瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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藻(も)を詠める歌7
巻6-0917:やすみしし我ご大君の常宮と仕へ奉れる.......(長歌)
標題:神龜元年甲子冬十月五日幸于紀伊國時山部宿祢赤人作歌一首并短歌
標訓:神亀元年甲子(かふし)の冬十月五日、紀伊国に幸(いでま)しし時に、山部宿禰赤人の作れる歌一首并て短歌
原文:安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背<>尓所見 奥嶋 清波瀲尓 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代従 然曽尊吉 玉津嶋夜麻
            万葉集 巻6-0917
          作者:山部赤人
よみ:やすみしし わご大君(おほきみ)の 常宮(とこみや)と 仕へまつれる 雑賀野(さひがの)ゆ 背向(そがひ)に見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に 風吹けば 白波騒(さわ)き 潮干(ふ)れば 玉藻(たまも)刈りつつ 神代より 然(しか)そ尊(たふと)き 玉津島山(たまつしまやま)

意訳:われらが大君の常宮(離宮)としてお仕え申し上げる雑賀野の、その背後に見える沖の島。清らかな渚に風が吹くと、白波が立ち騒ぐ。潮が引けば藻を刈り取ってきた。神代の昔より貴い、その沖の島、玉津島。
左注:右年月不記 但称従駕玉津嶋也 因今檢注行幸年月以載之焉
注訓:右は年月を記さず。玉津島に従駕(おほみとも)すといへり。因(かれ)、今行幸の年月を検へ注して以ちて載巣す。
歌の内容は典型的な儀礼歌で、まず天皇を讃え、その永遠の宮である雑賀野から背後に見える沖の島…と、行幸先の宮から見える玉津島の島々のことを詠っています。「雑賀野(さひがの)」は和歌山市西、雑賀崎の野で、このあたりに玉津島の宮があったのでしょう。
巻6-0918:沖つ島荒礒の玉藻潮干満ちい隠りゆかば思ほえむかも

巻6-0931:鯨魚取り浜辺を清みうち靡き生ふる玉藻に.......(長歌)
標題車持朝臣千年歌一首[并短歌]
標訓:車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ)の作れる歌一首并せて短歌
原文:鯨魚取 濱邊乎清三 打靡 生玉藻尓 朝名寸二 千重浪縁 夕菜寸二 五百重<>因 邊津浪之 益敷布尓 月二異二 日日雖見 今耳二 秋足目八方 四良名美乃 五十開廻有 住吉能濱
          万葉集 巻6-0931
        作者:車持朝臣千年
よみ:鯨魚取り 浜辺を清み うち靡き 生ふる玉藻に 朝なぎに 千重波寄せ 夕なぎに 五百重波寄す 辺つ波の いやしくしくに 月に異に 日に日に見とも 今のみに 飽き足らめやも 白波の い咲き廻れる 住吉の浜

意訳:鯨魚も取れるという浜辺が清らかなので、うち靡いて生えている美しい藻には、朝の凪に千重の波が寄せて来る。夕べの凪には五百重の波が寄せて来る。その浜辺の波にように、よりいっそうに、月々に、日に日に見るとしても満足できないのに、今だけ見て飽き足りるだろうか。白波が開花してめぐる住吉の浜よ
※車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ、生没年不明)
 奈良時代の歌人です。笠金村(かさの-かなむら)や山部赤人(やまべの-あかひと)らと同時代の宮廷歌人のひとりといわれます。養老7(723)元正(げんしょう)天皇の吉野行幸にしたがったときの長歌および反歌,神亀(じんき)2年聖武(しょうむ)天皇の難波(なにわ)行幸にしたがったときの長歌および反歌などが「万葉集」におさめられている。女性とする説もあります。
巻6-0935:名寸隅の舟瀬ゆ見ゆる淡路島松帆の浦に.......(長歌)
標題:三年丙寅秋九月十五日、幸於播磨國印南野時、笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓(神亀)三年丙寅秋九月十五日に、播磨國の印南野に幸(いでま)しし時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌
原文:名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松帆乃浦尓 朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 餘四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣戀流 船梶雄名三
             万葉集 巻6-0935
           作者:笠朝臣金村
よみ:名寸隅(なきすみ)の 船瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島(あはぢしま) 松帆(まつほ)の浦に 朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩焼きつつ 海(あま)未通女(をとめ) ありとは聞けど 見に行かむ 縁(よし)の無ければ 大夫(ますらを)の 情(こころ)は無しに 手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて 徘徊(たもとほ)り 吾はぞ恋ふる 船梶(ふなかぢ)を無み

意訳:名寸隅の船を引き上げる浜から見える淡路島、その松帆の浦では朝の凪には玉藻を刈り、夕方の凪には藻塩を焼く、そんな漁師のうら若い娘女がいると聞くのだが、彼女に会いに行く機会がないので、朝廷の立派な男の乙女に恋する気持ちは失せ、か弱い女のように気持ちも萎え、恋心はさまよい、私は噂の乙女に恋をする。船もそれを操る梶もないので。
巻6-0936: 玉藻刈る海人娘子ども見に行かむ舟楫もがも波高くとも

※笠金村(かさのかなむら、生没年不明)
 奈良時代の歌人です。元正(げんしょう)、聖武(しょうむ)両朝の下級官人で、行幸につき従って賛歌を詠み、志貴皇子挽歌(しきのみこばんか)をつくるなどした、いわゆる宮廷歌人的な人です。『万葉集』に残る作品は715年(霊亀1)から733年(天平5)までの長歌9首、短歌26首の計35首。ほかに「笠朝臣金村之歌中出(かさのあそみかなむらのうたのなかにいづ)」と記す長歌2首、短歌8首もありますが、作者不明歌を含みます。歌風は柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の影響を強く受けていますが、迫力に乏しく、私的な相聞風の発想をよくするなどの点に時代の反映をみることができます。

ウェブニュースより
 尾身会長が五輪開催巡る緊急提言 政府決定前に「我々の考え伝えたい」 ――政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長(71)は4日、衆院厚生労働委員会で五輪開催の可否をめぐり野党から集中質疑を受けた。立憲民主党の山井和則氏からは「一番、国民が不安に思っているのは、やるか、やらないか」と重ねて食い下がられたが、この段階での明確な答弁は避けた。その上で今後、現状のコロナ禍における五輪開催へ向けた緊急提言を行うことを明らかにした。尾身会長は「政府は(緊急事態宣言解除の)20日以降に(五輪開催の可否を)決められる、と聞いている。(提言は)その後だと意味がない。なるべく、それよりも前に我々の考えを伝えたい」と断言した。

 現況での五輪開催について、尾身会長は2日に「今の状況で、やるのは普通じゃないわけだから、やるのであれば、開催規模をできるだけ小さくして管理体制をできるだけ強化するのは主催者の義務だ」と政府、組織委員会に突きつけ、波紋を呼んだ。そして、この日は「本当にやるんであれば、緊急事態宣言の中での、オリンピックなんていうことを絶対に避けるということ」と自説を語り、「一生懸命、自粛している所にお祭りという雰囲気が出た瞬間をテレビで見て人々がどう思うか」と、さらに踏み込んだ見解を示した。
 これまで尾身会長は、コロナ対策や緊急事態宣言の発令、延長に際しての判断を仰がれ、記者会見では菅首相と並んで登壇し、専門的な説明はすべて委ねられるなど、重用されてきた。しかし、緊急提言を決断した尾身会長に対しては政府内から早くも反発の声が上がり、田村憲久厚労相は「自主的な研究の成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」と、公式提言として認めない構えでけん制した。
 尾身会長は緊急提言の内容について明らかにしていない。開催以外の選択肢を提示しない政府にとっては提言によって五輪開催の是非や可否につながる世論拡大は避けたいところだ。尾身会長の提言に、注目が集まっている。    [日刊スポーツ 2021642140]


 

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