経邶風(はいふう)にある「谷風(こくふう)」は、夫に棄てられた女の歌だといいます。詩序に、「谷風は夫婦の道を失ふを刺(そし)るなり。衛人其の上に化し、新昬(しんこん)に淫して、其の旧室を棄つ。夫婦離絶し、国俗傷敗す。」とあり、怒り、怨み、嫉みを訴えた民歌でしょう。

 三不去の1つである「前には貧賤にして後に富貴なるは去らず」に該当するにもかかわらず、夫は若い女の色に惑うて先婦を逐い出したと思われます。また、この詩は、ある詩人が棄婦の悲怨の心情を、棄婦に代わって叙べたものであるともいわれています。

 

 谷風

習習谷風、  習習たる谷風、

以陰以雨。  以て陰(くも)り以て雨ふる。

黽勉同心、  黽勉(びんべん)として心を同じくして、

不宜有怒。  怒ること有る宜からず。

采葑采菲、  葑(ほう)を采り菲を采るに、

無以下體。  下體を以てすること無かれ。

德音莫違、  德音違うこと莫くば、

及爾同死。  爾と死を同じくせん。

 

行道遲遲、  道を行くこと遲遲たり、

中心有違。  中心違(そむ)くこと有り。

不遠伊邇、  遠からずして伊(こ)れ邇し、

薄送我畿。  薄(しばら)く我を畿に送る。

誰謂荼苦、  誰か荼(にがな)を苦しと謂う、

其甘如薺。  其の甘きこと薺(なずな)の如し。
宴爾新昏、  爾の新昬〔昏〕を宴(たの)しみ、
如兄如弟。  兄の如く弟の如し。

 

涇以渭濁、  涇(けい)は渭を以て濁れるも、

湜湜其沚。  湜湜(しょくしょく)たる其の沚(なぎさ)

宴爾新昏、  爾の新昬〔昏〕を宴しみ、

不我屑以。  我を屑しとし以(とも)にせず。

毋逝我梁、  我が梁(やな)に逝くこと毋かれ、

毋發我笱。  我が笱(うえ)を發(ひら)くこと毋かれ。

我躬不  我が躬すら(い)れられず、

遑恤我後。  我が後を恤うるに遑(いとま)あらんや。

 

就其深矣、  其の深きに就いて、

方之舟之。  之に方(いかだ)し之に舟す。

就其淺矣、  其の淺きに就いて、

泳之游之。  之を泳(くぐ)り之を游(およ)ぐ。

何有何亡、  何か有り何か亡き、

黽勉求之。  黽勉として之を求む。

凡民有喪、  凡そ民喪有れば、

匍匐救之。  匍匐して之を救う。

 

不我能慉、  我を能く慉(やしな)<畜と同じ>わず、

反以我為讎。 反って我を以て讎とす。

既阻我德、  に我が德を阻(しりぞ)け、

賈用不售。  賈(あきもの)用って售(う)られざるがごとし。

昔育恐育鞫、 昔育(やしな)いするに育い鞠(きわ)まり、

及爾顛覆。  爾と顚覆せんことを恐る。

既生既育、  に生きに育えば、

比予于毒。  予を毒に比す。

 

我有旨蓄、  我に旨き蓄(たくわえ)有り、

亦以御冬。  亦以て冬を御(ふせ)がん。

宴爾新昬、  爾の新昬〔昏〕を宴(たの)しみ、

以我御窮。  我を以て窮まれるに御(あ)たらしむ。

有洸有潰、  洸たる有り潰(かい)たる有り、

既詒我肄。  に我が肄(い)を詒(のこ)す。

不念昔者、  昔、伊(こ)れ余が來り

伊余來  (いこ)いしことを念わざらん。

 

 訳 吹き止まぬ烈しい風/空は曇り雨も降る/
   心合わせて働いて/
今さら怒ることはない/
   蕪(かぶら)や大根とるのにも/根や茎だけではあるまいに/

優しい言葉を違わねば/貴方といっしょしぬまでも

※ 大根をとるのは根や茎ばかりでなく葉も捨てたものでは
    ない

 

   去られて行けばとぼとぼと/心惑うて行きかねる/
   遠く送ってくれずとも/
せめて門まで遅れかし/
   この苦しみに較べれば/苦い茶(にがな)も薺(なずな)の甘さ/

新妻ばかりを宴(たの)しんで/兄弟のような睦まじさ

 

   涇(けい)は渭(い)に合えば濁り川/
   それでも沚(なぎさ)は澄んでいる/新妻だけを宴んで/

   いまは私に眼もくれぬ/私の梁(やな)に近づくな/
   私の筍(かご)を発(あば)くなと/
跡を気づかうひまもない/
   今はわが身さえ閲(い)れられぬ

   ※ 当時の諺に「涇水は渭水に合流すれば、その濁りは目立
    つ」とある。

   ※ 私の梁……発(あは)くな: 詩中に時々見える文句で、
    自分のこれまで苦心して持ってきた家を、新しい女が入っ
    て来て、勝手にするのを嘆くことば。

 

   渉(わた)りに水が深ければ/筏を浮かべ舟に乗り/
   渉りに水の浅ければ、/
くぐり游(およ)ぐもなんのその/
   有るもの無いもの気をくばり/辛苦を厭わず求めきて/

ひとに不幸のあるときは/つい駆け出しても手伝った

※ ひとに不幸の……手伝った: 近所の不幸に駆け出して手
    伝うのも、夫の家を大事に思えばこそ

 

   今さら私をいとしまず/いっそ仇を見るように/
   心づくしを振り捨てて/
顧みもせぬ棚ざらし/
   苦しい中に二人して/ようよう育てて来たものが/

   どうやら伸びた今になり/邪魔な私はどくのよう

   うまい漬菜もたくわえて/冬の用意もしていたに/
   新妻ばかりを宴しんで/
私は苦労を見るばかり/
   怒ったりまた罵ったり/
こうまで私を苦しめる/

   あれほど私をいとしんだ/昔の事も忘れたか
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