瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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()を詠める歌4
巻2-0207: 天飛ぶや軽の道は我妹子が里にしあれば.......(長歌)
標題:柿本朝臣人麿妻死之後泣血哀慟作歌二首并短哥
標訓:柿本朝臣人麿の妻死りし後に泣()()ち哀慟(かなし)みて作れる歌二首并せて短歌
原文:天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不己行者 人目乎多見 真根久往者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣渕之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使乃言者 梓弓 聲尓聞而(一云、聲耳聞而) 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴(或本、有謂之名耳聞而有不得者句)
            万葉集 巻2-0207
          作者:柿本人麻呂
よみ:天飛ぶや 軽の道は 吾妹児の 里にしあれば ねもころに 見まく欲()しけど 止()まず行かば 人目を多(おほ)み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ憑(たの)みて 玉かぎる 磐(いは)(かき)(ふち)の 隠()りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠(くもかく)るごと 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉(もみちは)の 過ぎて去()にきと 玉梓(たまずさ)の 使(つかひ)の言へば 梓(あずさ)(ゆみ) 音に聞きて (一は云はく、 音のみ聞きて) 言はむ術(すべ) ()むすべ知らに 音のみを 聞きてあり得()ねば 吾が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 情(こころ)もありやと 吾妹子が 止()まず出で見し 軽の市に 吾が立ち聞けば 玉(たま)(たすき) 畝傍の山に 喧()く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行く人も ひとりだに 似てし去()かねば 術(すべ)を無み 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる (或る本に、「名のみを聞きてありえねば」といへる句あり)

意訳:空を飛ぶのか、雁の軽の路は私の愛しい貴女の住んでいた豊浦寺へ続くものと思うと、ねんごろに逢いに行きたいのですが、ひっきりなしに行くと人の目を引くし、たびたび行くと人が気づいてしまうだろう。さね葛の根が絡みあっているように後にも逢えると、大船のように思い後に逢うことを信頼していて、美しい玉となって輝く玉石の磐垣の淵に隠れるように貴女に恋しているのに、空を渡る日が暮れていくように、夜照る月が雲に隠れるように、沖の藻が浪に靡き寄せるように私に靡いた貴女は、黄葉のように過ぎて去って行った玉梓の使いが言うので、巫女が神寄せする梓弓の音のように聞いて、答えるべき言葉も為すべきことも思いもつかず、使いが言う言葉の音だけ聞いて、その内容が理解できずにいると、「貴方の恋するあの人へ千回の想いをを一回にするような悼む気持ちはありますか」と。私の愛しい貴女が儀式がある毎にたびたび出かけていって見ていた軽の市の辻に私が立ち、辻占として人の言葉を聞くと、美しい玉の襷をかけるような畝傍の山に普段は鳴き騒ぐ鳥の声も聞こえず、美しい玉の鉾を立てる道を行く人も、誰一人、鳥の行いに似て立ち去らない。貴女の行方を占う辻占も出来ずにどうしようもなく、貴女の名前を口に出して呼んで、魂を呼び戻す袖を振りました。
◎この歌は、柿本朝臣人麿の軽(かる)の地にいた妻が亡くなった際に、人麿(人麻呂)が哀しんで詠んだ挽歌です。
 この長歌と、長歌に付けられた反歌が二首の非常に長い歌となっていますが、それだけに人麿がどれほどこの軽の妻の死を哀しんだことがうかがえます。
 題詞には「泣血(いさ)ち」と、血の涙を流して哀しんだともありますが、けっして大げさな表現ではなかったように感じられます。
「軽(かる)」というのは現在の奈良県にある橿原神宮駅の東、剣池の南西に「法輪寺(軽寺跡)」や「応神天皇軽島豊明宮跡」などがあるので、その周辺に人々の集まる市がたっていたものと思われ、人麿の隠妻もこのあたりに住んでいたのでしょう。
 歌の内容からも分かるようにこの妻はなんらかの理由で人に知られないように持つ「隠妻(こもりづま)」だったらしく、人に知られないようにと妻の家に頻繁に通わずにいた内に亡くなったしまったようですね。
 そんな「亡くなった妻にもう一度逢いたいと軽の市に立ってはみたけれど、畝傍の山に鳴く鳥の声も聞こえず妻によく似た人すら通らないので、妻の名を呼んで袖を振ったことです。」と、なんとも切ない思いが切実な言葉となって詠われています。
 「袖を振る」とはこの時代の術式のようなもので、「おいでおいで」と袖を振って恋しい人の魂(生者死者にかかわらず)を自分のほうに引き寄せる行為のことです。なんだか、隠妻の名を呼びながら涙を流して袖を振る人麿の姿が、目に浮かんでくるような哀しい一首です。
巻2-0220: 玉藻よし讃岐の国は国からか見れども飽かぬ.......(長歌)
標題:讃岐狭峯嶋、視石中死人、柿本朝臣人麿作歌一首并短哥
標訓:讃岐の狭岑(さみねの)(しま)に、石(いは)の中に死(みまか)れる人を視て、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并せて短歌
原文:玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 船浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行船乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭峯之嶋乃 荒磯面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 往而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 鬱把久 待加戀良武 愛伎妻等者
             万葉集 巻2-0220
           作者:柿本人麻呂
よみ:玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ 神柄か ここだ貴き 天地 日月とともに 満()りゆかむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来る 中の水門(みなと)ゆ 船浮けて わが漕来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺()見れば 白波さわく 鯨魚(いさな)取り 海を恐(かしこ)み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯(ありそ)()に いほりてみれば 波の音の 繁き辺べを 敷栲の 枕になして 荒床に 自(ころ)()す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは

意訳:玉のような藻も美しい讃岐の国は、お国柄か何度見ても飽きることがなく、神代の飯依比古の時代からの神柄かなんと貴いことよ。天と地と日と月と共に満ち足りていく伊予の二名の飯依比古の神の御面と云い伝えて来た。その伝え来る中の那珂の湊から船を浮かべて我々が漕ぎ来ると、時ならぬ風が雲の中から吹き付けるので、沖を見るとうねり浪が立ち、岸辺を見ると白波が騒いでいる。大きな魚を取るような広い海を恐み、航行する船の梶を引き上げて仕舞い、あちらこちらに島はたくさんあるのだけれど、名の麗しい狭岑の島の荒磯に停泊してみると、波の音の騒がしい浜辺を夜寝る寝床として荒々しい床に伏している貴方の家を知っているのなら行って告げましょう。妻がここでの貴方の様子を知っていたらここに来て荒磯に伏す理由を聞くでしょう。玉の鉾を立てる立派な道筋すら知らず、おぼろげに貴方を待って恋しく思っているでしょう。貴方の愛しい妻たちは。
◎この歌は柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)が讃岐の国の狭岑島(現在の香川県坂出市)を訪れたときに、岸の岩場に倒れていた行路死者を見て悼んで詠んだ挽歌です。
 歌の前半は讃岐の国を誉める土地讃めの内容となっており、そんな讃岐の国の海を渡る途中に狭岑島に立ち寄った様子が詠われています。
 その狭岑島の海岸で行き倒れの旅人の遺体を見つけたわけですが、この時代の旅は現在と違いつねに命の危険が付きまとうものでしたのでこのような旅の途中で亡くなった行路死者が多く居たようです。
 まあ、必ずしも旅人とは限らず、生活に困窮した挙句に行き場をなくして倒れた者もいたのかと思いますが。
 そんな無念の思いを抱いて亡くなった者たちの魂はその場にさ迷って、道ゆく者たちに災いをもたらすと恐れられていたようです。
 それゆえに行路死者に出会ったものは、かならずこの歌の人麿のようにその魂を慰める挽歌を詠んで霊に語り掛け、その無念の魂を慰めて鎮めてから通りました。
 この一首も、「君の家を知っていたなら行って家族に知らせてあげるのだが…」、「君の妻が知ったならきっと駆けつけて来て言葉も掛けてくれるのだろうが…」と、まさに死者の魂との会話のような歌となっています。
 そこには自分自身もいつおなじように道の途上で行き倒れるかも知れないとの、おなじ旅人である心境が表れていたのかも知れません。

ウェブニュースより
 藤井聡太2冠はライバル永瀬拓矢王座下す 豊島将之叡王への挑戦権に1歩 ―― 藤井聡太2冠(王位・棋聖=18)が豊島将之叡王(竜王=31)への挑戦権獲得にまた1歩近づいた。

 5月31日、都内で行われた将棋の第6期叡王戦本戦トーナメント準々決勝で永瀬拓矢王座(28)を下した。午前10時から始まった対局は、先手の永瀬が攻勢を仕掛けて優位を築いたかにみえたが、チャンスを逃した後はうまく対応した藤井が午後5時23分、138手で逆転勝ちした。1回戦で行方尚史九段(47)を下した勢いに乗り、前期叡王で本戦シードの永瀬も撃破。初のベスト4入りを果たした。準決勝では、昨年の竜王戦決勝トーナメント初戦で敗れた丸山忠久九段(50)と対戦する。
https://www.youtube.com/watch?v=zD0FIYR0jgo
 藤井から見た、永瀬との対戦成績は31敗。特に初顔合わせとなった昨年64日の棋聖戦挑戦者決定戦で藤井が勝つと、同月23日の王位戦挑戦者決定戦でも勝利し、そのまま2冠獲得へと駆け上がった。今回もライバルを下した。
 今年は6月6日から始まる棋聖戦5番勝負では渡辺明名人(棋王・王将=37)、同29日から始まる王位戦7番勝負では豊島の挑戦をそれぞれ受ける。防衛戦を掛け持ちしながら、当分は竜王戦決勝トーナメントと、このタイトル戦の挑戦者を決めるトーナメントにも参戦する。「熱い」季節が始まる。   [日刊スポーツ 20215311746]


 

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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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